第十五回:当惑

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1.それぞれの戦場

 母衣衆に囲まれた一刀は見晴らしのいい小高い丘の上から戦場を眺めていた。戦場全体が見えるため、動きが手に取るようにわかる。
「右が崩れたわよ?」
 黄龍に乗った一刀の傍らで、これも馬に乗っていた詠が右手を指す。指摘の通り、敵の左翼が崩れて下がり始めていた。
 敵は基本的に右翼に偏った編成をしていて、右翼七、左三という具合だったから崩れるのは予想の範囲内である。
 だが、詠の指摘に一刀は首を横に振る。
「あれは見せかけだろう」
 彼は元々の陣取りからして敵の左翼はこちらの右翼を釣るための捨て駒だろうと判断していた。だが、攻めさせないわけにもいかず、華雄の黒龍隊と祭の玉飛兵に任せていたのだ。
「でも……そうだな、華雄に追わせよう」
「陽動なのに?」
 問いかける詠の声に、しかし、驚きの色はない。軍師である彼女は、彼よりもさらに的確に相手の動きを理解していた。
 陽動であろうと罠であろうと、いまあれだけの部隊を自由にさせるわけにはいかないことも。
「翠の部隊の半分ずつをあれの左右に回そう。横から圧力を受ければ、結局は潰れるだろう」
 詠は、後詰めに回して温存している翠の緑龍隊をちらと眺めやり頷いた。涼州騎兵の脚ならば十分追いつけるだろう。
「伏兵は?」
「いるだろう。でも、いたとしても華雄は止まらないし、緑龍隊ならそれも考えて動くだろう。それと、祭の部隊は左翼の援護だ。場所は動かず弓で」
「わかったわ」
 詠は振り返り、母衣衆の幾人かを呼ぶ。
「黒は一から四十まで全隊で敵左翼を追撃、緑の二番から二十一番までは敵左翼のさらに右、緑の二十二から四十一までは敵左翼の左を走らせて」
 指示を聞き、旗を振ることで、あるいは太鼓を叩いて指示を何重にも伝え始める母衣衆。もちろん、伝令に走るために用意している者もいる。
「緑の一番と四十二から五十番までは、伏兵を警戒しつつ、蛇行機動。黒を援護。それから、玉は場所を動かず赤を支援」
 母衣衆が走り去るのを確認してから、詠は再び一刀の横に戻る。
「少し変更したけど、あれでよかったわよね?」
「ああ。ありがとう」
 詠ならば、自分が言わなくとも、最初からあれくらいは命じられたろう。いや、さらによい動きを命じることができたかもしれない。
 しかし、彼女はそれをしない。
 詠は軍中では常に彼の決断を確認してから動いた。
 いみじくも以前、共に戦った時に彼女自身が言ったことだ。
『混成軍は、意思の疎通がなにより重要で、命令系統を守らせるのが最も難しい』
 軍師である彼女が率先して命令系統を遵守し、北郷一刀という大将こそが最終決断を下すことを示して、軍律を維持しているのだ。
 そのことを一刀は理解していたる。そして、自分の指揮に物足りなさを感じているだろうに――少なくとも兵や将校たちの前では――表情にも態度にも出さないでいてくれる詠に、本当に感謝していた。
 彼らは戦場の推移を見守る。
 左翼の赤龍隊、鋼飛兵、丹飛兵は相変わらず敵右翼をその場に縛り付け、さらにじわじわと削っていた。右翼では黒龍隊が突出し、それを追うように緑龍隊が三つに分かれて走っていく。
「でも、まだまだね」
「ん?」
 詠が眼鏡を指の甲でなおしながら小さく呟いた声が耳に入り、一刀も静かに問い返す。
「華雄も恋も、いえ、黒龍も赤龍もまだ『槍』だわ」
「槍?」
「たしかにあれらは敵部隊を切り裂いている。それはすごいことだけど……。ほら、見て、後ろから来た翠の部隊」
 翠の指さすものを見れば、緑龍隊が左右から敵を包み込むようにして敵を倒している姿。
「触れる度に敵を削り取っているでしょ?」
 彼女の言うとおり、部隊と部隊が交錯する度、敵は刈り取られたように脱落していく。
「ああ、そうだな」
「要するに、黒龍、赤龍の二部隊はあくまで突き出した槍なのよ。そうね、もしかしたら、緋龍隊もそうかな。最も恐ろしいのは穂先で、軸はそれを支えているに過ぎない。もちろん、折れない、というのはすごいことなんだけどね」
 下がり続ける敵左翼の背後に不意にわき出た敵――伏兵だ――まで構わず切り裂き、押しつぶしていく黒龍隊を示して詠が説明する。
 それはたしかに人並みを切り裂く槍のように見えた。だが、彼女の言うとおり、切り裂いた後の軸の部分はその場を確保することはしても、それ以上敵を削っているようには見えない。
 いや、確実に少しずつ浸食してはいるのだが……。
「一方、翠や霞、白蓮の部隊は……そうね、部隊全体が刀かしらね。触れる部分全てが脅威なのよ」
 自分なら『鞭』と言うだろうな、と一刀は思う。しかし、この世界で鞭というと、普通はしなりをもたない棒のような物だ。革鞭を想像する二十一世紀日本の感覚は通用しない。
「言っていることはわかるよ」
 黒龍隊の援護にまわった翠とその麾下の千人が蛇のようにうねりをつけながら敵部隊を蹂躙していく様子を見て、一刀は頷く。
「槍から刀にするには?」
「経験を積ませ、鍛錬を続けることね。烏桓は華雄や恋にまだなじみきってないわ」
「そうか。時間をかけるしかないな」
 一刀が黄龍の首筋をかいてやりながら言う言葉に詠は同意するように首を振り、さらに言葉を紡ぐ。
「ええ。ただ、敵にはその時間はもうないわね」
 その視線の先には、完全に崩壊しつつある敵左翼と、それに動揺しているらしき敵右翼があった。
「よし。歩兵も進ませよう。総攻撃だ」
 詠が強く頷き、簡単な指示を母衣衆に伝える。それを受けて、母衣衆は間違えようのない単純な指令を各部隊に伝えた。
 すなわち。
「総員、突撃せよ」

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