第七回:桃園

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1.大息

「ふぅ……ひとまずこれで終わりかな」
 たっぷり入ったくずかごを抱え、整理された部屋を見渡すのは、艶々とした黒髪を結って一本長く垂らした凛々しい女性。
 世間では美髪公とも称される、驍将関羽。
 桃園三義姉妹の一人で、真名を愛紗という。
 彼女はくずかごを持ったまま、部屋を出る。このまま焼却場に直に持って行くつもりであった。
 普通のごみならば気にせず埋めたりすればいいし、燃やすにしても侍女に任せれば良いのだが、なにしろ、彼女は国の中枢に近すぎる。
 竹簡のかけらや紙片から思わぬ事が漏れてもおかしくはない。
 機密を含むものは、自分で適切に処分する。軍師たちとも取り決めていることだ。
 以前は、このあたりのことは、月と詠がまとめて行っていた。
 だが、彼女たちが成都を去って以来、政治的にも情の部分でも同じくらい信用できるだけの人物は現れなかった。
「この都もずいぶんと静かになったものだ」
 月たちがいなくなり、美以たちが三国を巡るようになり、白蓮は出て行かざるを得ず、涼州の者たちは帰って行った。
 さらには紫苑と桔梗が大使として洛陽に赴任し、星と焔耶は北伐へ出ている。
 呉に弔問に赴いている彼女の義姉妹――桃香と鈴々は程なく戻ってくるにしても、現時点この城にいる蜀の幹部はわずかに三人。
 彼女と、朱里雛里の軍師二人だけだ。
 もちろん、多くの文官、武官はいる。
 しかし、苦しい時を共に過ごしてきた仲間という意味でいえば、それは少々……。
「いけない、いけない」
 愛紗は首を振って自分の意識の流れを振り払おうとする。長い髪がまるで鞭のようにしなって揺れる様が美しい。
 自分たちの下で働いてくれている者たちを、つまらない感傷で否定するようなことは厳に慎むべきであった。
 加えて言うなら、特に死に別れたというわけでもない。
 仕えるべき主は変わったとしても、三国の交流はある。これからも会うことはあるのだから、そう悲観したものではない。
 そんなことを考えていると、欄干越しに二つの帽子が揺れているのに気づいた。かわいらしくひょこひょこゆれるその帽子、高いほうは雛里、丸っこいのは朱里のものだ。
「あ、愛紗さん。こんにちは」
「こんにちは」
「ああ、いい日和だな」
 こちらに気づいて駆け寄ってきた二人に、ふと愛紗は以前からの心配をぶつけてみる。
「お前たち、体の方は大丈夫か?」
「え?」
「いや、最近仕事の負担が増えているだろう。北伐やらで人手も減っている」
 その問いかけに、二人は花のような笑みを見せてくれた。そのことがかえって愛紗に複雑な想いを抱かせる。
「大丈夫ですよ。文官の皆さんに分担してもらっていますから」
「それに……平和になった分、世情は安定してきて……いますし……」
「平和……な」
 雛里の言葉を受けて、愛紗は呟かずにはいられなかった。
「本当に平和なのだろうか。数十万の大軍を、北の辺境に追いやる日々が」
「それは……」
 三国一の頭脳と愛紗自身が信じている諸葛亮が顔を曇らせるのを見て、愛紗は慌てたように片手を振った。
「ああ、いやいや。別に不平不満があるというのではない。北伐に意味があることもわかってはいる。だが、いますることかという意識がないわけでもない。やることの意義をあえて見つけようとしているのでは無いかと思う事もある。そういうことだ」
 それから、彼女は少しためらいがちに言葉を舌に乗せる。
「たとえば……」
 だが、それは諸葛亮の軽やかな弁舌に取って代わられた。
「たとえば、三国を桃香様が治めていたら北伐は起きなかったでしょう。五胡を防ぐために、漢の施策に倣って現状の辺境地帯に砦を築き、侵攻が予想される地帯に多数の見張り台を設置、いち早く本国に伝える態勢を整えるなど防備を主にし、こちらから侵攻するようなことはなかったはずです」
「でも、華琳さんは攻勢を選んだ……」
「そのことの意味は、たしかにあります。三国が共同して行うことの意味も」
「曹魏のやり方は間違いなく効果的です。ですが……それだけに犠牲も要求する。そういうものでもあります」
「しかし、それも……」
 朱里と雛里は代わる代わる、まるで同じ意識を共有するかのように言葉を述べる。
「しかたない、か」
 そんな軍師たちに、愛紗はそう言うしかなかった。
「はい」
「実際に、益はあります。やり方は私たちと違いますけど、否定するわけにはいきません……」
「北方を領有し、五胡の矢面に立つのが、魏の兵であることを考えると、無為に民を苦しめているという批判も難しくなります。もちろん、我々も派兵していますし、協力もしているのですが、それは、西涼建国のためという側面が大きいわけですから」
「結局のところ、強引に感じる部分はあっても止めるまでには至らないというところですね」
「そうだな……」
 愛紗にも軍師たちの言うことはわかる。
 わかるのだ。
 だから、反論することはできない。
 彼女たちが最も良い道を模索して、この国のため、主の理想のために動いてくれていることはわかっている。
 それでも……。
 だが、愛紗は自らの内心を表現する適切な言葉を探し当てることが出来ない。
 結局、当たり障りのない形で話を終わらせてから、愛紗は軍師たちとわかれ、焼却場に向かった。
 そうして、しばらく歩いて焼却場に至ったところで、彼女は、ようやくのようにその時言うべきだった言葉に気づいた。
「ああ、そうか。……我らは、敗れたのだなあ」
 成都陥落より二年半あまり。
 関雲長、肺腑をえぐるような慨嘆であった。

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