第十二回:南方

1 2 3 4 5

「えらいことになったな」
「ええ。まさか一刀さんが……」
 洛陽で膝をつき合わせて話し合っているのは、桔梗と紫苑という蜀の弓将二人。
 娘たちはすでに寝入り、暗い部屋の中、わずかに灯火の灯りが届く場所で二人は事態の検討を続けている。
「国元は大騒ぎみたい。なんでもいいから情報を寄越せと言ってくるわ」
「馬鹿騒ぎしておるのは文官どもだろう。朱里や桃香様の言うことでもなければ無視しておけばよいわ」
「まあ……。そうね」
 紫苑は疲れたように頷く。母親たちの不安を感じ取ったか、寝付きのいいはずの璃々が珍しくぐずったのだ。
「実際のところ、こちらとしてもなにか掴んでいるわけではないし、根拠のない情報を送って混乱させるようなことは避けないと」
「うむ。ただ、すでに愛紗が軍を編成しているとも聞く」
「圧力をかけるためにね。動いてはいるみたい」
「しかたない……か」
 二人は顔を見合わせ、お互いが苦虫をかみつぶしたような表情をしているのを確認して、どうしようもなくため息を吐く。
「あとは、その……あなたの耳に入っているかどうかわからないけれど……」
「千年のことか。北郷の子を産む女など信用できぬと気炎を上げているのがおるようだな」
「桔梗。もし、これに関わりたくなければ……」
 紫苑は少しだけ黙った後で、その美しい顔に緊張をたたえて旧知の友に提案する。だが、その言葉は喉の奥を鳴らす、猫のような笑い声で否定された。
 桔梗は常に持っている酒瓶の口をひねると、そのまま口元に持って行き、直に呷った。まるで口が汚れたから消毒しなければ、とでもいうように。
「くだらんぞ、紫苑。恋は恋、色は色、政は政。わしはどれも存分に楽しむ。国の若造どもなぞ、気にするほどのことでもない。義理や情に引きずられるなら、桃香様に降らずにあの場で死んでおるが道理ではないか」
「それも……そうかもね」
 頷いて、彼女は桔梗の手から酒瓶を受け取る。桔梗のように片手で呷るようなことはせず、しかし、両手で掲げ持ち、ごくごくと桔梗に倍するほどの量を腹に落とし込んでいく紫苑。
 その口元を、一筋の雫がしたたり落ち、喉からその豊かな胸へと流れていった。
「はっきり言うが、これだけのこと、一人の思いつきでどうにかなる話ではない。北郷一刀という名に結実してはいても、これを招いたは、魏、呉、蜀、三国の動きよ。もとより曖昧なまま放っておいた我らにも責はあろう」
「それはね。同盟のためにはっきりさせてこなかったもの。それに一刀さんの下には詠ちゃんもねねちゃんもいる。どれだけの裏があるのか想像もつかないわ」
 ふうと息を吐き、紫苑は桔梗の言葉に同意する。
「いずれにせよ、今回のことは、荊州牧の名前でのこと。つまり、一刀さんを支えているのは実質は魏の国力だけれど、形式的には漢の権威なのよ」
 酒瓶を取り戻した桔梗が紫苑の言葉に片方の眉だけを跳ね上げる。彼女は腕を組み、一つうなりを上げた。
「となれば、朝廷に働きかけることでなにかを引き出せるやもしれぬ……か」
「そういうこと。洛陽にいるわたくしたちができるのは、そこだと思うわ」
「ふむ。承知した。あとは昔の伝手を使って、荊州での情勢を探ることとしようか」
 まずは方針を確認し、二人は頷きあう。
 そうして、桔梗が娘と添い寝をするために出て行き、一人残された部屋の中、灯火も燃え尽きた闇の中、紫苑は一人考え続けていた。
「色は色、政は政、か」
 視界に何一つ残さぬ中で、そんな彼女の声だけが静かに響く。
 その後にしたかすかな衣擦れのような音は、彼女が髪を掻き上げた動作のものだったろうか。
「本当にそうであればよいのだけれど。桔梗だけではなく、あの方にとっても」
 その懸念の声を聞く者はおらず、ただ闇の中に消えていくばかりであった。

1 2 3 4 5

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です