第四回:辺土

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1.北辺

 金城――馬家の故地にして、北伐の起点の一つとなるところ。
 そこに、北伐左軍の大半が集結しつつあった。
 城中に与えられた部屋の中、二人の武将が向き合っている。片方は優雅に酒を注いでは飲んでいるが、一人は何か気がかりでもあるのか、うろうろと部屋の中を歩き回っていた。
 卓に座っているのは、白基調の袖の長い着物に、切れ長の目とたおやかな印象を与える女性。常山の昇り龍こと趙子龍。真名は星。
 かたやそれを前に落ち着かなげに動き回っているのは、黒ずくめの中、染めているのか色が抜け落ちているのか髪の一部だけが真白いのが目立つ、きりりとした印象の女性――魏文長、つまりは焔耶だ。
 二人は共に北伐に参陣する蜀の将である。
「どうした、焔耶。そのように。今日は見回りを除いては、特になにもないぞ」
 いまだ北伐は本格的に始動していない。そのため、彼女たちが現状すべきことと言えば、兵や輜重の準備が整っているか見て回ったり、大量の兵が駐屯することで動揺するだろう金城周辺を警邏することくらいしかなかった。
 星は、暇をもてあました焔耶が戦に逸って気忙しいのかと思って声をかけたのだが、そうでもなかったようだ。
 焔耶は息を吸い、足を止めると妙に真剣な顔をして問いかけてきたのだから。
「あの男をどう見る?」
「あの男?」
「北郷一刀だ」
 ああ、と星は納得する。そういうことであったかと。
「ふむ、我らが御大将のことか」
「そのような呼び方はやめろ」
「仕方あるまい。北伐左軍の大将は紛れもなくあの方なのだから。で、人物評だったか?」
 嫌そうに顔をしかめる焔耶に、星は動じることもない。焔耶も相手の性格を思い出したのか、すぐに気を取り直して話を続ける。
「それも含めて、色々とだ。あれが桃香様の害になるようなら……」
「軍師殿たちのようなことを言うものよな、焔耶」
 星は呆れたように酒杯を呷る。
「お主も涼州を切り取ることが、翠たちの、そして、最終的には蜀の益となることくらいはわかっているだろうに」
「北伐のことを言っているのではない。あの男のだな」
「同じ事だろう。左軍の大将としてあの方が必要なのだ、いまは。武将としてそれに従うのになんの不満がある?」
 焔耶とて、涼州平定の戦に文句があるわけではない。
 ただ、その大将として、北郷一刀という人物が配されていることには疑問があった。
 なぜ、名のある魏の将ではいけなかったのか。それこそ、騎兵戦術を得意とする張遼が大将を務めていればよかったのではないか、と。
 といって、北郷に決定的な失点を見つけられたかというとそういうわけでもない。
 左軍全体の運営はそれなりにうまくいっていたし、何度かの模擬戦でも文句をつけられるほどひどい指揮をしたわけでもない。
 いや、それどころか何回か行われた模擬戦においては、彼が所属する側が常に勝ちをおさめている。
 大将がいるということで兵や将の士気が上がるのだろうが、北郷自身もそれに応えられるだけの指揮を取れるという証左でもある。
「しかし……」
「まあ……たしかに危ういな。曹操に意見できるほどの者がこれだけの兵を率いるとあれば。他にも色々ときなくさい面がないとは言わん」
 星はあっさりと焔耶の疑念を認める。
 星とて蜀の将として、色々なことに気を配っているつもりだ。ただし、同輩たちからはなぜかあまりそのように受け取られていないのだけれど。
「だが、焔耶。それだけか?」
「わからん」
 問いかけに、焔耶は忌々しそうに首を振る。手を胸にやり、なにかが喉にからまっているとでもいう風にとんとんと指で叩く。
「だが、なにか、ちりちりくる。それが桃香様に仇なすこととなれば……」
「斬るか」
「斬る」
 問う声も答える声もよどみない。
「華雄がいるぞ、呂布がいるぞ、張遼がいるぞ」
 歌うように当代きっての使い手達の名を挙げる。だが、それを聞いても、対する女性の表情はぴくりとも動かなかった。
「関係ない」
「頑なだな、焔耶。それは私にとっては好ましいで済む話だが……」
 星は目線の高さに杯を掲げて、それを焔耶に突きつけるようにする。そこになにか感じたのか、焔耶の目がすっと細まる。
「それを軍師殿たちに利用されるでないぞ?」
「どういうことだ?」
「なに。やるならば、あくまで自分の判断でやれということだ」
 酒杯があさっての方向を向き、焔耶の体からも力が抜ける。
 生の殺気をぶつけてまで、こやつは何が言いたいのか。彼女はにこやかに微笑む星を探るように見つめながら、腕を組んで考え込んだ。
「実際、私もお主も、しっかりと判断できるほど北郷一刀という人間を見てはいまい。将をとりまとめ訓練させる腕はあるとわかったにせよ、実戦すら間近で経験しておらぬのだからな」
「まあ、それはそうだ。……要するに、まだ判断するには早計だと言いたいのか?」
「少なくとも人に話せるほどのものはないということさ」
「そうか」
「だから、焔耶。お主もよっく観察するがいい。私もこの戦の間、天の御遣いというものがはたして我らにとって、そして、この大陸にとってどんな意味を持つのか測ってみるつもりだ」
「うむ。まずは着陣を待つか……」
 少し考えた後で、一理あると焔耶は頷いた。
 たしかに北郷一刀という男に関して懸念はある。だが、彼女自身が言ったように、まだ形になっているものではない。それがなんなのか探ってみても遅くはないはずだ。
 そして、なにかが明らかになれば、そこでまた考えればよい。
 そこまで思考を進め、これについて彼女の中では一段落となりかかったところで、星が唐突に呟いた。
「一つおもしろいことを教えよう、焔耶」
 言葉は焔耶に向かっているのに、星の視線は焔耶を見ていない。それはまるで遠いどこか、あるいはいつかを見ているようだった。
「私はあれを一番はじめに助けている」
「……ん?」
「天の御遣いがこの世界にやってきた、その時に賊から助けているのだ。風や稟と一緒にな。おそらく私の助太刀がなくば、あの方は死んでいただろう」
 焔耶は首をひねる。何の話だか、皆目見当がつかなかった。
 奇しき縁ではある。だが、それがなんだというのだろう。
 天の御遣いが現れたのは、黄巾の乱よりも前のことと聞いている。そこがいまと直結するとは思えなかった。
「……で?」
「だからだな、北郷一刀という人物をこの世に招き入れた責任は私にもあり、もしも……しっ」
 星の制止を受けるまでもなく、焔耶もその近づく気配に気づいていた。しばらくすると外から兵士の声が聞こえてくる。
「失礼します」
「聞こえている。そこで話せ」
「はっ。右軍の楽進将軍がおいでになりました。緊急で軍議を開くとのことです」
「そうか。では我々もいくとしよう」
「ああ」
 二人はそれぞれに片付けと用意をして部屋を出て行く。
 もしも、とその後にどう続けようとしていたのか。
 それは、焔耶にも他の誰にももはやわからなかった。ただ一人、艶然と微笑む星を除いては。

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