第十四回:責務

1 2 3

 

1.建国

「ともかく、あんたは西涼を建てるんだから。政を学ぶか、それを任せられる人間を選ばないとだめでしょ」
 橇小屋の中で、小柄ながらも勝ち気そうな女性が、指を振り振りそう言う。
「あー、うん。それはわかるんだけどなあ」
 言われる方の女性も快活さでは負けていないはずだが、いまは常の歯切れの良さを発揮できずに、長いしっぽのような髪の毛を左右に振るばかり。
 お姉様圧されてるなあ。従姉の横で詠と翠の会話を眺めている蒲公英は内心そんなことを思っていた。
 詠と翠、二人の会話はしばらく前から続いている。
 翠が報告のため、前方に位置する夏陣に訪れたのを、話があると詠が引き留めたのだ。
 小屋にいるのは蒲公英の他には、北郷一刀と白蓮、麗羽の三人。
 かつて一勢力を率いたか、現在それと同等の位置にいる面々だ。この三人を立ち会わせているところに、詠の本気が窺える。
 けれど、お姉様はそれをわかってるのかな、と少々心配になる蒲公英であった。
「じゃあ、なんで先送りしようとするの?」
 実を言うと、詠は以前、政に関する書を最低限でもこれとこれだけは読むようにと勧めたことがあった。しかし、翠はそれを忙しいからと拒絶していたのだ。
「いや、だって、いまは……」
「そりゃあ、軍務があるのはわかるわ。実際に西涼を鎮めなければ、国とするなんてできないものね。でも、別にいますぐ全部やれというのではなくて、ボクは、まずとりかかることを……」
 勢い込んで立ち上がり、翠の方へ体を乗り出してくる詠に、その時、横から声がかかる。
「詠」
 彼女の名を呼んだのは、この軍の大将でもあり、西涼の建国を提唱した本人でもある北郷一刀。
「ちょっと急ぎすぎな気がするぞ」
 その言葉に、詠の首筋からはじまって、あっという間に顔中が真っ赤に染まるのを見て、蒲公英は首をすくめる。
「ボクはっ……」
 強烈な怒気。
 戦場では武将たちの闘気の爆発を受けようとなんでもない蒲公英も、こういう論戦の時に一喝する軍師たちの言葉の強さには肝を冷やすものだ。だが、詠は相手のほうを振り返った途端に言葉を呑み込んでしまった。
 当の一刀が笑顔でそれを受け止めていたから。
 あれだけの感情の爆発を直に向けられて、挑むような、あるいはすごみのある笑顔ではなく、本気でにこにこして受け流せるなんて、さすが一刀兄様。
 蒲公英は彼の様子を見てそう思う。
 彼女はそんな芸当をする人間を他に一人しか知らない。かつて身を寄せていた桃香その人しか。
 眼鏡を外し、それを布で拭き出す詠を見て、戦闘で言えば練っていた気組みを外されたってところか、と彼女は推測する。
「……そうね。ちょっと急ぎすぎたかも。いまは翠自身の話はおいておきましょう」
 眼鏡をかけ直した詠は気を取り直したように静かな声で言い、再び翠に向き直った。
「いずれにしろ、西涼が建ったとして、あんたは長安にとどまるつもりよね? 魏への人質として」
「人質っていうよりは、誠意を見せるってことだよ。いきなり謀反とかしないようにさ」
「まあ、なんでもいいけど。そうなると実際の土地で政をやる代官なりなんなりを置かないといけないわよね。それをどう考えてるか、教えてくれないかしら」
「蒲公英じゃだめなのか?」
 こともなげに言う従姉に、蒲公英は衝撃を受ける。
「もちろん、蒲公英はあんたの名代として実際に取り仕切ることになるだろうけど、一人に任せるわけ?」
「無理無理。お姉様の意向を通すことくらいはできるけど、たんぽぽが全部やるのはちょっと」
 いまやってるように、五、六千の将ならいい。経験を積めば、一、二万も率いることが出来るかもしれない。
 しかし、十万、二十万の民を相手に官僚たちをまとめる自分というのは想像も出来ない。
「あー……。うーん」
 翠は考え込んでしまう。そこにそれまで黙って話を聞いていた白蓮が手を挙げた。きまじめな顔が同情に彩られている。
「いいかな?」
「ええ。どうぞ」
 翠を軽く見て、嫌がっていないのを確認してから、詠が続きを促す。
「私もかつて一勢力を築いていたことがあるけど、やっぱり助言してくれる人間や、脇を固めてくれる人間は大事だよ。一族とは別にな。うちはなかなかそれがいなくてうまくいかなかったけど。……麗羽の所は逆に多すぎたかな?」
「そうですわねえ。なにしろ袁家の名前だけで集まってきたものですから、まとまりがありませんでしたわね」
 この間、右軍の沙和がやってきた時に持ってきた阿蘇阿蘇――しばらく前の号だ――をぱらぱらめくっていた麗羽が本を閉じて、金髪を振り立てて会話に参戦する。相変わらず彼女は自分に場の焦点が合わない時は徹底的につまらなさそうだった。
「あんたの場合、言うことを聞かなかったせいもあると思うけど?」
「袁家にふさわしい献策でなければ聞く意味もありませんでしょう?」
「わからないでもないけど、麗羽は行きすぎな気もするな……。それでもうちは滅ぼされたんだけどさ……。うん。どうせ数の暴力にはな、勝てないんだ……」
 詠と麗羽がお互いに攻撃的なようなそうでもないような微妙なやりとりを笑顔でしている横で、なぜか一人鬱々と呟き始める白蓮。
「進言する方にもなんらかの思惑ってものがあるし、まして、絶対的に正しい人間なんているわけないんだから、全てを唯々諾々と聞き入れる君主もろくなもんじゃない。だけど……」
「やっぱり、信用できる人間がいるといないとでは、大きいよな」
 自分の言葉を引き継いだ一刀を、詠は横目で睨む。
「あんたはほいほい信用しすぎだけどね」
「それだけ、みんながすごいのさ」
 その言葉に肩をすくめて、詠は再び翠に向き直る。
「まあ、極端なこいつの場合は参考にならないにしても。ともかく、皆が言うとおり、西涼を築くための人材が必要だと思うの。どうかしら?」
「桃香のところまでとはいかなくとも、ある程度の顔ぶれは必要だと思うな」
「うーん」
 詠の問いかけに白蓮の言葉が重なって、翠は考え込む。彼女の視線がちらりと蒲公英に移った。
「たんぽぽは賛成。やっぱりある程度の人材は必要だと思うよ。馬家の一門衆だけってわけにもいかないと思うし」
「そうか……そうだなあ。もっともだとは思う。でも、あたしにはあてがないし……」
 すでに用意してあったのだろう、詠は竹簡を取り出すと、翠に見せた。そこにいくつかの名前と、簡単な経歴が書き連ねられている。
「まずは韓遂とかどう? ちょっと色々陰謀をやりがちだけど、やることはやるわよ。あなたのお母様とも知り合いのはずだし……」
「え」
 その名前を出した途端、一刀が奇妙な声を上げた。まるで驚いた拍子に喉から空気が漏れたというような、まるで意図の伝わらない音だった。
「……なに変な声出した上に、微妙な顔してるの?」
「いや、賈駆が馬超に韓遂を勧めてるという図が……なんか、こう、な」
「わけわかんない。ともかく、人材が必要なのよ。北伐を終える前に指針だけでも決めておくべきよ」
 男の奇妙な動揺ぶりを一蹴し、彼女は話を続ける。一刀は頭を振ってようやく気を引き締めたか、真面目な顔でそこに割り込んだ。
「そうだ。それなんだけど、冥琳に頼んでいるのが少しあるんだよ」
「冥琳……? あれは南に行ったんじゃなかった?」
「うん。それでちょうどいいと思って、水鏡先生とその門下生に接触してもらうよう頼んだんだ」
 水鏡先生という名前に聞き覚えがあるのか、麗羽はその顎に手を当て、白蓮はうつむかせていた顔を上げた。
「司馬徳操、荊州門派でしたっけ」
「んー。水鏡先生って朱里たちの……?」
「そう、孔明さんや士元さんの先生だね。涼州にと考えていたわけじゃないけれど、うまくいったらそうもちかけてみるのはどうだろう?」
 蒲公英はそれを聞いて、悪くないと思う。
 なにより、蜀とつながりがもてるところがいい。
 西涼は場所と政治的経緯から、どうしても魏蜀との関係を慎重に保つ必要がある。
 両方の人材を取り入れることが大事だと蒲公英は論理ではなく直感で感じ取っていた。
「いいかも。でも、そのこと伝えられるの、一刀兄様」
「書簡なら大丈夫だろう。どこかにばれて困る話じゃないし、使者をたてるまでもない」
 この時代、情報伝達における確実性と速報性はどうしても相反する。確実性を高めるには自ら伝えるか、信用のおける者を使者に立てる必要があった。
 一方速度で言えば、自ら赴くのはもちろん、使者を送るにしても、どうしても馬の疲労、本人の疲労が問題となる。
 たとえば魏の領内ならば、馬は駅で替えられる。だが、本人の休息時間まではどうしようもない。しかし、書簡であれば、伝える人間も馬も替えて中継すればいいため、高速化が図れるのだ。
 ただし、書簡を失う可能性や情報漏れを考えれば、重要なものに使うことは難しい。
 今回の件はたしかに重要ではあるが、機密というほどのことではない。詠も少し考えて同意した。
「うん、悪くないんじゃない。あんたにしては気が利いてるわね」
「華琳の所にいたら、良さそうな人材は気にかけるようになるさ。それが俺の仕事の一つでもあるんだしね」
「華琳さんはわたくし以上に人材好きですからねえ」
 うんうんと頷く麗羽。頷く度にその髪の毛が揺れて、隣の白蓮の膝にかかる。もはや白蓮のほうは諦めているのか、それを指摘することもなかった。
「まあ、最終的には翠の判断次第だけど。どうかな?」
「ああ。一刀殿がそれでいいなら」
 翠は同意の返事を返したが、生返事とまでは言わないまでも、それほど熱意がありそうに見えなかった。
 軍議の時とは態度が明らかに違う。その様子に、詠が人差し指を振り立ててきつめに言葉を吐く。
「あのねえ……。やかましく言いたくはないけど、西涼のことなのよ? わかってる?」
「まあまあ」
「うー……」
 白蓮の仲裁に、しかたないというように声を抑える詠。
 蒲公英としては、翠が彼女に対して反発をしないのも不思議な気分だった。体調でも悪いのかと思うところだが、そんな気配もない。
「いずれにせよ、考えておくべきだとは俺も思うんだ」
 翠はしばらく黙り込んだ後、ここはさすがにはっきり頷いた。
「うん。考えるよ」
「まあ……。それならいいわ」
 そうやって詠が呟き、急に設けられた会談は終わりを告げた。
「うーん。いま、あんな話をするってことは」
 暫時の雑談の後で、翠と共に小屋を出ながら蒲公英は独り言を言う。
「やっぱ、引き抜き損なっちゃったか。ま、しょうがないよねー。一刀兄様魅力的だし」
 能力を生かせるって意味でも、ね。と付け加えていると、前を歩く翠が振り向いた。
「なにか言ったか、蒲公英?」
「んーん。なんでもないよ、お姉様」
 手を振って否定すると、翠はそこまで気にした風もなく前を向く。
 そして、彼女らしくもなく小さく嘆息すると、蒲公英にも聞き取れないような声で呟くのだった。
「はぁ……困ったなあ」

1 2 3

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です