第十二回:南方

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2.女王

 襄陽から船を急がせ帰還した亞莎の報告を受け、呉の宮廷は混乱に陥った。
 まして雪蓮のことを知らない文武の官たちは、急に現れた北郷の部下という女性のことがまるでわからず、どう出るべきか考えるのも一苦労という有様だった。
 そんな中、王たる蓮華は当初困惑していたものの、今回の件を取り仕切ったのが白面の女性だったと聞いて逆に肝が据わったようであった。
 重臣陣できちんと討議して方策を決めるので、いまは無闇と動揺しないようにと強い語調で言いつけ、ひとまずその場を収めることに成功したのだ。
「亞莎ちゃんの報告、後に回した方がよかったでしょうかねー」
 謁見の間から小部屋に移った後で、穏がそう口にする。しかし、蓮華は首を横に振った。
「いや、あれでよいだろう。あまり我らだけで決めると後々うるさい。なにより憶測を口にされるのも困るからな」
「あー、たしかにー」
「最終的に私たちに任せてくれたのですから、逆によかったのではないですか?」
 明命が皆の分の茶を淹れつつ言った言葉に、思春が鼻を鳴らす。
「ふんっ。老いぼれどもが自分たちでどうしようもないから我らに押しつけたに過ぎんだろう」
 彼女一人だけが、蓮華の背後を守るように壁にもたれていた。他の面々は茶を淹れ終えた明命も含めて全てが楕円形の卓に着いている。
「思春、さすがに言葉が過ぎる。まあ、張昭が文官をまとめてくれると約束してくれた。そちらは任せてよかろう」
 蓮華は思春に形ばかりの叱責を加えた後で、苦笑を浮かべてみせる。
「それにしても、姉様と一刀め、やってくれる」
「んー。以前、自分を悪役に、と仰ってましたからねえ。まさに自分が憎まれ役になって、着地点を探るというところですか。でも、そううまく……」
「伯言」
「はいー?」
 思春が名を呼ぶのに、指を顎にあてて自分の考えを述べていた穏が顔を向ける。
「先走り過ぎだ。まずはもう一度情報を整理すべきだろう」
「あはっ。たしかにそうでしたー」
 臣下たちのやりとりを聞いていた蓮華も頷いて、亞莎に視線を向ける。
「亞莎」
「はいっ」
「姉様が正確にはなんと言っていたか、ここで語れるか?」
 もちろん、というように勢い込んで頷く亞莎。それから彼女は主に促されて、会談の席での会話を一言一句間違わないように注意しつつ語り出した。

「一刀を主と、自分を部下と呼んだか……」
 聞き終えた蓮華が乗り出していた体を背もたれに戻しながら、力が抜けたように呟く。
「あの方なら……それに、公的な場ですから、それは……」
「本当にそう思うか? 思春」
 思春が慎重に言葉を選んで発言しようとするのを遮って、蓮華は落ち着いた視線を彼女に飛ばす。思春はそのことに身を縮こませたくなるような感覚を覚えた。
「……いえ」
「袁術の時のように、客将ならぬ食客としていることもできたはず。それがわざわざ部下と言ったからには」
 そこで彼女は言葉を切って、ぐるりと皆を見渡した。
「これは、姉様の助言が含まれていると考える方がいいだろう」
「助言、ですかあ」
 さすがに穏ものんびりとした声ながら驚いた様子だった。
 かつての主が国を離れ、他国の臣となっている。そのことに衝撃を受けるならまだしも、そこになんらかの託言が含まれているなど考えもしていなかった一同であった。
 だが、蓮華は確信したように頷いている。
「そうだ。もう自分を呉の人間と見るな、ということだ。一刀の臣であるということは、そういうことだ」
 次いで彼女は腕を組んで少し考えると、目配せを交わしあっている臣下たちに改めて声をかける。
「穏、亞莎。此度のこと、あくまで一刀……北郷の意図として考えよ。姉様は、その枠の中で動いているはずだ。少なくとも当初はな」
「雪蓮様に惑わされず、その後ろにいる北郷をこそ見ろということですか……」
「ああ、その通りだ。もちろん、亞莎や穏だけではない。皆、思うところがあればなんでも言ってほしい」
 その言葉に長い黒髪を揺らすこともなく、明命が手を挙げた。本当に真っ直ぐに伸びた腕が明命らしいなと思いつつ、蓮華は発言を許す。
「その……気を悪くされる方もおられるかもしれませんが、私が思いますに、北郷には時折傲慢とも言えるやりようが見受けられると思います」
「傲慢?」
「はい、最終的に良い結果となるのならば、過程は多少過激でも構わないと申しましょうか……。いえ、そうですね、結果がはっきり見えているだけに、大胆に事を急ぎすぎるところがあると申しあげたほうがよろしいでしょうか。その、今回は、まさにそのような考えで動いているのではないかと」
 全員の視線が自分に集まったことで、話しづらそうにしながらも、明命はきまじめな顔で語る。そういえば、彼女は一刀のことも調べていたな、と冥琳から引き継いだ報告書のことを蓮華は思い出す。
「んー。明命ちゃんの言うこと、わからないでもないですねー」
 しばし沈黙が落ちた後で、穏がとんとんと卓を小気味よい拍子で叩きつつ、明命の主張に同意する。
「あの人は、政治手法を魏のお歴々、特に曹孟德から学んでいます。理論先行というか、理想を目指して一直線というか。孟徳さんにしたって、たしかに悪くない結果に持ち込むんですけど、ちょっと強引ですからねー。実際それで成果は出てるんですけど」
「つまり……北郷にとっては、自分を悪役にしたてればいいというのを、本当に字義通りやっているだけ、というところでしょうか……。しかし、それに両国が乗るとは……」
 亞莎は思考に夢中になってずり落ちかけた片眼鏡を袖ごしに指で押さえながら、口を挟む。
「ですねー。両国の問題だけに、こちらが動かなくても、蜀の動きに合わせて動かざるをえなくなりますからねー。そのあたり、どこまで計算しているのか」
「公謹殿に任せなかった点が気にかかります」
「雪蓮様の劇甚さこそを良しとしたのかも……」
「冥琳様はお子様がいて動けなかったという実際的事情かも」
「一刀さんの場合、『知っている』のかもしれませんが」
 皆が口々に意見を言う中で、ふと穏が漏らした言葉に、亞莎は袖を大きく振って否定する。
「いえ、今回に限ってそれはないかと」
「ん?」
 あまりに派手な動きに、議論に集中していた皆の意識が亞莎に揃う。その注視を受け止めた亞莎は、失策を犯したとでもいうように、袖で真っ赤な顔を隠してぷるぷる震え始めてしまった。
「どうした?」
「い、いえ。その、おそらく一刀様は私が寝ていると思って仰ったことですから、この場で話すべきかどうか……」
 一同は、ああ、と納得する。
 実際に寝ていると思って漏らしたことなのかどうかはわからないまでも、いずれにせよ閨でのことなのだろうと察したのだ。
「それならば、話すに及ばないぞ」
 こほんと空咳をして、蓮華が緩みかけた空気を引き戻す。
「聞いたところによれば、あやつの世界とこの世ではだいぶ道筋が変わっているらしい。赤壁以後は予想もつかない、と言っていたはずだ。そうだったな、思春」
「はい」
「そうですかー。すると、雪蓮様の性格なんかも含めての策なんでしょうねえ」
 それまでの議論をまとめるように、筆頭軍師たる穏が言葉を紡ぐ。
「穏としてはですね。両国がどこまでつっぱるか見るつもりなのではないかと思いますねー。雪蓮様を出してきたのはそのためでしょう。そうしておいて、きりがいいところで和解案を持ってくるのではないかと。
 ただ、呉、蜀が動かせる官、軍の様子を見ておきたいという別の側面もあるのかもしれません。一刀さんに、桂花ちゃんあたりが持ちかけていたら、ということですけどね。もちろん、これは考え過ぎかもしれませんが、このまま動くとそれも見せてしまいますねー」
 それに頷いてから、蓮華はもう一人の軍師に顔を向ける。茹で蛸のようだった顔をなんとか普段の顔つきに引き戻しているのを確かめてから尋ねた。
「亞莎は?」
「わ、私は……。そうですね。けして戦をしたいというわけではないと思います。雪蓮様のあからさまな挑発は、逆に両国に慎重さを求めているということでしょう。ただ、北郷にはそれを辞さないだけの気概と、魏の軍備という後ろ盾があります。戦になることも考えた上で手を打っていると思います。つまり、安易に出兵するのは下策となるでしょう。
 とはいえ、荊州は呉にとって必要な地です。軽々に諦めるわけにはいきません。いまは粘り強く交渉を続けるべきかと」
 二人の軍師の見通しを聞いて、蓮華は考え込む。碧い瞳が熟慮に揺れた。
 もちろん、無法な要求をそのままに受けるわけにはいかない。だが、戦になるというのは論外だ。
 今回の一件は、直接的には彼女が相談を持ちかけたことに起因する。ならば、その幕引きは彼女自身が成さねばならない。しかし、それに兵を巻き込み、民を巻き込んで、ましてや、その命をすりつぶすなど考えられはしない。
 では、どうすると考え、彼女は思わず考えていることを口にしてしまう。
「三十日は……いや、それももうないが……なんにせよ、あまりに短いな。どう動こうにも、動きが制限される」
「円滑な移行を行うためにも百日は必要だと言ってみるのはどうでしょー。半年まで延ばせれば理想的ですかねー。その時期だと、北伐の収拾がついて、一刀さんと直に交渉できますから」
 穏の助言を聞いて、蓮華はもう一度思考の中に沈み込む。
 それからどれほど経ったか、静かに彼女を待っていてくれた臣下たちに顔を向けなおす呉王。
「そうだな、では、亞莎、お前は引き続きこの問題に専従させる。襄陽に戻り、交渉を続けよ。いずれにせよ、あちらの意に沿おうにも、ある程度の時間と話し合いが必要だ。最初にそれを納得させろ」
「はっ」
 次に穏のほうへ首を巡らせる。
「時間ができるかどうかはわからんが、まずは一時的な撤収も視野に入れて、さらに多くの文官を送り込め。これまで以上に荊州の実情をしっかり把握するのだ。表向きは、漢への引き継ぎのための作業と言っておけば文句もつけられまい」
「はいー」
 ん、と頷いて蓮華は少し視線を泳がせたが、最終的にそれは明命へ向かった。
「明命は、その文官たちの増員に合わせて部下を荊州に入れよ。姉様だけではなく、蜀の動きにも目を配るのだ。こちらに情報を伝えると同時に、亞莎にも伝わるように努めよ。いや、こちらへの情報は遅れてもよいくらいに考えろ」
「了解いたしました!」
 そこで思春が蓮華の横に歩み寄る。
「兵の増派は」
「いまは無用だ。刺激したくないからな。ただ、水軍の用意はしておけ。頼めるな?」
「無論」
 指示を出し終えて、再び蓮華は皆の顔をぐるりと見回す。そこで、亞莎が一言、あっ、と間の抜けた声を上げた。
「どうした?」
「洛陽の小蓮様へはどうお伝えしましょう? おそらく洛陽に残っておられるであろう冥琳様を通じて雪蓮様の動向を窺うという手も考えられますが……」
「んー、それどうですかねー。逆に冥琳様に私たちの動きを読まれることになっちゃわないかなあ。あの人がすでに見透かしている分は別としてですけどねー」
「たしかに。こちらが動揺していると思わせるのは得策ではありません」
 ふむと頷いて、蓮華は腕を組み直す。
「あれには、必要なことだけを簡潔に伝えよ。冥琳との接触は無駄であろう。冥琳と小蓮では、年季が違いすぎる。それよりも、魏や一刀の考えが奈辺にあるかを調べるように。あとは、そう、朝廷の動きにも注目させろ。そのあたりは、小蓮ではなく、明命の部下があたれるか?」
「はい。洛陽には数を入れていますから」
「では、そのように。シャオは顔に出やすいからな」
 語調を緩めて彼女がそう言うと、皆が小さく笑った。
 それが解散の合図となり、呉の重臣たちは、王の意を受けて、それぞれに足早に部屋を出て行く。残ったのは二人。王たる蓮華と常にそれに付き従う思春だけだ。
「それにしても、問題は」
「はい」
「一刀が姉様の手綱を御せているのか、ってことなのよ」
 かわいらしく小首を傾げ、頬に指をあてて憂い顔を見せる蓮華に、思春はなんと言っていいのか迷う。
 雪蓮も一刀もよく知る相手ではあるが、まさかこのような形で対しようとは思っても見なかっただけに、思春の判断も様々に揺れざるを得ない。
「……あの方を押しとどめることなど、公謹殿以外が出来るものでしょうか」
「そこなのよねえ……」
 でも、と、彼女は呟き、その明るい髪を揺らす。
「せめてそうであることを期待しているわ。あの人の暴走につきあうよりましだもの」
 しみじみとそう言う主に、思春はなんとも微妙な表情を浮かべるしかないのだった。

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