第七回:桃園

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3.御遣い

 蜀王劉備が訪れた時、北郷一刀は――葬礼の直前だというのに――大使館の一室で仕事に追われていた。
 黄龍に乗って二日も潰してしまったので当然の成り行きであった。
 それが重々わかっている彼は、ひーひー言う間もなく報告書や資料と格闘を続けていたのだ。
 蜀王の到来を知らされ、慌てて散らかった書類を片付け、よそ行きの『ぽりえすてる』に着替える。
 そうして、しばらく待っていると、案内に連れられた蜀の王がやってきた。
 いつも見るよりもずっと格式高い壮麗な服を身に着けているのは、このまま葬礼に向かうつもりであることを如実に現していた。
 ちょうどいいな、と自分の格好をちらっと確認する一刀。
 ただ、驚いたのは、劉備が一人でやってきたことだ。彼としては、てっきり護衛に張翼徳もついてきていると思っていたのだが、そうではないらしい。
 とはいえ、大使館と王宮を往復するくらいで、そこまでのことが要求されるほど治安の悪い都市ではない。そもそも、呉側の護衛がついているのだろうと彼は納得した。
「こんにちは」
「いらっしゃい、玄徳さん」
 部屋に招き入れ、お茶を勧める。霞や真桜を呼ぼうかと提案したのだが、今回は二人でということだった。
「みなさん忙しいでしょうし」
「一番大変なのは王である玄徳さんでしょう」
 その問いに、彼女は微妙な顔付きを示す。
「弔問の代表ではあるけれど、主役じゃないですし。呉の民と雪蓮さんが主でしょう?」
「まあ、それも……ですけどね」
 秘中の秘たる事実を思い、二人は苦笑いを交わす。
「そうはいっても、時間があるわけじゃないですし、少し聞きたいこともあるので、話を進めていいですか?」
「ええ、もちろん」
 少しもじもじしながら切り出す女性を眺めながら、一刀は快諾する。
 蜀の王とはこれまであまり接する機会がなかっただけに、あちらから興味を持って質問してくれるのはかえってありがたいくらいだ。
 劉玄徳の名を持つ彼女は、一刀の答えにほっとしたようで、ようやくのように、彼女によく似合う柔らかな笑みを浮かべた。
「天の国には、学校っていうのがあるんですよね?」
 彼女は口を開くと一気に話し続ける。
「いま、蜀では国がやる塾を作っていて、この間、ようやく形になったところなんです。その名前について『学校』ってすればいいって華琳さんに言われた……というか、お手紙に書いてあったことがあって」
「へぇ」
「よくよく聞いたら、それって元々は北郷さんの知ってる言葉だって聞いて。興味あったんです。教えて……もらえます?」
 そんなことならいくらでも、と一刀も安心しながら答え始めた。
「ああ、いいよ。そうだな、俺のいた国だと……」
 それから彼は自分の国の公教育制度を説明した。
 教育制度をのお手本を大陸に求めた日本の制度を――さらに古い時代の――大陸の人間に教えていることに改めて不思議な気分を覚えながら、彼は懸命に説明する。時間を考えて、出来る限り手短に。
 馴染みのないものであるため、途中から紙に書き、後に残るように配慮して、二人は話を進めていく。
「……っと、こんなところかな」
 大学までの大まかな制度から、それぞれの学生生活の雰囲気までを話し終え、一刀は筆を置く。すっかり渇いた喉に、ぬるくなった茶を流し込む。
「すごいんですねー、天の国って」
 図解や説明の書かれた長い紙を手に持って眺めながら、感心したように呟く。それに対して一刀は軽い苦笑を浮かべた。
「いいところも悪いところもあるけれど、できれば、皆にとっていいものがこの大陸に根付いてくれたらな、と思うよ」
「悪い部分もある?」
 桃香は大きな目をさらに見開いて驚く。天の国と言えばすばらしいものが溢れているものだと単純に思っていたのだ。
「そりゃあね」
 肩をすくめる一刀を見て、桃香は何事か考え込むように顎に指をあてる。
 無心に考えている彼女を邪魔しないよう、一刀は黙って新しい茶を注いで待っていた。
「あの、もう一つ聞いても?」
「ん? うん」
 奇妙に真剣な表情で問いかけられ、一刀はこちらも顔を引き締めて頷き返す。
「北郷さんは、なんでこの世に?」
 その問いに、彼は身を震わせた。
 表情が消え去り、次いで苦しそうに歯を食いしばる。けれど、それを収めて、一刀は小さく笑みを浮かべることに成功した。
「さあ、なんでだろうね。俺にもわからない」
 彼は桃香の目を覗き込むようにして語りかける。
「ただ、いまは思ってることがある」
 一刀は淡々と語る。
 けれど、桃香はその彼から目を離すことが出来ない。まばたきをすることさえ忘れたように、彼女は彼を見つめている。
「俺がここにいることに意味を与えられる者がいるとしたら、それは紛れもなく俺自身だってことさ」
「意味……」
「だからね、俺は俺が、ここで生きている意味を作り上げたい。……と言ってもやれることをやるだけだけど」
 それから彼は小さく笑う。
 寂しそう。桃香はそれを見て思った。
 嬉しそう。一方で彼女はそう思った。
「俺のいた世界に、悪い部分があるのか、って聞いたよね?」
「は、はい」
「あのね。俺の世界には、とてもとてもたくさんの人間がいた。そして、いくつもの国があった。十や二十じゃない。百単位だ」
 そんなにも国があって、どうやって衝突せずに暮らしているのか。
 一刀から聞いた学園生活は平和そのものだった。だとすれば、それだけ多くの国が並立できるなにかがあるのか。
 だが、その希望は、彼の次の言葉で打ち砕かれる。
「なにしろ人間も国もたくさん。そして、それぞれの理想や思惑があるわけだから、戦争だって起きる。こちらで行われるよりさらに長くひどい戦争もあった。幸い、俺のいた国は長い間平和だったけれど。それだって、俺の祖父母、曾祖父母の世代が戦争の末に築いたものだよ。けしていいことばかりじゃなかった」
「それは……。でも、そんなにたくさん?」
「うん。なにしろ、全世界で約六十八億人いたくらいだから」
「六十八億……」
 その数に、思わず桃香は目をつぶってしまう。数のあまりの大きさに瞬間的に恐怖を感じてしまったのだ。そんなにも人が溢れているのか、天の国は。
「六十七億九二〇八万九二七一……いや、六十七億九二〇八万九二七三だったか」
 小さく呟くその声の、なんと重いことか。
 その響きの、なんと苦しげなことか。
 目の前の男がなぜそれほどまでに苦しんでいるのか、彼女に思いつくことは一つしかなかった。
「戻りたいと……思ったことはないの?」
 その言葉に、彼はびっくりしたようにのけぞった。それから一刀は姿勢をなおし、手を大きく広げた。
「俺が戻りたいと思ったのはね、玄徳さん」
 彼が抱きしめるように伸ばす腕のその先にはこの部屋の窓、そして、大使館の外に広がる空がある。
「ここだよ」
 そうして、彼は笑みを浮かべる。
 先ほどのように寂しそうでもなく。
 今し方のように嬉しそうでもなく。
 ただ、決然とした透明な笑みだった。
 桃香はその笑顔を見て、この男に真名を預けてもいいと不意に思った。
 そうして、彼女はその通りにして、以後、二人は真名と名で呼び合うようになるのだった。

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