第十三回:罪罰

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1.軍略

 天宝舎の二階。
 大きな地図の彫られた卓があることから地図室と呼ばれる部屋で、二人の魏の軍師が重要事項を話し合っていた。
「結局、この間の上奏は、豪族層の……」

 にゃ~にゃにゃ、にゃ~にゃぬ~♪

「しかし、この場合……」

 にゃ~にゃ、にゃ~にゃにゃ~♪

「そうすると、これが……ああ、もうっ」
 猫耳頭巾を振り立て、頭をかきむしるのは桂花。
 これでも冷徹と呼ばれることもある魏の筆頭軍師である。
 その相手である稟は眼鏡を外して布で拭きつつ、小さく嘆息する。
 桂花のいらつきの原因ははっきりしている。いまも聞こえてくる、あの気の抜けるような歌声だ。

 な~にゃにゃにゃ、にゃにゅ~にょ~♪

 それは、階下の音声を伝えてくるはずの伝声管から聞こえてくる。
 ふたを閉じているからはっきりと聞こえるわけではないのだが、何人かで輪唱しているらしく、延々と途切れなく聞こえてくるのだからたまらない。
 ついに我慢の限界を迎えたらしく、桂花は伝声管に向かうとふたを上げ、大声で叫んだ。
「うるさいわよ!」
 その答えも伝声管を通じてやってくる。
「なんにゃー? ミケたちは子守歌を歌っているだけにゃ?」
「だから! それが! うるさいっての!」
 まあまあとなだめて桂花を椅子に戻し、代わって伝声管の前に立つ稟。
「すいません。子守歌自体はいいのですが……。限度というものもありまして」
 こうして説明しても、南蛮の四人に通じるかどうか。そう考えていると、向こうでも交代したらしく、遠慮がちなかわいらしい声が響いた。
 この声は一刀の『めいど』を務める月だ。
「あ、あの。お歌を歌うのは、別の部屋にしますので……」
「申し訳ありませんがそうしてもらえますか。暫しの間でいいですから……」
 しばらくばたばたと移動の音などが聞こえてきたが、ともかく歌声は無くなった。
 茶を入れて一服し、ようやく興奮が収まったところで二人は会話を再開する。
「さて。では、そろそろ周辺の動きに移りますか」
「そうね、そうしましょう。北伐の開始からほぼ二十日が経ったわけだけど、華琳様の中央軍は匈奴の領域を出るまでは、やはりまともな戦はないようね」
 桂花は卓に彫りつけられた地図の北方を指さす。そこに置かれていた華琳の人形――妙に写実的でそっくりだった――を、稟が持ち上げ数歩進ませる。
「予想通りですね」
 秦の統一よりさらに前の戦国時代から長く漢土を脅かしてきた強大な匈奴は時を経るにつれて、中原の統一政権からの抗争、懐柔両面の働きかけを経て分裂し、力を失っていった。
 まず武帝により北方へ追いやられ、その後東西に分裂し、西は漢につき、東は攻め滅ぼされた。西匈奴もまた後に南北に分裂し、南はより強く漢に臣従したが、北は西に走り、漢の勢力圏から消えた。
 現在中央軍が進軍している地域は南匈奴の支配域であり、彼らはすでに漢に臣従している。
 間接統治を直接統治に変更する、そんな確認のための進軍であり、南匈奴に対抗するだけの気概のある集団はいないだろう。
 そんな予測を魏の首脳陣はたてていたわけだが、実際その通りになりそうであった。
「鮮卑の領域に入った頃が問題ですね。もちろん、すでに調略は済ませていますし、あの大軍にあえて挑みかかってくるような相手はそこまでいないと思いますが……」
 鮮卑は匈奴のさらに北方に位置する集団だ。
 かつては匈奴に服属していたが、匈奴の力が弱まるにつれ独立を果たした。また、北匈奴が西に追いやられる直接的な原因は鮮卑の勢力伸長にあったといわれる。
 鮮卑は烏桓と同じく東胡を祖に持つといわれるが、詳しいところはよくわかっていない。
 匈奴を古の夏王朝の子孫だと称する説もあるし、なにか古いものに自分たちの起源を求めたがるのはいずこも同じだ。
 北方を含めた各地の諸集団をよく知る稟はそう考えていた。
 いずれにしても、いまはどのような軍事力を持つかを重視すべきであろう。
「あんまり暇だと春蘭が文句を言いそうだけどね」
「とはいえ、遠征の軍を食べさせ、水を与えるだけで大仕事です。波乱を望まれても困ります」
「まあ、儀礼的な戦は行われているだろうし、我慢してもらいましょう」
「一方の左軍は報告はないものの……そろそろでしょう」
 もう一つの人形をほんの少し進ませる稟。なぜかそちらの人形は写実的と言うよりは戯画化されていて、武器の代わりに小さなまんじゅうらしきものを抱えていた。
「涼州は複雑だからね。早いうちに何度か戦果を上げてもらった方が、後が楽になるでしょう」
「たしかに」
 完全に異民族集団相手の中央軍と違い、涼州には漢人集団、賊、いわゆる異民族、異民族を騙る漢人流浪集団と様々な勢力が入り乱れ割拠している。
 そして、そのさらに背後には北東方向に鮮卑、西に羌と強大な集団が控えていた。
 そんな複雑な状況を打開するには、これまでも魏軍がそうしてきたようにこちらの力を見せつけるのが一番であろう。
 左軍にはただ進軍するだけではなく、戦で勝ってその力を実際に示してもらう必要があった。
「霞はじめ歴戦の将が揃っていますから、戦自体に心配はありません。あとは、その後の統治に気を抜かないでくれるといいのですが」
「面従腹背当たり前だからね。一度降ったくらいで安心しているようだったら危ないわね。そこは詠がなんとかしてくれると思うんだけど……」
「南蛮の例がありますから、何度でも同じ敵と戦うくらいの気構えでいる、とは言っていましたけどね」
「あいつがそう思っていたとして、兵をつなぎとめる腕があるかどうかよね。あるいは根こそぎ力を奪う判断ができるかどうか」
 夏陣と冬陣の構えを見てもわかる通り、左軍で最も危険視されているのは、すでに降った勢力の後方での蠢動だ。
 必要があればそれを何度でも討つというのは正しい対応だが、それを兵たちが理解してくれるかどうかはまた別のことだ。
 何度も同じ事をさせられれば人間誰しもうんざりしてくるのだから。
 そういった兵の嫌気を抑えてでも軍を率いることが出来るか。あるいは、後方でなにかしでかしそうな相手であれば一気に滅ぼしてしまう判断が出来るか。
 どう決断し、なにを成すかは大将である北郷一刀にかかっていた。
 稟はまんじゅうを持った滑稽な三頭身の一刀人形を、手袋をはめた指でなでながら呟いた。
「……あの方は優しいが、優柔不断すぎるというのはないと思っています。大事なところではね」
「さて……ね。あいつがなにを大事と思うかが問題な気がするけれど。いずれにせよ、右軍による後方支援は臨機応変に考えるべきね」
「それについては同意します。綿密な計画をたてつつ、それを変更し続ける必要があります。凪、沙和、真桜の三人が洛陽に戻る度話し合いましょう」
 猫耳軍師と眼鏡の軍師は確認しあい、いくつか書類に書き付けて、次の話題に移る。
 稟の指が、鬼の面をかぶった人形を今度は南に置いた。
「荊州ですが、予定通り、期限を四十五日まで延長したと連絡が」
「ああ、最終的には六十日だっけ?」
 あまり興味がなさそうに、桂花は書き物を続けている。
「ええ。あまり伸ばしてもしかたありませんし。樊城にはあなたの姪御さんがいますが、将として徐晃を派遣しておきました」
「公達なら、なんとでもするわ。徐晃に兵は?」
「二万を」
「ふうん」
 桂花は筆を置いて、部屋の天井を睨みつけるように視線を上に向ける。
「あまり損なわれると困るわね」
「徐晃には、樊城を攻められない限りは動くなと申し渡してあります。それこそあなたの姪御さんもおりますし、まず大丈夫でしょう」
「ならいいけど……」
 それから視線を地図の上に戻す桂花。
「襄陽には三万五千の兵か。さすがは周公謹、いやらしい数を計算するものよ」
「ええ。籠城されることを考えれば、呉も蜀も三倍以上の兵を揃えねばならない。ましてや樊城も考慮に入れれば、少なくとも十二万は必要となる」
 城攻めの定石では敵の兵数の三倍を必要とする。
 実際には十倍の数でも攻めきれないこともあることを考えれば、兵数は跳ね上がる。さらに、襄陽は江水に面する。援軍や糧食の供給を絶つためには必ず水上にも戦力を割かねばならなかった。
 いまの蜀、呉両国にそれを用意するだけの戦力があるかどうか。なかなかに厳しいところだ。
「とはいえ、無理な数ではない。たとえば、寄せ集めだろうとなんだろうと襄陽に五万、樊城にその半分入れられれば、両国は諦めるしかない。ところが……」
「三万五千ならば、なんとかなりうる。そう思わせるのが策」
 桂花が静かな声で言うのに、稟は頷いて先を続ける。
「それも頭のある将ならわかるでしょう。しかし、それで勢いを押しとどめられるわけでもない」
「結局、王の決断にかかるわけね」
「ええ。両国の王がどう出るか」
 そこまで話を進めて、しかし、桂花は再び別の書類へと視線を戻した。稟もその態度を非難するでもない。
「ま、ともかくこちらに被害が出ないよう考えるのが第一ね。なにしろ、これは……」
 ちらっと桂花は地図の上を見て、持っていた筆の背で、一刀人形をこづく。頭身が低いだけに重心も低くできている人形は揺れはするものの倒れることはなかった。
「華琳様の戦ではないのだもの」

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