第五回:謀事

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1.名馬

 人が通る場所だけ申し訳程度に草を刈り取ったような街道を、二騎の騎馬が行く。
 片方は威風堂々、馬も乗り手も一体化したかのような動きで。残る一騎は、馬の動きにようやく主が合わせているという具合の。
 あまりに対照的で、見る者はなぜ彼らが連れ立っているのかわからないと思うほうが多かったろう。
 だが、先を行く馬上の人物は、背後の乗り手の技量よりも、その馬自体を気にしていた。
「なあ、一刀。なんでその馬なん?」
 振り向いて尋ねるのは、大陸でも三本の指に数えられるであろう騎将、張遼。
「え? いや、城の人が、これは名馬って言われてたんだって……。実際、戦ではよく動いてくれたし」
 答えるのは、その恋人、北郷一刀。
「たしかにええ馬やったろうけどな……。それ、もうあかんで」
 前に向き直り、霞は全く飾らずに告げる。
「え?」
「年や。もうがたが来すぎとる。こないだの戦が最後の輝きっちゅうやつやったんちゃうかな」
 霞の言葉に、一刀はその馬を見下ろす。けして、ぜえぜえと荒い息をしたりはしていないが、前を行く絶影を追うのが精一杯という風情はあった。
 絶影は紛れもなく名馬であり、霞もまた名人である。その相乗効果に対して、自分の技量の無さが負担となっていると思っていたが、そうではないのかもしれない。
 そして、こと馬に関して、張遼の目利きが外れるとも思えなかった。
「昨日から右脚を引きずりがちだったけど……」
「疲れとるんや。けど、その疲れはもう取れへん。若い馬なら一日二日引いてけば直るやろけど、その馬やとずっと引きずるやろな」
 二人は馬を進める。途中から、一刀は馬を下り手綱を引いて歩き出した。霞も無言で絶影の歩みを合わせる。
「……どうすればいいんだ?」
 どれほど経ったか。一刀は低い声で霞に訊ねていた。
「建業まではとてもやないけど保たん。どこぞで放すか……看取るか。どっちかやな」
「放すったって……ずっと人に飼われてた馬だぞ?」
「せやな。のたれ死なすか、己で殺すか。まあ、どっちでも変わらんな」
 いい草場を見つけられれば、数日、あるいは数週間は生きていられるかもしれない。けれど、そんな草場にはそこに集まる獲物を狙う肉食獣も現れる。虎とは言わず、野犬の群れでも死ぬ間際の馬一頭狩るのは難しくない。
「霞。俺の荷物、絶影に載せていいかな?」
「ん」
 一刀の決断を、霞はいたって自然と受け入れた。

 それから二日の時が過ぎ、江水の水の香りが漂ってきそうなあたりの森にまで南下した時、ついに一刀の馬はその足を止めた。
 一刀が手綱を引いてもまるで動こうとせず、黒い大きな瞳は、不服従の猛る心ではなく虚無を映していた。
「いよいよあかんな」
「そうか……」
 ゆっくりと首をなでてやるのにも、もはや反応は薄い。
 動いてもいないのにじっとりと汗をかき、そのくせ時折覗かせる舌は乾ききって見えた。
「ここで絞めたるんが情けや思うで」
「……俺にできるか?」
 だが、一刀の問いに、霞は決然と首を振る。
「楽に逝かせてやりたい思うんなら、うちに任せたって」
 霞とその馬が木々の向こうに消えていくのを、一刀は何も言えずに見つめるしかなかった。絶影が鼻先を彼の首筋にこすりつけてきてくれたのが、ただ一つ救いであろうか。
 一つ大きないななきが響く。高く、儚く、空に消えていくような苦鳴。
 そして、それが終わると静かになった。
 その後、彼は霞に呼ばれた。
 死んだ馬の皮を剥ぎとって広げ、その上で肉を切り取り、血を即席の革袋で包み込む。霞の小刀さばきは慣れたもので、彼女が何度もこういう経験を積み重ねてきているのだと如実に語っていた。
 年老いた馬の肉は筋張ってけして美味いものではない。だが、肉は肉であり、そして、なによりそれが死んだものへの礼儀だろうと二人はわかっていた。
 だから、二人はその作業を行う。
 無言で。
 ただ、粛々と。

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