第十二回:南方

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3.北行

 川がうがった谷底の縁に出来た道を、一群の騎馬が駆け抜けていく。
 いや、騎馬だけではない。騎馬が中心にしているのは、一台の馬車、否、戦車に他ならない。
 二頭の馬が牽く二輪車には、大きな帽子を被った一人の少女が座っている。その小柄な体で、戦車につながれた馬を操るのは、蜀にこの人ありと謳われる鳳雛こと鳳士元。
 その戦車は、けして乗れないわけではないが馬に騎乗して操るには不向きな彼女と、同じく小柄な同輩の諸葛亮のために作られた特製のものだった。よほどの急な用向きでなければ使われることはないが、騎馬に同道できる優れものだ。
「このあたりは……」
 細い声のために聞き取れず何度か繰り返した彼女の問いかけに、護衛隊の隊長は駆ける音に紛れぬよう声を張って答える。
「街亭のあたりかと思われます!」
「まだ街亭……。急がなくちゃ」
 牽き綱を引き、馬たちに意思を伝える。それと共に速度が上がり、自然、彼女を囲んでいる護衛の騎馬の足も速まった。
 そう、彼女、雛里は急いでいた。
 荊州の領有問題に雪蓮によって投げかけられた難問は、すぐさま早馬を使って成都にいる桃香たちと、南鄭にいた雛里に届けられた。
 成都でいかなる議論がなされたのかは、漢中に留まっていた雛里には詳らかにはわからない。ただ、最終的に朱里は交渉のために襄陽へ向かい、雛里は彼女自身の進言が通り、北上することが許された。
 北――すなわち、今回の問題の大元、荊州牧である北郷一刀のいる、左軍本陣へ向けて。
 朱里は期日の引き延ばしを約束してくれた。彼女がそう言うからには十分自信があるのだろうし、実際雛里も三十日という刻限はあまりに短く、最初から何度かの延長を予定しているように思えた。
 しかし、万が一と言うこともある。ここはとにかく急いで、北郷一刀に会わねばならない。
 そして、今回の雪蓮の宣言を撤回してもらわねばならない。
 それが出来るのは、彼と、さらにその上位にいる華琳、あるいは帝だけだからだ。
 その中で北郷を選んだのは、実権が彼にあることと、華琳のいる場所にたどり着く前に期限が過ぎてしまいかねないことからだ。
 しかし、それだけだろうか、と雛里は自問する。
 おそらく、それだけではない。
 もちろん、実効的に解決の可能性が高いのは、北郷一刀か実際に前面に出てきている雪蓮か、どちらかとの交渉であり、その意味で両方に手を打とうとする自分たちの策は間違っていないはずだ。
 だが、それと同時に、雛里の心には強烈な好奇の念が生まれていた。こんな、どう考えても暴挙としか思えない手を打ってくる北郷という人物に対する関心、そして、その裏に潜むであろうなんらかの計算に対する探求心。
 北郷というのが底知れぬ間抜けである可能性もわずかに考えないでは無かった。しかし、これまでの数回の接触を経て、彼がそこまで愚かではないことは確認している。そして、それなりに知識も知恵もあることはわかっている。
 だとしたら、いかなる心算が、このような事態を作り上げたのか。
 蜀の軍師としても、一人の知識人としても、雛里はそれを知らずにはいられなかった。そして、それを知ることが、今後の蜀にとって最重要と言えるほどの重要事項であることを、彼女は一片の曇りもなく確信していた。
 だから、雛里は急ぐ。
 駆けてくれる馬にさらなる労を求め、彼女を守ってくれる兵にさらなる辛苦を強いる。
 それこそが、蜀の未来を切り開くと、信じていればこそ。
 雛里は、放たれた矢のごとく、北を目指す。

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