第七回:桃園

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2.桃と蓮

 北郷一刀が華琳の名代として挨拶にやって来たその夜。
 蜀の王桃香は、義妹の鈴々と共に、王宮に与えられた一室で夕食を摂っていた。
「うーん?」
「お姉ちゃん、どうしたのだ? 箸があまり進んでいないのだ」
 つるつるぷるんという極上の食感を伝えてくる大ぶりの水餃子をいくつも頬張っていた鈴々が、一度全部呑み込んでから尋ねてくる。
 桃香は普段から鈴々ほどは食べないものだが、今日は特に食が進んでいないようであった。
 こんなに美味しいのにどうしたのだろう?
 鈴々は疑問に思う。
 蜀の餃子と違って具に海産物が多いからだろうか。それとも、皮が米粉を使っているせいで少し感触が違うから?
 でも、具は美味しいし、もちっとした皮も噛み応えがあって面白いのに。ちょっと皮が汁にとろけやすいけど。
 そんなことを彼女は思う。
 だが、返ってきた答えは彼女の予想を大きく外れていた。
「なんで北郷さんなんだろう?」
「うにゃ?」
 奇妙な声を出す鈴々に、桃香は淡く微笑む。
「さっき北郷さんと会ったでしょう?」
「うん」
「どう思った?」
「うーん……」
 大きな海老のはみ出した揚げ物をくわえたまま、小首を傾げる鈴々。
「霞に邪魔されて、よくわからなかったのだ……」
 ばりばりと海老の尻尾をかみ砕いてから答えるその態度に、ほんのわずかにいらだたしさが含まれている。
 あるいは、あの出来事は、彼女の武将としての矜持を傷つけたのではあるまいか。桃香はそんなことを思う。
 いかに招かれた地とはいえ、いかに予想していなかったとはいえ、そして、鈴々自身に言い過ぎの側面があったとはいえ、張遼にいいようにどやしつけられたのは事実だ。
 それが態度の奥に見える苛立ちとなっているのだろう。
 そして、そのために北郷一刀という人物を見定める機を失った。
 普段ならあまり気にならぬことだが、なぜだか桃香はそのことを実に残念に思うのだった。
「そっかー。鈴々ちゃんはわからなかったか。実は、私もあの人がよくわからないんだよね」
「お姉ちゃんも?」
「うん。ただ……」
 そこで黙ってしまう桃香。鈴々は不思議そうにその顔をのぞき込む。
「ただ、なんなのだ?」
「うん。ちょっと興味があるなって。以前見かけたときはそんなことはなかったのにね」
「興味?」
「うん……」
 そこで、桃香はその時抱えていたものを鈴々に示すつもりであった。
 だが、それは外からかかった声に遮られる。
「すいませーん」
 その声には、二人とも聞き覚えがあった。
「明命ちゃん?」
 桃香の声に、鈴々が扉に近寄り、それを開ける。
「すいません。蓮華様が、桃香さんがお忙しくなければ来ていただきたいと」
 そこには長い黒髪を垂らした真面目そうな少女、周泰の姿があった。

 食事は全部食べてしまっていいと鈴々に言い置いて、桃香は明命と共に蓮華の部屋に向かった。
 見張りに立ちますからと明命は扉の前に残り、一人、蓮華の執務室の扉をくぐることになる。
「ああ、来てくれたか。呼びつけてすまない」
 書類に埋もれるようにして桃香より薄く明るい色調の髪が見えた。積まれた竹簡のために、戸口からでは顔が見えないのだ。
「ううん~」
 近づいていき、卓の正面に用意されていた椅子に座る。すると、竹簡の山の向こうにようやくこの国の王蓮華の顔が見えた。
「葬儀の式次第について再度相談したいのだが……」
 じゃらじゃらと竹簡を広げてこちらに見せてくるのを桃香も覗き込み、二人の王の打ち合わせが始まる。
「ふむ。こんなところか。ありがとう、桃香」
「ううん。構わないよ」
 一段落したところで、せっかくだから私も一休みして茶を淹れよう、と蓮華が立ち上がった。
 服がひっかかり、竹簡の山が崩れそうになるのを、蓮華と桃香二人でとっさに押さえて、事なきを得る。
 そんなこともありつつ淹れてもらったお茶を味わいながら、桃香は華琳に淹れてもらった茶の味も思い出し、少々へこんでみたりもしていた。
 淹れるお茶の美味しさが良い国主の条件だったりすることなどないだろうと思うのだが、それでも、二人の腕前は自分に比べればずっと上等であった。
 実際には茶器や茶葉、湯を用意して部屋に置いているのは侍女の仕事なのだろうし、桃香もそこはやってもらっている。
 だが、そこから実際に茶を出すまでの行為にはどうしても経験や知識、手際の良さといったことが関わり、最終的な結果に差が生じてくる。
 見習わないとなあ、と彼女は思うのだった。
 そこで、彼女はふと気づいた。食事の時に抱えていた疑問を晴らす良い機会であることに。
「ちょっといいかな、蓮華ちゃん」
「うん?」
「なんで北郷さんなんだと思う?」
 唐突に問いかけられ、蓮華はその青い瞳に緊張を宿らせる。
「一刀がどうかしたか?」
「華琳さんの横にいるのが、なんで北郷さんなんだろう?」
 蓮華はこつこつと指で卓を叩き、少し考えてから、ゆっくりと言葉を選んでいる様子で答えた。
「……二人の関係を知らぬでもあるまい?」
「もちろん、そういうおつきあいのことは知ってるよ。けど、そういうことじゃなくて……」
 なんて言えばいいのだろう、と桃香は考える。そもそも自分自身でもよくわかっているのかいないのか。
「北郷さんって、天の御遣いとは言っても、最初は洛陽の警備隊の隊長くらいしかしてなかったって朱里ちゃんが言ってたの」
「そうらしいな」
「でも、北郷さん、最後のほうの戦では、ずっと華琳さんの本陣にいたんだよね。これも朱里ちゃんたちの報告なんだけど」
 蓮華もそれに肯定の頷きを示す。
「うむ。我が呉でもそのように捉えている。いつからかは判然としないが……。それに、警備隊と言っても、配下の三人、楽文謙、于文則、李曼成は立派な将だ。兵の訓練の責任者でもあった。その三人をまとめる地位となれば、一刀は位はないまでもそれなりに遇されていたと考えるべきだろう」
「うん。そうなんだよね。明らかな地位につけていないのに、北郷さんは華琳さんの側につけられていた。なにかを期待するみたいに……」
「覇王の横に立つ、か……。まあ、わからぬでもない」
 ようやく納得したというように、蓮華は腕を組み直した。桃香の顔がぱっと明るくなる。
「わかってくれた? それでね、それがなんでかなー、って……」
 彼女は尋ねる。王という地位につく仲間として。そして、洛陽に長くいたこともあり、よりよく北郷一刀を知るであろう相手として。
「器だろうよ」
 即答だった。内容よりもそのことに、桃香は驚いてしまう。
「器……」
「華琳とて人の子だ。親しい者を側に置きたいと思うこともあるだろう。だが、同時に彼女は人の才を好む。彼女に認められるものがなければ、けしてあのように扱われることはなかったろう。天の御遣いの名前だけなら飼い殺しで十分だからな」
「よく……わからないな。北郷さんのこと、正直、蜀じゃ知ってる人っていないから」
 桃香の呟きに、蓮華は頭を傾げて考え込む。桃色の髪が頬にあてた指に絡んで揺れていた。
「たしかに考えてみれば、蜀ではあまりあれと親しくしているのはいないのか。子を産んだ桔梗は?」
「桔梗さんは、大使に出てからずっと帰って来てないから」
 そうなると本当に蜀……いや、成都の面々は北郷一刀という人間を知らないのだ。蓮華はそこで、成都での一幕――模擬戦の一件を思い出して納得した。
「どう説明すればいいかはわからんが……。私はあれはあれでそれなりの人物だと思っている。ただ、さすがは天から来たという人間だけあって、少々我らの理解の範疇外にいる」
「理解の外……」
「一刀は権威を気にしない。一刀は彼我の力の差を気にしない。ただ、その相手の人物だけを見る」
 そこで、蓮華は小さく笑ってみせた。
「なぜかわかるか?」
「ううん」
「あれはな、我らを――私はもちろん、雪蓮姉様や華琳まで――ただのおなごだと思っているのだ」
「……えっと」
 桃香は、おそらくこの時代の人間の中では、最も権威や武威に惑わされることなく人を見ている部類に入る。
 そんな彼女でも華琳や雪蓮をただの女だと言い切ることは難しい。
 なによりも、その能力や迫力を全て無視してその人間だけを見るということが出来るものなのだろうか。
「侮っているという意味ではない。男相手なら、ただの男として接するだろう。我らの武や力の全てを知って、それでもなお、ただの女の子だなどと言い放つ。それがあやつの器だ」
 蓮華の笑みは深くなる。
 そのことに、桃香は戦きを禁じ得ない。
 彼女の感覚が確かならば、蓮華はいま語っていること――北郷一刀の器というものが彼女の語るようなものであることを、歓迎している。喜んでいる。
「まあ、そのおかげで女をほうぼうにつくって、きっと華琳などは苦労していることだろうがな」
「でも……それが王の、三国の王の横に立つ資格になるのかな?」
 しばらくの沈黙の後でそう問いかけると、蓮華ははっとなにかに気づいたように笑みを収めた。
「……私は王としては新米だ。そちらのほうがよくわかるのではないか、桃香?」
「ど、どうかな」
 それから、蓮華は茶をすすると、どこか別の所を見ているようにして語り始める。
「まあ、実際の所、まだあやつはなにもしていないからな」
「なにも……? だって……」
「わかるだろう。桃香も王なのだから。あれは華琳の部下として働いてはいても、いまだ、自分でなにかを成してはいない。決断してはいない」
 蓮華は厳しい口調で続ける。
「いかに名将、名軍師を配下にしていようとも、己の考えで決定していないのならば、それはただの一武将。覇王の横に立つとなれば、必要とされるのはそれとは異なるものだ。君主として自立する思いがあろうとなかろうと、同じだけの重みをあやつが自覚できるか……」
「蓮華ちゃん……」
「今回の北伐。そのあたりがうかがえるのではないかと、私は思っている」
「そっか……」
 そのまま会話は途切れ、桃香は蓮華に挨拶をして部屋を出る。
 行きと同じく明命の護衛で部屋まで戻り、既に眠りこけていた鈴々の寝具の乱れを直してやりながら頬に手をあてる。
「蓮華ちゃんは、正直に答えてくれたと思う。でも……」
 桃香はなにか最後のところでごまかされたような、あるいは、自分だけが蚊帳の外に置かれたような、そんな疎外感を覚えていた。
「ちゃんと話してみないとな」
 そう呟いて、彼女もまた寝台へと無かう桃香であった。

 一方、部屋に残った蓮華の方も、桃香との会話を省みて独りごちる。
「少々熱くなりすぎたか。……どうもあの男はいつも私の調子を狂わせる」
 腕を組み、先ほどまでの会話を反芻して、自分で採点してみる。
 王ともなれば、一言一言が大事になる。相手が桃香とはいえ、いや、だからこそ、もっと気をつけるべきだったかもしれない。
 彼女はそう結論づけた。
「姉様や小蓮もこうだったのかしら。そうだとすると……」
 思わず何事か言いそうになり、慌てて頭を振って払いのける。
「いやいや、ばかか、私は。いまはそんな暇があるものか。まずは……」
 ぶつぶつ呟きながら、灯りを引き寄せ、溜まっている仕事に取りかかる蓮華であった。

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