第六回:対顔

1 2 3 4

 

3.桃園の姉妹

 さすがに一日中黄龍と遊んでいては、馬のほうも身が持たないし、人のほうも体力を使いすぎる。
 それでも、その辺にしておけと言われた相手が霞でなかったなら、一刀は素直に黄龍から下りなかったであろう。
 だが、大陸の中でも、彼女以上に馬に詳しい人間も少ないくらいの相手だ。後ろ髪を引かれつつ、一刀は黄龍と遊ぶのを止め、職務に戻った。
 なにしろ他国の王宮である。
 礼儀としても、葬儀が終わるまではあまり動き回るべきではないのだが、それでも、会っておくべき人物があった。
 蜀の王劉玄徳だ。
 蜀の一行にはすでに事情を記した書簡を出してあるし、事務方のやりとりは何度か行われている。
 だが、実際に一刀と霞が蜀の王に対面するというのは、これまで実現していなかった。
 葬儀において華琳の代役を蜀側が務めることとなったため、打ち合わせに忙しかったためだ。
 それがなんとか時間が出来たと言ってきてくれたのだから、会わないわけにはいかない。
「すいません。俺なんかが代理で」
 柔らかい印象の、けれど紛れもなく美しい女性が華琳からの文書を読んでいる横で、一刀は何度も頭を下げていた。
 桃色の髪を持つその相手こそ、蜀の王劉備こと桃香だ。
「え? いえ、そんなー。大変なときはしかたないですよー。それに北郷さんなら代役として十分じゃないです?」
「華琳の代役ってのはなかなか……」
 その答えに、桃香は微妙な笑みで返す。
 たしかに曹孟徳の代理を務められる人間などそうはおるまいが、目の前のこの男性は天の御遣いというとんでもない異名を持つのだ。
 その人物に変に恐縮されると、実に困る。
「でも、華琳さんはやっぱりすごいなー」
「え?」
 よくわからない、という風情の一刀に、桃香は文面を示してみせる。
「だって、謀反に至った経緯とか、どれだけの影響があるかとか、しっかり書いてあるんだもん。もちろん、これは華琳さんの推測混じりだと思いますけど、これだけ内実をさらけ出せちゃう自信がすごいなー、って」
「ま、普通の国主やったら、謀反なんて起きたら、まずその影響をいかに他国から隠すかに腐心するやろな」
 我関せずと茶をすすっていた霞が、桃香の言を補足する。
「ましてや数年前まで戦争しとった相手に、あえてそんな弱みを見せようとするんは、うちとこの孟ちゃんか、それこそ桃香くらいやろ」
 にやにやと言われた言葉に、桃香は慌てて顔の前で両手を振る。
「私はそんな……。ほら、朱里ちゃんたちがだめって言うし」
「まあ、華琳はその点、止めようがないからな……」
 一刀はしかたない、という風に肩をすくめる。
「とはいっても、華琳のように正確に知らせて、把握させるのも一つの手なんでしょうね。そこで妙に隠すことで疑心暗鬼を引き出して、刺激する結果になるのもよくないですし」
「諜報合戦になって、無駄に人員を消耗させてもしゃあないしな」
「いまは北伐もありますもんね」
 そんなことを三人で話していると、勢いよく扉が開き、小さな影が転がり込むようにして部屋に入ってきた。
「ただいまなのだー」
 元気よく言って手を振るのは、桃香と姉妹の契りを交わした赤毛の少女、張飛。
 一丈八尺という長大な蛇矛を操ることで有名な猛将の真名は鈴々といった。
 彼女は部屋に来客があるのを知ると、その顔を見て思わず指さした。
「あー、女の敵の人だ」
「り、鈴々ちゃん! なに言ってるの!?」
 桃香が慌てて立ち上がり、鈴々に駆け寄る。
 その肩に手を置き、これ以上口を開かないようにと伝えるにはどうしたらいいだろうと考えているうちに、鈴々はさらに言いつのる。
「でも、愛紗がそう言ってたのだ。女の子を見ると食べちゃう怖い人だって。お前も泣きたくなかったら近づくなって」
「鈴々ちゃん!」
 すでに桃香の声は悲鳴の域。
 あわあわと恐慌をきたしている彼女と、きょとんとしている鈴々を見て、一刀はなんとも言えない苦笑を浮かべている。
「それはちぃと違うなあ」
 一方、霞は二人の前に近づくと、かがみこんで視線を鈴々のそれと合わせた。
「なー。ええか、鈴々。たしかに一刀は女ったらしで、好きもんで、いい女と見ればすーぐ手を出す節操なしで、他国の女だろうとおかまいなしに子供ぽこぽこつくってるような男や。それは認めなあかん」
「おいおい」
「せやけどな」
 静かに押し殺した声が響く。
「己の女を泣かすような事はせーへんのや。わかるか、ん?」
 鈴々の顔から血の気が引いていき、ついにはがたがたと体を震わせ始める。
「わ、わ、わかったのだ」
 そうして、空気が氷点下まで下がりきった部屋の中。
 ぶるぶる震えている張飛、だらだらと冷や汗を流している劉備の姿を見つめながら、一刀は苦笑するしか無かったのだった。

「あれが張飛なんだな。蜀に行った時はあまり話さなかったからなあ」
 ひとしきり話した後、部屋を辞しての一刀の第一声がそれだった。
 三国志や三国志演義の知識がある彼にとって、劉備、関羽、張飛、それに諸葛亮の名前には格別の感慨がある。
 彼にとって張飛を見るのはかつての反董卓連合以来数回目のことだった。
 だが、今日がほとんど初めて言葉を交わす機会だったと言っていい。
 今日もあまり話せたとは言えないが、個人としての認識は出来ただろう。
「でも、あれは強いで。おこちゃまやけどな」
「霞がいうくらい?」
「強いな。うちでも十回やってまず半分は負けるやろ。引き分け三に勝ちが一、二ってとこか。ああ、さっきやったら間違いのう勝てたけどな」
 その言葉に、さすがに一刀は息を呑む。
 彼にとって霞の強さは桁外れのものだったが、それがあの小さな体の溌溂とした少女に通用しないとは。
 もちろんそれは個人の武であって、兵を率いたときにその優劣は逆転するであろう事は想像に難くないが、それにしても……。
「ただなあ」
 飛龍偃月刀を担いで先を行く霞は、実につまらなさそうに呟いた。
「鈴々たちがああして一刀を侮っている間は、何度やろうとうちらの勝ちやな」
 と。

1 2 3 4

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です