第四回:辺土

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 河内司馬氏の城から洛陽までは、黄河を渡ることを考えても二百里あまりしかない。
 その近さは、洛陽を脅かす側にとって圧力をかけるに十分なものであった。
 当然のことではあるが、裏を返せば、洛陽から攻めようと思ってもたやすいということを意味していた。
 まして、呉や蜀まで攻め寄せた魏軍にとって、それほどの距離は遠征などとはとても言えぬものである。
 渡河を妨害されるかもしれぬと少々離れたところで艀を組み、攻城兵器を載せて夜間ひっそりと河水を渡ったのが功を奏し、討伐軍は損害を出すことなく黄河の北岸に立っていた。
 こうなると散発的に叛乱軍が襲ってきても、主力を親衛隊が占める討伐軍に歯が立つわけがない。
 無理をすることなく進軍し、軍は叛乱軍本城から南に下ること二十五里のあたりに陣取ることとなった。
 最後通牒を城の司馬氏が受け入れなければ、明日か明後日には戦になるだろう。
 討伐軍を率いる親衛隊長典韋――流琉はそう思いつつ、陣の中で整備中の衝車の群れを眺めていた。
「いやあ、いいですねえ。攻城戦。大量の衝車でどーんっ!」
 うきうきと呟くのは、今回軍師役として流琉につけられた張勲こと七乃だ。
 その傍らには彼女の主、袁術、すなわち美羽もいた。
「本当に大量ですね。よくこんなに……」
「ふふふー。実はこっそり作ってたんです。洛陽の城を落とすために」
「……七乃、さん?」
 さらっと恐ろしいことを言われたような気がして、流琉は大きな目をさらに見開いた。
「……というのは冗談で、たいていが廃物利用ですよ」
「廃物利用?」
 この人の冗談は心臓に悪い。
 流琉は内心でため息を吐きながら、平静を取り戻して聞き直す。
「魏の工兵部門には、他国では考えられないくらい予算が投入されているのは知っています? それも真桜さんっていうとんでもない技術者がいるからで、実際に成果も上がってるんですけど。ただ、いくら真桜さんがすごくても、新兵器開発の過程ではいくつも失敗作ができるんです。真桜さんじゃない、部下の人たちが作ってる場合はなおさらですねー」
「それを利用したってことですか……?」
「ええ。新兵器には役立たなくても、衝車みたいに広く知られた単純な構造のものになら使いようがあるんですよ。それこそ、今回の城攻めだけで壊れたって構わないわけですし」
 言われてみれば、多くの衝車にはつぎはぎしたような痕がある。
 もしも、この部隊の指揮官が真桜、あるいは華琳であったなら、そんなことは決して許されないだろう。
 だが、使い捨てにしてもいいと考えている七乃にとって、それはどうでもいいことのようだった。
 攻め寄せる城壁もろとも壊れてしまってもいいのだ。
「まあ、この手のものは北伐には使いませんからね……」
 流琉としても兵器自体に思い入れはない。
 兵を損なうのでもない限り、七乃のやり方を訂正する必要もないと判断した。
「七乃ー。あれを見てきてよいかの」
 美羽がぱたぱたと手を振りながら、いましも形になろうとしている大型の攻城櫓を指さす。
 さすがに大きいのでいくつかの部品にわけて持ってきたものを組み立てているわけだが、彼女はそうやって組み上がっていく様子がおもしろいらしく、興味津々に眺めていた。
「いいですよー。兵たちの近くに寄りすぎると危ないから、少し距離を取るんですよ」
「わかったのじゃ」
 蜂蜜色の髪をふりふり走っていく美羽と、それを慈しむように眺めている七乃を見ながら、声を落とす流琉。
「でも、よかったんですか? 七乃さんはともかく、美羽さんは洛陽にいてもらってもよかったと思うんですけど……」
「私は美羽様のお側を離れないと決めていますし、それに……あの人が居るのに美羽様一人残すというのはちょっと」
「あー……。雪蓮さんですか」
 にこにこといつもの調子で返答する七乃に、納得の風情で頷く流琉。
「いまさら遺恨はないと思うんですけど、無用な騒動の可能性は避けた方がいいかなーって。一刀さんがいれば別なんですけどね」
 そもそも一刀が都にいれば、この討伐軍に自分たちが呼ばれることなどなかった気もするけど、と七乃は思う。
 一方、流琉のほうは、一刀の名前が出た途端、心配そうに顔を歪ませた。
「兄様たち……。大丈夫でしょうか」
「うーん。でも、恋さんたちがいますからねえ。心配なのはどっちかというと敵軍のほうなんじゃないかと……」
「……たしかに」
 流琉は七乃の指摘に苦笑するしかない。
 そうはいっても心配する気持ちに変わりはないのだが、武勇に優れた恋や霞がいることを思い出せば、あまり気に病んでも仕方あるまいとも思えるのだった。
「正直、華琳さんに謀反するなんてかなりのおばかさんだと思いますけどねぇ。どうなるかわかってなかった。……あれ? お嬢様?」
 兵器を見ていたはずの美羽が手になにか持ってこちらに戻ってくるのを見て、七乃が不審げに声を上げる。
 彼女は美羽の飽きっぽさを正確に理解している。
 興味が他のものに移るには、あまりに早すぎた。
 だが、そんな七乃の驚きをよそに、美羽は近寄ってくると、手に持っていたものを流琉に渡した。
「なにやら伝令がきておったのでな、持ってきてやった。北伐中央軍からの書簡じゃそうじゃぞ」
 おー、美羽さまえらーい、そうじゃろそうじゃろ、もっと褒めてたも、という主従のかけあいを横目に、流琉は渡された書簡を確かめる。
 たしかに春蘭と風からのものらしい。
「……えーと……」
「春蘭さんからですか? なんと?」
 読み返し、内容を理解した上でくるくるとまとめ直す。流琉はそこでは七乃たちに答えず、司令部となっている大天幕に戻るよう促した。
 そうして、三人で共に天幕に入った後で、彼女は顔を引き締めて二人に対した。
「司馬朗さんが自害されたそうです」
「司馬朗?」
「いま攻めている司馬氏の当主ですよ」
 主の疑問に答える七乃だったが、その返答に美羽はさらに疑問の表情を浮かべる。
「んや? それは城におるのではないのかや?」
「司馬朗さんの弟の司馬懿さん系統がほとんどみたいですねー。ただ、司馬朗さんの息子さんとかもいるようですけど……」
「司馬家では、長兄の司馬朗さんが中央で華琳様にお仕えして、その他の者は地方の官にしかついていなかったようなんです。司馬朗さんがいない間は、司馬懿さんが一族をまとめていたみたいですね」
「ふむ。長く本拠地を離れておる当主より、その兄弟姉妹が家を掌握しておったわけじゃな。ようあることじゃ」
 美羽は豪族の家庭の事情や、そこで行われる権謀術数には慣れっこだ。
 まさに自分自身が強大な袁家という名族の中で育ってきただけに、その理解は早い。
「とはいえ、家長が己らに合流するでもなく敵の軍中で自害したとなれば、さすがに城に詰めておる者らの士気も落ちるのではないかや? いや、自害させられた、と思うじゃろか?」
 うーむと腕を組みうなる美羽。その髪が彼女の動きに合わせてゆらゆらと揺れる。
「どう……なんでしょうね?」
 流琉は、七乃に向かって助けを求めるように目を向けた。
 華琳の下で軍略や政治のことなど様々に学んできた流琉であったが、いまだそれらに精通しているという自信はない。
 特に豪族に関わる計略や人心の動きについては一日の長がある七乃に頼るのは当然と言えた。
「んー、七分三分ってところですかねー。城の後背も警戒してますから、まだあちらも知らないでしょうし、早く知らせるのは誠意と伝わって、投降を促せるかもしれません。ただ、下手をすると、さらに発憤してしまうかもしれませんよぉ」
 吉と出るか凶と出るか。
 もし吉と出て投降を決意してくれたら、それはそれでありがたいと流琉は思う。
 凶と出れば……戦うまでだ。
「わかりました。司馬朗さんの自害を伝えると共に、投降を促す文を城内に送ろうと思います。もしこれでうまくいかなくとも、城を攻める予定に変わりはありませんから」
 決断を下した後で、彼女はためらいがちに申し出る。
「そこで、申し訳ないんですが、文面を考えるのに七乃さんもお手伝いしてほしいんですが……」
「ええ。いいですよー。えっと、じゃあ、お嬢様を送ってきますね。その間に流琉さんは、春蘭さんからのお手紙に、司馬朗さんがどうやって死んだかとか、何か言葉を遺したかとか書いてないかを確認しておいてくださいますか? 文に盛り込めるかもしれませから」
 快く受け入れてもらい、ほっとしたように頷く流琉。
「はい。では、そのように」
 そうして、美羽を連れて流琉の大天幕を出たところで、七乃は小さく頭を下げた。
 ごめんなさい、流琉さん。
 たしかに自害を知らせるだけなら、司馬氏が降伏を選ぶ可能性の方が高いでしょう。七分三分というのもけして間違いではありません。
 でも、だめなんです。
 きっと、敵は降伏どころか最後の一兵まで戦うでしょう。
 なぜなら、私と美羽様の名前が書かれた書簡を送るということは、司馬懿の仇が攻めてきていることを示すなによりの証なのですから。
 司馬家の兄弟姉妹で最も優れていると噂された傑物は、私を通じて美羽様に賄いを贈ったことで死を賜ったのですから。
 彼らはけして許さないし、なにより、自分たちが生き残る望みはないと、二人の名前を見て悟るでしょう。
 だから……。
「どうしたのじゃ? 七乃」
 棒立ちになっている七乃を、美羽は不思議そうに見上げていた。
 その目にあるのは信頼と気遣いだけ。
「え、いえ。なんでもありませんよー。あ、そうだ、美羽様。もし、美羽様は一刀さんを困らせる人がいたらどうします?」
「ん? そのような輩がおるのかや? もちろん、この妾が成敗してくれるに決まっておろ」
 元気よく腕を振り上げて宣言した美羽は、しかし、何事か考え込むようにその小さな頭を下げた。
「あ。じゃが、一刀の敵ならば、華琳や麗羽ねえさまが先に手を下したがるかもしれんの。そのあたりは……早い者勝ちでよいものかの? 七乃。いや、やはり、くじで……」
 七乃は、真剣に悩み始める美羽を見て、胸につかえていたものが氷解していくような気がした。
「ええ、そうですねえ。どう決めましょうねえ」
 朗らかに笑って、彼女は美羽の手を取った。
「さ、行きましょう。美羽様」
 美羽を自分たちの天幕に送った後、七乃は本陣の兵士たちの様子を眺めながら、いつも通りの笑みを浮かべる。
 そうして実に楽しそうな微笑みをたたえたまま、彼女はかつて寝物語に一刀から聞いた天の国の歌劇の一節を、口の中だけで呟くのだった。
「鏖の雄叫びをあげ、戦いの犬を野に放て」

 Cry “Havoc”.
 Cry “Havoc”.

 戦争という厄災が、ここにもやってくる。

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