第十二回:南方

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1.荊州

 北で動きが活発になっている頃、南でも大きな動きがあった。
 北伐左軍の大将である北郷一刀が、北伐への出陣直前に、南の大州荊州の州牧に任じられたと発表されたのだ。
 同時に、荊州牧の名で、彼の地を実質支配している蜀・呉の両国の代表が荊州の治所、襄陽へと招かれた。
 名目上の支配者たる州牧の下、荊州の領有問題の解決を図ることとなったのである。
 その襄陽の城中を一人の女性が行く。
 常なら持つ青龍偃月刀を今日は儀礼用の剣のみに代えて、それでも胸を張って颯爽と歩くその人物こそ美髪公関雲長。
 今回の会談の蜀側代表、愛紗であった。
 蜀から送り込む人間として愛紗が選ばれたのは、押し出しの強い人物のほうがいいだろうという桃香の考えからだった。
 これが論戦ならば朱里、雛里のほうがむいているのは確実だ。
 だが、どちらにも言い分のある領土問題で大事なのは、相手を論破することではない。自国の主張をしっかりと示すことだ。
 桃香が皆との話し合いで論じたのはおおむねそんなところだった。もちろん、彼女なりの柔らかな言葉で、もっと長い話ではあったけれど。
 愛紗も桃香の案に賛成した。
 蜀の軍師勢はいずれも優れた能力の持ち主だが、迫力には欠けるところがある。
 理論は彼女たちに担当してもらい、実際に発言するのは自分とするのが妥当なところだろう。そう彼女自身考えていた。
 そんなわけで愛紗はいまここにいるのだが、その彼女にはこのところ少し気にかかることがあった。
「桃香様は何を悩んでおられるのか」
 孫策の葬儀から帰って来て以来、我らが主は物思いにふけることが増えたと彼女は感じていた。
 そして、何かある度に、色々と周りに聞いて回っているのだ。
「いや、あれは悩みか……?」
 彼女は首をひねる。
 間違いなく考えに沈んでいる時間は増えているように思う。しかし、それが何かを憂えているというのとは微妙に異なる気がするのだ。
「真面目に何事かを考えておられるようにも思える。そうだとすれば、喜ばしいことだ。しかし、悩みであるならば……」
 悩みであれば、相談してもらえない自分たちが不甲斐ない。
 だが、主が物事を深く考えるようになっているのならば、それはめでたいことで、口を出すことではない。
 なかなかに悩ましい事態であった。
 だが、もしかしたら、こうして彼女を心配している自分のように、ぼんやりと形になっていないものなのかもしれないとも愛紗は思うのだった。
 そう一人で考えているうちに、あらかじめ案内されていた会議場に着く。部屋に入ると、既に呉の代表たる鋭い目つきに片眼鏡をかけた少女――亞莎が卓についていた。
 軽く挨拶して、彼女も卓に座る。
「州牧側はまだか?」
「はい。我ら二人が揃った後にと。あ、そこの方、知らせて来て下さいますか」
 部屋を見回して尋ねる愛紗に応えて、亞莎は茶を淹れてくれた侍女に言葉をかけた。侍女はそれに応じて頭を下げ、部屋を出て行く。
「誰が来るのか、知っているか?」
「いえ。一刀さ……北郷の配下の誰かだとは思いますが、大半が北伐に参加していて不在なはずですから……」
 亞莎は困ったように首を傾げる。
 彼女の言う通り、北郷一刀の下にいて、なおかつ名のある者は、大半が北伐に参加している。
 月が残っているはずだが、彼女は表には出てくるまい。
 愛紗はそこまで考えて、ふと感慨深く一人の男のことを思い返す。
 北郷か……。
 彼女は北郷一刀とはほとんど接触したことがない。
 彼が成都に滞在した折も、挨拶は交わしたもののそれ以上つっこんだ話はしなかった。彼につきまとう悪評を考えると、あまり愉快な男でもないだろうと決めつけていたのだ。
 紫苑がしかけた決闘――あれは間違いなく模擬戦などという生ぬるいものではなかった――を見て、少しは見直したものの、その後の短い滞在期間中には接する機会を作れなかった。
 白馬義従が抜けて、蜀軍の再編を急がねばならなかったこともあって、愛紗自身やるべきことが多すぎたためだ。
 いま考えれば、彼女自身にも焦りがあったのだろう。白馬義従と白蓮の離脱はそれなりの心理的負担を彼女に強いていた。
 評判だけで判断するようなことをしてしまったのはそのせいかもしれない。
 いずれ、きちんとどのような男なのか確かめてみなければなるまいと思ってはいたのだが、それをする間もなく、こうして問題に対処するはめになってしまった。
 正直、愛紗は強く後悔していた。
 とはいえ、いまはそれを悔やんでいる場合でもない。
 誰が来るにせよ、なんとかするしかない。そう覚悟を決めようとしたところで、そこに現れた人物の姿を見て、彼女はぽかんと口を開けた。

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