第十四回:責務

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2.右軍

 

「やはり、速度が問題だな」
 北伐右軍大将楽文謙――凪は自分の天幕の中でいくつもの竹簡を調べたり書き出したりしながら、最終的にそう結論づけた。
 彼女が率いる右軍は、補給とすでに占領した地帯の治安維持――つまりは兵站を主目的としている。要は軍全体の後詰めだ。
 過去の戦でも魏軍は大規模な戦闘行動をとってきたが、これほどまで慎重に補給を準備したことはなかった。
 これまでの戦はあくまでも漢土での話であり、今回のように常識からして違う領域に踏み込む戦は、大戦の経験を積んできた魏国としても初めてのことなのだ。南蛮に侵攻した蜀の方が経験があるといえよう。
 だからこそ、各軍の輜重隊に任せるのではなく、右軍として独立した補給と後背の守備を担当する部隊が作られたのだ。
 降した地域の安全確保はもちろんのこと、水、食料、医療品、武具、生活必需品、それらを現地ではなく、自らの手で供給できるよう右軍は期待されている。
 だが、ここに問題が生じ始めていた。
 物資自体は潤沢に用意されているのだが、それを届けるのが間に合わなくなってきたのだ。いまは多少の遅れで済んでいるが、どこかで修正をかけないと大変なことになるだろうと凪は予想していた。
 計算が狂った要因はいくつかある。
 一つは司馬氏・孔融の乱。
 これに動員された馬匹は、しばらく休ませてやらなければならず、初期の輸送量を減らさざるを得なかった。また、用心のために右軍の一部――沙和の部隊を洛陽付近に張り付けていたことも、遅れを誘発した。
 もう一つは、中央軍、左軍共に、行軍が理想的なほどうまくいっていることだ。
 おかげで進軍速度が上がり、初動でもたついた右軍がそれについていけなくなりつつある。
 もちろん、中央軍にしても左軍にしても、あまりに自分たちだけが突出すれば右軍にいらぬ負担をかけることは承知しているものの、軍には勢いというものがある。こちらを気にして足を止め、結果、前線が停滞してしまったでは戦全体の帰趨に関わりかねない。
 右軍としてもここが踏ん張りどころなのだが、さて、どうすればよいのか、それが難しい。
 洛陽に戻る度に軍師たちとも話し合っているし、実際に洛陽側は、足りない馬の穴埋めに騾馬、驢馬までも送ってきてくれているのだが、焼け石に水だ。
 民間から馬を徴発するという最終手段はなるべくなら避けたいと軍師たちは表明していたが、凪も同意見だ。
 大規模な軍事行動の最中に民を動揺させるのは得策ではない。また、内乱で疲弊した馬匹も徐々に戻され始めている。無理をすれば、さらにどこかにゆがみを生じるだろう。
「後もう少し、なにか。……それこそ、一つでも効率を改善するものがあればよいのだが」
 そうは言っても、これまで皆で考えて見つからなかった解決策が、すぐに見つかるわけもない。
 まずは、目の前の問題をどうにかしようと、彼女は気分転換も込めて、別の竹簡を手に取る。
 それは現在、西方方面――左軍の背後に出張っている沙和からの書簡だった。
「豺狼か……」
 書かれている内容を見て凪が呟いた言葉はある種の隠語であった。本人たちからしてみれば、そんな呼ばれ方は不本意で、酒保商人と呼ばれたがるであろう。
 では、酒保商人とはなにか。
 それは、軍の移動に付き従って、物を売り、あるいは買い取る商売人たちであった。
 彼らはなんでも取り扱うし、なんでも売り込んだ。
 補給がしっかりしていない軍の場合、それらの商人が補給の役割を担うことさえあった。輜重隊をしたてなくとも、商人たちが兵に売りつけてくれるのだ。この手軽さに頼って、自分から補給を減らした軍まであったくらいだ。
 だが、軍が支給するのと違い、商人たちは自分たちの利を追求する。兵たちに配る食料は高騰するし、下手をすれば軍の行動自体が商人たちに支配されてしまいかねない。
 それ故に、まともな軍からすると彼らはあまり歓迎されなかった。ただ、本陣に入ってくるのでもなければ、黙認されてはいた。
 また、左軍が積極的に協力を求めた客胡のように、軍が主導することで制御を可能とするような場合もあった。ただし、客胡の場合、物資よりも情報に重きが置かれている点で従来の酒保商人とは立場を異にしているが。
 実際的に、たとえいまのように補給がしっかりしている場合でも、軍は戦闘に必要な物しか支給しない。せいぜいが食料、水、衣服、武具、寝具といったところか。ごく稀に戦に大勝した場合などに酒や甘いものが振る舞われることがあるが、あくまで非日常的な事例だ。
 だが、商人たちは違う。
 嗜好品も扱うし、面倒な洗濯なども請け負ってくれる。あるいは娯楽として踊りを見せたり、娼婦を斡旋したり、賭場を開くものもあった。
 軍としては、兵士たちをあまり強く締め付けて逃亡されたりしても困るし、これらの商人たちの行為は、最前線から少し離れた位置でのことであり、ある程度までは見逃すのが慣例となっていた。
 ただ、その黙認にも限度という物がある。
 沙和からの書簡によれば、商人たちの行動は、黙認の範囲から少々逸脱し始めているとのことだった。
 そして、その逸脱が一部で軍規の緩みを生んでいるようだともあった。これが事実であれば、そこが弱みとなってしまう。
 はたして、西部の商人たちがなにをしているかは、沙和の書簡にも書かれていない。まだ確たる証拠を得ていないのであろう。
 考えられることはいくつかある。
 たとえば、今回は略奪を禁止したために、比較的戦利品が少ない。これらを買い取るのも商人たちの仕事であるから、戦利品の値段を上げて略奪を煽るようなことをしているかもしれない。そうであったとしたら、大問題となるだろう。
 あるいは酒や甘味より強い刺激物――ある種の草や丸薬などが知られている――を兵たちの間に流されたら、さらなる問題を引き起こす。常に酩酊状態の兵士など、使い物になるはずがないからだ。
「こちらではそうでもないが、客胡たちの重用に焦ってでもいるのか?」
 ありうることだ。凪は自分で口にしてみて、そう思った。
 客胡は左軍の進軍する方向、そのさらに先に本拠地を持つ。軍の後方から追いかけていく商人たちとは情報も物資もその鮮度がまるで違うだろう。
 ましてや左軍は軍として正式に客胡に協力を要請している。目をつぶってもらっているだけの酒保商人たちとでは勝負にもならない。
 それがわかっているからこそ、短期間に荒稼ぎしようとでも思っているのかもしれない。凪はそう結論づけた。
「あまりに悪質なようなら、見せしめも必要だ。部隊を動かすことは許可する。ただし、隊長とも相談して下さい……と。こんなところか」
 沙和への返信を書き付け、封をして、己の印を押す。
 それを持って天幕を出ると、少し離れたところに、兵たちが十数人集まって何事かざわついているのが見えた。

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