第十五回:当惑

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 戦の終わった戦場を、二頭の騎馬が進む。
 すでに死体漁りたちも去ったのか、あるいは騎馬たちから大きく距離を取りつつも周囲を警戒している母衣衆たちに追い払われたのか、すでに生きる人影はなく、死体も全て土に埋められていた。
 野犬やさらに剣呑な野生動物を招かないためにも、疫病を発生させないためにも、さっさと処理してしまうに限るのだった。
 だから、その戦場跡は一見静かに見える。
 掘り返された土や、ぶちまけられた血と臓腑の痕、折れた槍や鎧の断片などを気にしなければ。
「悪いな。見回りにつきあってもらって」
「いや、ちょっと動きたい気分だったし、誘ってくれてありがたいよ」
 申し訳なさそうに頭を下げたのは北郷一刀。そして、それに慌てて手を振ってみせたのは涼州勢の棟梁、翠だ。
「それ、いい馬だな」
 話題を無理矢理に変えるように、翠が一刀の乗騎を褒める。実際、彼女はその馬の一刀との一体感を高く評価していた。
「ああ。蓮華にもらったんだよ。黄龍っていうんだ」
「へえ、黄龍か……」
 翠が乗っている麒麟も名馬であり、また、麒麟と黄龍は五行で共に土徳を象徴する。そんなことを語りつつ、彼らは戦場となった平原に馬を進める。
 そうして会話が途切れたところを狙い、一刀はそれまで気になっていたことを訊ねることにした。
「……なにか、悩んでる?」
「え。いや、そんなことは……」
 翠は言いよどみ、しかし、すぐに頭を軽く振った。頭の後ろでくくり、長く垂らした髪が、勢いよく揺れる。
「……って一刀殿たちには、ばればれだよな」
「やっぱり西涼のことかな?」
 一刀の問いかけに、翠は苦笑したものの、答えようとしない。
「西涼のこと、俺としては申し訳なく思ってる。翠たちが望んだことではないのに、国を建てるなんて大変なことを押しつけて……」
 その言葉に、翠ははっきりと、いや、と言って首を振った。彼女はきりりと表情を引き締めて、真っ直ぐに彼を見据えて言う。
「一刀殿には感謝しているよ。あたしの……違うな、そうじゃない。馬一族、それにあたしたちを頼ってくれる兵や民の望みを叶えてくれたんだから」
 ただ、と彼女は続ける。その凛とした顔が曇る。
「見えないんだよな」
「見えない?」
「うん。あたしのつくる国とか、そういうの……なんていうか、場違いな気がして」
 ぽつりぽつりと語り始める翠の雰囲気を察したか、麒麟の行き脚が緩まる。黄龍も麒麟に合わせてゆっくりと歩き始めた。
「たとえば、桃香様……あたしたちが前にいた蜀の国には、ちゃんとした理想があった。他から見たら笑っちゃうような甘いものだったかもしれないけど、あたしたちはそれを信じて支えてた。少なくとも支えていこうと思っていた」
 一刀は口を挟まない。ただ、彼女の話を聞き続けていた。もはや二人とも周囲の景色を目に入っていない。行く先も麒麟と黄龍に任せていた。
「華琳もさ、まあ、うちに攻め寄せられた時は色々思ったけど、魏は魏の理想や国づくりってのがあるんだよな。それはよくわかるんだ」
 うつむく翠。悔しげにかみしめた唇が白く変色していた。
「でも、あたしにはそれがなくて……」
「本当に?」
 声が途切れたところで、一刀はしばらく待ってみたが、それ以上続かない様子を見て、問いかけを発した。彼女はぱっと顔をあげて、半ば睨みつけるように彼を見る。
「そりゃ、あたしだって考えていることはあるさ。でも……!」
「形にならない?」
 図星を指された、とでもいうように再びうつむく翠。その肩ががっくりと落ちているのを見るのは、一刀としても忍びなかった。
「涼州の人間を守りたいとは思う。でも、それだけでいいのかな、って……。だって、それなら、わざわざあたしがここで王にならなくたって、できたんじゃないかとか……」
 そこまで行くと少々前提を変えすぎているとも思うが、一刀は再び口をつぐむ。いまは彼女の言葉を引き出すことが必要だと彼は考えていた。
「こう、どうにも考えがまとまらないんだよな」
 苛ついたように、彼女は吐き捨てる。その怒りの矛先は他の誰でもなく、自分自身なのだろう。
「詠だって気遣ってくれるのはわかってるんだ。勉強しろって言ってくれるのもありがたいって思ってる。でも、あたしは、その前のところで足踏みしてる気がして、なんかいたたまれないって言うか」
 情けないよな、と彼女は小さく呟いて言葉を切る。
 その最後の言葉は聞かなかったことにして、再び一刀は口を開く。
「思うんだけど、華琳も桃香も――ああ、桃香には真名を許してもらったよ――きっと、悩んで悩んで、そうしてたどり着いたんだと思う。それは雪蓮や蓮華もそうだと思う」
 美以や美羽については少々自信が無いので付け加えない一刀であった。
「だから、いまそうやって翠が悩んでいること、そのものはけして無駄じゃないし、必要なことなんだろう。その上で」
 彼は黄龍の手綱を引き、その歩みを止める。翠も同じようにして、彼らはしばらく前までは戦の舞台となっていた平原の真ん中で見つめ合った。
「西涼建国を献策した身として、そして、なにより翠に真名を預けてもらった人間として、大事な君の力になりたいと望んでいる」
 真剣にその臙脂に近い瞳を覗き込む。
 その様子になぜか翠は緊張したようで、視線が彼の目から外れようとして泳ぎ、けれどやはり、しっかと見つめている彼の元へ戻ってくる。
「翠」
「ひゃ、ひゃい」
 不意に名を呼ばれた翠が、頭のてっぺんから抜けるような妙な声を上げる。
「この光景を見てどう思う?」
 一刀は手を広げる。そこに広がるのは茫漠とした草原だ。
 見える物といえば、遠くにある小山と、たまに生えている低木、それに地平線のあたりを移動しているらしき動物の群れの影くらいのものだ。
「どうって……あたしにとっては見慣れた平原だけど……」
「それだけ?」
「ん……懐かしい、かな。中原の人たちにはわからないかもしれないけど、あたしにとってはこれが生きてきた場所だから」
 むしゃむしゃと草を食んでいる二頭の馬と、地平線まで続く水の少ない土地を見やり、翠はそう言う。一刀はそれに一つ頷いた。
「そこが出発点だと思う」
「出発?」
「何を守りたいか、なにを大事に思うか」
 一刀は大地を、空を、見えるものを全て抱き留めるように手を広げ、そして、それを閉じた。
「そして、なにを作り上げたいか」
 その手がすっと伸び、翠の胸のあたりを指さす。
「それを考える時には、原点に戻るのが一番だよ。この土地で生きてきた翠。そして、その後――まあ、これは俺たちが原因なんだけど――西涼を追われて蜀で過ごしてきた時間。どれもが翠を形作っている。その中で大事だと思ってきた物を、突き詰めることだ」
 翠は答えない。ただ、彼が指さす自分の胸を見、周りを見、そして、最後に彼の顔に視線を戻した。
「民を守りたい、それだけでもいいんだ。呉はそれで成立しているようなものだしね。でも、それだけじゃ満足しないと言うなら」
「うん」
 翠は素直に頷く。ただ、聞いていたかった。彼の言葉を。
 北郷一刀という人が真摯に語ってくれる言葉を。
「そのまとまっていない考えをそのまま抱えて、そうして進んでいくしかない。それが翠なんだから」
「うん」
 もう一度。彼女は頷く。
「細かく言葉にする必要はないさ。それこそ蒲公英や俺や、周りにいる助言者たちの仕事だ。翠は――肩書きは公にしても――王として歩む。ならば、全てを抱えて歩き出せばいいのさ。最初から洗練されている必要なんてないんだから」
 今度は翠は黙っていた。
 それから破顔一笑。一刀もまた笑みを浮かべた。
「一刀殿」
「ん」
 彼女は麒麟の手綱を引いて草を食べるの止めさせる。麒麟は主の活力を感じ取ったか、大きくいななきをあげた。それに和するように黄龍もまた声をあげる。
「少し馬を走らせないか。黄龍も麒麟も走りたがってる。それに……あたしも」
「ああ、そうだな。行こう、翠」
 そうして、二頭の騎馬は走り出す。
 どこまでも、どこまでも。
 ただ、地平線を目指して。

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