第八回:熱波

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1.未来

 葬儀も滞りなく終わり、名実ともに呉の女王となった蓮華は部下たちを連れて、魏王の名代、北郷一刀との宴席に臨んでいた。
 魏側は一刀、霞、大使の真桜という面々。しかしながら、この時点で、華琳の直臣は真桜一人であった。
 もちろん、覇王の盟友にして名代たる一刀が重視されないわけもなく、いかに一刀を介した陪臣の立場になっているとはいえ、神速の張遼が軽んじられるわけもないのだが。
「さて、葬儀も終わったことであるし、礼や連絡のために、華琳宛に書簡をしたためた。洛陽へ持ち帰ってくれ」
「了解。必ず渡すよ」
 蓮華からの書簡を胸元に収め、一刀が確約する。
「とはいえ、細かい打ち合わせは洛陽を出る前に事実上終えている。今日は宴を楽しもう。葬儀の直後とて、ささやかな内々の宴だが、そのほうが落ち着いて語り合えるだろう」
 さすがに喪に服している蓮華が芸妓や楽団を呼んで賑々しく宴を開くわけにもいかない。幹部勢だけの晩餐に止める他は無かった。
「皆も楽しんでくれ。はめを外さない程度なら崩した態度でかまわん。いいな、一刀」
「ああ、もちろん」
 その声に、居並ぶ面々からわっと楽しげに声があがった。
 かりそめとはいえかつての主の葬儀を行うことが緊張を募らせていたのか、あるいはその真実を隠すことそのもので心が張り詰めていたのか。
 いずれもあるだろうが、それを解きほぐせるとなれば乗らない手はない。
「一刀さーん。一献いかがですかー?」
「お。ありがとう、穏。呉の酒や料理は久しぶりで楽しみなんだ」
 そそ、と近寄って一刀に酒を勧める穏。
 これには服喪中とて酒を飲めない蓮華への配慮もあって買って出た部分もあったろう。
「うちはもっと久しぶりやー。真桜はもう慣れたか?」
「せやなあ。海のもんが出るのは珍しゅうて楽しかったなぁ。やけど、それもしばらくお別れやな」
 霞と真桜の会話に耳を傾けていた蓮華が口を挟む。
「そういえば、右軍は私たちが抜けて大変かもしれないけど……」
「あー。そこらへんは、元から予定通りだったわけやし、軍師はんらがしっかり考えてくれてると思うんやけど」
「はいー。しっかりお米を運ぶ準備は出来ていますよー」
 穏が一刀だけではなく、霞と真桜にも酒を注ぎながら答える。
 ひょいと酒瓶が彼女の手から奪われ、一刀が返杯と手つきで示す。穏はにこにこしながら酒を注がれつつ続ける。
「北の兵達さんたちは麦の方が好みかもしれませんけど、米も腹持ちがよくていいですよー」
「蓮華様! 私たちが前線にいくことはないのですか?」
 そこに明命が少し離れた席から元気よく手を挙げて尋ねる。蓮華はその元気さを快く思いつつも苦笑して答えた。
「まずはしっかり国内をまとめないと。姉様たちが抜けて、やることは増えているのだから」
「ごもっともです。とはいえ、幼平の言うこともわからないではありません。我ら武官は戦場がなくば、己の職分を果たせませんから」
「そのあたりは明命や思春殿のような人物が存在するだけで国内の諸勢力に睨みがきくわけでして……」
 思春と亞莎も参戦し、会話は際限なく広がっていく。部下が話すに任せ、蓮華はその様子を眺めている。
 穏と霞、真桜も加わってさらに話が広がっていったあたりで、蓮華は同じように話には加わらず、笑みを浮かべて酒を飲み、料理に舌鼓を打っている一刀に話しかけた。
「桃香たちとは話す時間がとれたかしら?」
「ああ、少しだけね。あの二人とはあまり親しくしていないから、今度ゆっくり話がしたいかな」
「そのほうがいいわね。桃香は一刀に興味があるようだったし」
「ええ?」
 蓮華の言葉に男は目を丸くする。彼女は少しだけ意地悪な口調で、すかさず付け加えた。
「華琳の横にいる男として、ね」
「ああ、そういうことか。それならわかる」
 ほっとしたように呟く一刀。
 ああ、この男は本当に、わかっているようでわかっていないのだな、と彼女はおかしくてたまらない。
 華琳の横にいるということがどれだけ重要な事であるか、それをわかっていながら、自分がどれだけの人間であるか、そのことはさっぱりわかっていない。
 あるいは、この男は自分で測ろうにも……。
 そこまで考えたところで、蓮華はふと小首をかしげた。心に泡のようにわき上がるものを、さっととらえて口にする。
「私も一つ聞いてみたいことがある」
 そうか、私はこの男に聞いてみたかったのか。
 自分でも口にしてから腑に落ちる。なにかに導かれるように、彼女は自然とそれを口にしていた。
「この呉が三国での地位を保つにはどうすればいいか」
 そうして口調を元に戻し、彼女は真っ直ぐに彼の目を見て問いかける。
「どう思う、一刀?」
 一方の一刀は酒杯を口元に寄せたまま、彼女の視線を受け止めていた。
「俺に聞く?」
「ああ、そうだ。魏の盟友たるお前に。覇王の友たるお前に」
 そこで、蓮華はふんわりと表情を柔らかくする。
「我が友、北郷一刀に聞きたいの」
 横で聞くとはなしに聞いていた霞が思わず小さく呟く。
「うわ、さすが女王。一刀の殺し文句をよう心得とる」
 おそらく他の者たちも主の発言には注意を払っていたのだろう。ほんのわずか、会話の進行が遅くなり、その声も低くなる。
「そうだなあ……」
 しばらく考えてから、一刀は話し始めた。
「大前提として、呉には三国の中で一番の発展余地があると俺は見ている。江水によって作り上げられた広大な耕作可能地帯は膨大な人口を養うことを可能とするし、国力に直に影響してくる。時が経って各地に人々が入植を終える頃には、新しい農法や器具も発展して、さらなる収穫量の増大を招くだろう。だから、この国自体が無理してなにかを求める必要ってのはないと思う。それよりも、その発展を支えるための下地を作り上げなきゃいけない」
「ふうむ」
 三国の中で一番発展するだろうと言われても、蓮華には実感がない。しかし、ここで口を挟むわけにもいかない。
 彼に意見を求める以上、この時代の常識を述べてもしかたないのだから。
 ここは北郷一刀の見る世界を引き出すべきだろう。それが実際に参考になるかどうかは別として。
「なんといっても不安要素を払拭するべきだろう。山越問題を解決すること。荊州の領有問題を解決すること。この二つこそが、呉の課題だと思う」
 その二点には蓮華も同意できた。
 幸い、王位を継いだことに国内の豪族たちは激しい反応を返していない。おそらく信頼を寄せているというよりは、様子見をしている者が大半であろう。
 だが、なんにしろ平穏は保たれている。
 問題があるとすれば、山越や賊の類、そして、蜀と主張の食い違う荊州だ。
「山越問題に関しては、長い目で見ていく話なんだと思う。俺がそうそう言えることはない。亞莎たちもしっかりそのことは捉えているはずだし」
 名を出された亞莎が急に背筋をぴんと伸ばす。
 そのことに、穏が小さく笑いを漏らしていた。
「俺としてはまずは荊州を解決すべきだと思う。小競り合いでも緊張状態が続けばそれだけ兵を必要とするし、それに伴って費用もかかる。それよりは国境線を画定して、そこをしっかり守るほうがたやすいし、民にもわかりやすい。恒久的な砦を築けば、軍屯も進められるだろう」
「言うことはわかるわ。でも、領土問題はそう易々と解決するものではないでしょう」
 困ったように眉間に皺を寄せる蓮華。実際、困りものなのだ。
 こちらにはこちらの、あちらにはあちらの言い分と展望がある。そう簡単に折り合えるものでもない。
「蓮華様の仰る通りだ。一度引けば、さらにねじこめると思わせてしまう。毅然たる態度で自国の主張を貫くことが重要なのだ」
 我慢できなくなったのか、杯を置いた思春が参戦してくる。
 次いで、酔ったのか、あるいはこの会話に知的興奮を覚えているのか、ほんのりと頬を染めた穏が口を開いた。
「そーですねえ。正当性だけで言うと、我々も蜀も正直それほどたいしたものがあるわけではないのですが、一度そう主張した以上、簡単に曲げるのは……。特に、こちらからというのはまずいですねえ」
「い、いまだけなら相手が桃香さんですからなんとかなると思いますが、我々の後の世代に影響が出てしまうことも……」
 長い袖で顔を隠しながら、穏の意見を補足するのは亞莎。もはや、場の会話は一つに絞られてしまっていた。
「ただ、実際の所、荊州での小競り合いに関しては蜀も嫌気が差している部分はあると漏れ聞いております。どこかで妥協点はあると思いますが……」
 これは明命。漏れ聞いている、と言うが実際には自分とその部下が集めた情報を分析してみた結果だろう。
「まあ、一番どうにかしてほしぃんはその地域の民やろなあ」
「為政者がころころ変わるんは慣れてるとはいえ面倒やからなー。年貢の二重取りとかされてみ。たまったもんやないで」
 霞と真桜が、少々冷めた口調なのは、部外者として距離を置こうとしているからだろう。
 しかし、元々庶人の出の真桜は、霞に比べるとほんの少し熱が乗っている。
「さすがに、そのようなことはないよう注意しているけど……。でも……」
 皆の意見をたまに頷いたりしながら聞いていた一刀は、発言が途切れた合間に、再び口を開いた。
「難しいのはよくわかる。俺だって、片方が頭を下げてそれでおしまいになるとも思ってないよ」
「では……どうすればよいとー?」
「こういう時のために、都合のいい存在があるじゃないか」
 そうして、彼はぐるりと座を見渡して、いたずらっぽく、こう言ってのけるのだった。
「俺を悪役に仕立てればいいのさ」
 と。

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