第八回:熱波

1 2 3

 

3.千年の祭り

 数え役萬☆姉妹の北伐記念公演は大盛況であった。
 既に、現地に向かう兵士向けの慰安公演は終わり、十日前からは洛陽の民に向けての公演が開かれている。
 戦の間の民の気持ちを安定させるためもあって、いくつもの都市を行き来する、彼女たちにしても珍しいくらいの長期公演の日程が組まれていた。
 今日はひとまず洛陽での公演が最終日ということもあり、とてつもない人出と熱気になっていた。
 一刀によって導入された『あんこーる』まで全舞台を終えた三人は、裏方のねぎらいの言葉を受けながら、特別にあつらえられた控え室へと下がっていく。
 本来ならば洛陽公演第一期最終日ということもあり、裏方を含めて大勢で盛大に打ち上げといきたいところだが、姉妹の人気の高まりが激しすぎて、そうそう気楽に飲食店に出歩くというわけにもいかなくなっていた。
 そもそも会場を抜け出そうにも、公演に興奮した人々は会場からなかなか出て行こうとしない。そんな中に彼女たちが現れれば大騒ぎだ。
 しかたなく、三人は会場の熱気が冷め、人々が周囲からいなくなるまでこの控え室に居座るはめになる。その後は兵士が護衛して、王宮にという手筈になっていた。
 王宮でささやか――というのは華琳の言だから怪しいものだが――な慰労会が待っているらしいが、たどり着く頃にはもうろくに体力が残っていないだろう。
 数え役萬☆姉妹の頭脳、末妹の人和はそう予想している。
 いまも興奮が冷めていないため動けているだけで、体力自体はもうほとんど残っていないのだから。
「あー。今日もたのしかったねーっ」
 言いながら舞台衣装を脱ぎ捨て、下着だけになってしまう長姉天和。
 豊麗な姿態があらわになって、人和は見慣れているとはいえうらやましく思う。女としてというのももちろんあるが、あの伸びやかな体は舞台で特に映える。
「天和ねえさん。はしたない」
「だってー。暑いんだもーん」
 人和の注意にも動じた風はない。
 ただ、脱ぎ散らかした舞台衣装はきちんとたたみ直すあたり、多少は気にしているのかもしれなかった。
「どうせなら、お風呂沸かす? ちぃも汗流したいし」
 喉の渇きを潤した後、ぱたぱたと手で顔を扇いでいた地和が提案した。
 控え室は長期公演のためにかなり気を遣った作りをされていて、奥の一角には風呂桶のある部屋が用意されていた。
 ただし、安全性を考えてあまり火力を強められない構造のため、湯が沸くまで時間がかかるのが難点だ。
「あっためなくても水でいいんじゃない? 暑いよ」
「たしかにー」
「そうね。あまり長く浸かっていなければ、無闇と冷やすことにもならないでしょう。どうせ甕の水もぬるくなっているだろうし」
 三人の意見が一致して、彼女たちは協力して大甕の水を桶に注いでいく。
 余計に汗をかいた三人は皆、水を張った桶を物欲しげに眺めていた。
「ふぃー。さって、入ろうか」
「誰が最初?」
「え-? みんなで入ればいいじゃない」
 天和の提案に残りの二人は少々驚くが、桶は十分大きいし、三人姉妹で誰に遠慮するでもない。
「それもそうね」
 そうして、三人の歌姫は生まれたままの姿になると、その白い肌を水に埋めていくのだった。
「あぁー」
 水の感触が心地いいのか、地和がため息のような気の抜けた声をあげるのに、天和がけらけらと笑う。
「変な声ー」
「しかたないでしょー。さすがに疲れたし」
「完全燃焼って感じだよね」
「燃え尽きちゃわないで。次は長安公演が待ってるんだから」
「大丈夫だよー。まだまだ歌いたいくらいだもん」
 そんな風にふざけ合いながらも今日の公演の出来や今後の出し物について語り合っていると、ふと地和が虚空を睨んで呟いた。
「華琳様のあれ、なんだったのかな」
「ん……」
「言ってたことはなんとなく……。でも、なんか難しいよねえ」
 地和の言うのは、開場前に激励に来てくれた華琳の言葉だった。
 彼女は予告もなくふらりと彼女たちの前に現れると衝撃的な言葉を残していったのだ。
 あれは、きっといくつも播いた種のうちの一つなのだろう。
 人和は少しぬるくも思う水に、それでも体の熱が吸収されていくのを感じながら、そう考える。
「あなたたちには、千年の祭りの(かんなぎ)となってもらいたいのよ」
 華琳は確かにそう言ったのだ。
「千年の祭り……?」
 怪訝そうに聞き返したのは天和。しかし、三人ともにその言葉に理解が及ばなかった。
「あなたたち、舞台をやっていて、そこに参加する人々の『熱』を感じたことはない?」
 それはもちろん感じる。
 舞台の上で飛びはね、歌う彼女たちに向けられるそれは、熱ければ熱いほど、さらに彼女たちを燃え立たせて、すばらしい表現を生み出してくれる。
 それは歓喜であり、欲望であり、純粋な思慕であり、そして、なによりも形のない熱狂だ。
 それが渦巻き、自分たちを取り巻き、そして、己の中に入り込んでさらなる奔流となって舞台全体を包み込んでいくのを、彼女たちはほとんど忘我のうちに感じている。
 それは、別の言い方をすれば、寄り集まった膨大な『氣』。
「あなたたちも、いえ、あなたたちこそ感じたことがあるはず。民の、方向性のない血のたぎりを。なにを望んでいるのか、なにを願っているのか、あるいはなにを悔しく思い、なにを憎んでいるのか、そのことすらわかっていない民の、生のままの情念」
 おそらく、華琳もそれを感じているのだ。
 三人はそう直感した。
 彼女たちがそれを感じるのは舞台の上。
 けれど、華琳が感じているのは、日々の政や、戦の時だろう。
 そこにあるのは、娯楽を主とする彼女たちの感じるものより、さらに切迫したものであるはずだ。
「それは方向性を持たない。だから、誰かが制御してやる必要がある。時に英傑がそれを御して国を興し、あるいは戦を起こす。だが、時に巫覡(ふげき)がそれを成す」
 華琳はそう言うと、懐かしむように笑った。
「そう、あなたたちは黄巾でそれをすでに経験している」
「でも……」
 三人の脳裏に、かつての黄巾の乱の有様が思い浮かぶ。
 ただちやほやされていたはずが、いつの間にか大陸を巻き込む争乱へと変質していくのを、最初は気づかず、気づいても止めることが出来なかったあの日々。
「ええ、失敗したわね。御しきれずに暴走して……。いえ、あの頃は、きっと御すことすら考えずにいたのでしょうけれど」
「もう一度……それをやれと……?」
 そう問いかけたのは誰だったろう。
 人和は自分だと思ったが、あるいは三人全員がそう思っていたのかもしれない。
「その通り」
 華琳は首肯するとしっかりと真正面に立ち、彼女たちに語りかける。
「いま、人々は落ち着いている。けれど、それは所詮皮相的なもの。その奥では戦乱の世の火がいまだくすぶっている。あの黄巾の乱を引き起こした炎がね。私はその熱をあなたたちに御してもらいたい。そして、それを昇華させてもらいたい。一時の熱狂ではなく、時を経ても蘇る、真の熱情へと。
 そのために必要なのよ。
 彼らの熱を、彼らの思いを遂げる祭りが!
 百年、五百年、千年続く祭りが!
 形なんて変わってもいい。意味なんて失われてもいい。民の熱情をまとめあげ、ほとばしらせる生命の祭りという本質さえ消え去らなければ」
 彼女たちは歌を歌う。
 恋の歌を、日々の悲しみと喜びを歌う歌を。
 だから、言葉の持つ力を、そこに込められた本当の意味を理解している。人の心に届くということの意味を知っている。
 その彼女たちでさえ、いま目の前で言葉を発しているその人の放つほどの力を、感じたことがなかった。
 三人は目の前にいる人物の正体を改めて思い知った。
 小さな体の少女が、いまは彼女たちをはるかに見下ろす巨人に見える。
 その巨人こそが、三国を統べる覇王。
「国を滅ぼすがいい。国を興すがいい。全てを破壊し、全てを再生するがいい。あるいは一万年の帝国を築くがいい。彼らがそれを望むならば。ただ、私が願うのは、ただ一つ」
 真っ直ぐに差された指が心臓に突き刺さるのではないか、と三人は恐怖に戦く。
「民がその身に秘める、燃え上がるような生命を解放させる祭りを起こし続けること」
 そして、と覇王は続ける。
「あなたたちは、その最初の巫女王となるのよ」
「華琳様……」
 三人は呆然と彼女の名を呼ぶしかない。
 彼女の投げかけた役目は、それほどまでに凄まじいものだった。
「でもね」
 華琳はそこで柔らかく笑った。華やかな、けれど、希望に満ちた笑み。
「どうやるかは、あなたたち次第よ」
 今日の公演もがんばるのよ、と激励を言い置いて出て行く少女を、彼女たちは黙って眺めるしかなかった。
 言われた通り、民の中で火はくすぶっている。いや、燃え続けていると言っていい。
 三国に平和は訪れたものの、統一はされなかった。
 旧弊と言われた漢は倒れなかった。
 その中途半端さは、民衆になんとなく納得できない気持ちを抱かせていた。
 しかし、その一方で、民は平和を望んでいた。戦で焼け出されることもない。難民となって飢えることもない。目の前の娯楽を楽しむ余裕のある生活を望む気持ちもまた強い。
 それらの感情はまとまったものではない。それぞれの人々が様々な事を考え、思い、行動している。
 だが、熱気は冷めぬままにそこにあるのだ。
 根源的に言えば、それは、生きたいと思う情熱だ。
 そのことを彼女たちは公演を通じて感じ続けていた。
 戦は終わった。
 民を鼓舞し、魏の軍に新兵を送り込むという彼女たちの任務も終わった。
 しかし、三人の誰にも活動をやめるつもりなどなかった。
 ならば、彼女たちが煽る熱は、どこへ向かうのか。
 舞台で感じる熱は、彼女たちが公演を行う度にさらに膨れあがる。それをどこへ持って行けばいいのだろう。
 これを舞台で消費するだけで、いいのだろうか?
 それは、彼女たち自身うすうす感じていた疑問だった。
 その『熱』を、華琳は御してみせろと言う。
 矛盾し、拡散し、ただ無闇と発散されるものをまとめあげ、方向性を持たせてみせろと言う。
 その熱を、自分たちに向けるわけにはいかない。黄巾の乱をもう一度起こすなど、まっぴらごめんだ。
 だとしたら。
 それを向けるべきはどこなのか。
 曹孟徳という覇王か、あるいは……。
 そんな物思いを、不意に部屋の外からかかった声が途切れさせた。
「おーい。開けてくれー」
 その声は、なじみ深いもの。
 既に体にしみ通って、自分のものになったような声。しかし、けして、ここにいるはずがない人のもの。
「えっ、一刀!?」
「呉に行ってるんじゃ!?」
 姉と妹の二人が驚いて声をあげている間に、真ん中の地和ははしっこい動作で湯船を飛び出すと、水をしたたらせた裸身のままで扉に駆けつける。
 彼女は戸を開けると外にいた人物を中に引きずり入れた。
 そこにいたのは、北郷一刀。
 少し服はよれ、髪は乱れて疲れ切っているようだったが、彼女たちが愛する青年に間違いなかった。
「うわっ! なんて格好してるんだよ、地和」
 目を白黒させて驚く一刀に構わず地和は扉を閉めて、改めて彼に抱きつく。一刀の服が濡れることなどもちろんお構いなしだ。
「来てくれたんだ……!」
「ああ、夕方に洛陽についてさ。今日が洛陽での千秋楽だって聞いて駆けつけたんだ。最後の曲とアンコールには間に合ったよ」
 でも、なんで、裸の上に濡れてるんだ?
 疑問を呈する一刀だったが、己の胸に顔を埋めて名前を連呼している地和を抱き返すのは忘れない。
「ちーちゃん、ずるーい」
 ぽたぽたと水滴を垂らしながら天和も部屋に出て行くのを、人和が乾いた布を持って追いかける。
「うわわ、天和も裸かよ。って、人和まで裸で!」
 その青年の慌てた、けれど温かな笑みを見て、人和は思う。
 もしかしたら、ここに答えがあるのかもしれない。
 しかし、彼女はまずは愛しい人に会えた喜びに、持っていた布を投げ捨てて、喜色満面で彼に抱きつくのだった。

1 2 3

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です