第三回:弓手

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4.彼方より

 華琳たちが撤収の準備をしている城から、ほど近い森の中。
 その最も高く太い木の先端が、ゆっくりと揺れていた。
 なんとその梢には、筋肉の塊……いや、人影があったのだ。それは、両の足の裏でしっかりと幹の先を押さえつけ、木の上に立つことを可能としている。
「あんらぁ~。合肥の戦神と、孔融の処刑がこんな風に絡み合うなんてねぇ」
 野太い声が響く。それに驚いたのか、何羽かの野鳥が枝を離れて空に消えていった。
「この外史は奇妙な状態を保っておる」
 答える声もまた渋く力強い。こちらはどこにいるのかと見れば、先ほどの木の近く、これも大木の太い枝に足をひっかけて逆さづりになっているのだった。
「そうねん。ご主人様が一度戻っちゃったせいで、霞ちゃんたちの思いが……なんていうか、遠慮がちになっちゃってるのかもねん。そうして、表に出せない分……秘めた思いが先鋭化するってところかしらん」
 怪人――森の木の上に立ったり逆さづりになったりする人間たちをそれ以外にどう評しよう――たちは、まるでしっかりとした大地の上で交わすように、何気なく会話を続ける。
「恋を知り、その恋を失う事も知ったおとめたちは、以前のままではいられぬか。なかなか業の深いことよのう」
「そういうあなただってん、華佗ちゃんのところに入り浸りじゃないのん」
 その指摘に、片方の影が揺れる。ぐるり、と枝を中心に一回りして、また元の場所に戻った。
「ま、まあ、それは、どこの外史のだぁりんも、魅力的でだな」
「うっふぅん。まあ、いいわ。それより、しばらくは注意していないとね。あいつらは動けないはず。そのはずなんだけど、こないだのこともあるしねえ……」
「この間、七つの外史に分裂した時はさすがの儂も驚いてしまったのだ」
「あれは夢として片付けてくれたからなんとかなったけどねん。下手をしたら、七つとも固定化してたわ……。ああ、怖い」
 ぶるぶるっと口で言って震える筋肉。
「なんにしろ気をつけないと。あれが新しいやりかたかもしれないしねん。さすがに七つにもわかれたら、ご老人たちが直接動いちゃうかもしれないもの」
「そうだな。あやつら自身が動くだけが策でもない。危険な存在だという意識を植え付けるだけでも効果はある。だが、無駄に心配事をしてもしかたあるまい。まずは、この流れを見守るしか……。いや、もういっそ直接関わってみるか?」
 その言葉に、しばらくの間樹上の人影は黙考していたが、結局首を横に振る。
「そうしたいのは山々だけどぉ。やっぱり、みんなのがんばりを見ているとねえ。邪魔しちゃいけないような気がするのよぉ」
「ふむ」
「寂しいけどねえ……」
 枝にひっかかった影が、ふっと息を漏らす。それが会心の笑みだと、もう一人の影は重々承知していた。
「いや、寂しさをこらえてそうして見守ることは、生半な覚悟では出来ぬこと。ぬしもよい漢女に成長したのう」
「あらん、褒めてもなにも出ないわよん」
「はっは。師にとっては弟子の成長こそが最大の褒美よ。っと、そろそろ退散すべきかな」
 怪人の驚異的な視力は、城で兵たちを指揮していた赤毛の女性がなにかに気づいたようにあたりを見回しては首をひねっているのをしっかりと捉えていた。
「そうねん、恋ちゃんが気づいちゃうわね。あの子、特別鋭いからねん」
「では、ゆくか」
「あーい」
 そんな声と共に、二つの影は忽然と消える。
 後に残されたのは、普段とまるで変わらぬ森の姿。ただ一つ、大樹の梢だけがなにかの名残のように、ゆらゆらと揺れ続けていた。

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