第三回:弓手

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2.始末

 秋蘭の率いてきた軍は麾下の三千と親衛隊五千を含め、二万を数えた。
 練度のよい部隊による奇襲と、戦のはじめから恐怖をまき散らしていた張遼、呂布の二将軍の出撃により、叛乱軍は完全に統制を失った。
 さんざんに追い散らかし、結局、半日後に孔融が捕縛されたことで、形勢は定まった。
 いまだにいくらかの部隊が未練を持ってか、城から少し離れたところをうろうろしているため、恋が秋蘭の部隊から兵員を引き連れて掃討に向かっている。
 だが、それらの始末を含めて、すでに戦は終わったと言っていいだろう。実際、城には開放感が漂っていた。
 だが、宵闇が近づく中、華琳たちに近づいてくる一行には緊張感が漂っている。
 灯火を捧げ持つ霞と、それに照らされながら、秋蘭の腕を子細に見分している詠、急ぎたいのに詠に腕を掴まれて動きにくそうにしている秋蘭。
 その三人組の様子に、華琳は愛しい部下の名を呼びながら駆け寄らずにはいられなかった。もちろん、一緒にいた一刀も遅れずに走り寄っている。
「秋蘭!」
 近寄れば、かなりの傷であることがわかる。暗くてよくわからなかったが、顔つきも真っ白ではないか。
「大丈夫です」
 薄く笑う秋蘭。けれど、その腕にとりついて治療を行おうとしている詠にはそんな動きも邪魔でしかたない。
「あー、もう! 動かないで、見せなさいって。傷が開くでしょ」
「しかしだな、まずは華琳様の無事を……」
「見りゃあわかるでしょ。無事だってば」
「……あー、一刀。孟ちゃんを連れて、兵の見回りでも行ったらどないやろ?」
 一刀は詠に霞、秋蘭、それに真っ青な顔を歪ませている華琳を見比べてから、優しく華琳の肩に手を置いた。
「了解。ほら、華琳」
「ええ……」
 予想外に抵抗はない。金の髪を持つ覇王は、しばらくの間は彼の腕の中にその体を預けていたが、途中から早足で歩き始める。
 城の一角にたどり着き、物見櫓に登った彼女はぎゅうと拳を握りしめ、闇に落ちた北方の平原を見つめた。
「見ていなさい、司馬氏も孔氏も九族皆殺しにしてやるわ……」
「おいおい」
「こればかりは聞けないわよ。私に刃向かい、あまつさえ秋蘭の弓手を傷つけたやつらを許すわけにはいかないでしょう」
 その激情に、北郷一刀は困ったように眉根を寄せる。
「俺だって、秋蘭を傷つけられて怒りを感じてる。けれど、それを無関係の人間にあてつけるのは……。参陣していた連中はもちろん処罰するにしてもだな……」
「くどい」
 一刀の反論を、華琳は一言に切って捨てる。しかし、男は表情を変えることもなく、小さく震える金髪の少女の事を見つめていた。
「華琳」
 優しく、けれど、甘やかではなく。
 その呼びかけに応じたか、彼女は何度か大きく息を吸い吐きすると、表情を切り替えた。
「……まあ、いい。まずはこの地での後始末よ」
「ああ、そうだな」

 庭に張られた天幕の中、大幅に増やされた灯りの下で、詠は秋蘭の治療をひとまず終えていた。霞はいつの間にか消えている。どこかで酒でも飲んでいるのかもしれない。
「はい、これでおしまい。あとは、本職の医者に診せなさい。……取り戻すには結構かかるかもね」
 なにをと詠はあえて口にしない。
 その眼鏡の奥の瞳を、秋蘭もじっと見つめていたが、木ぎれと包帯で固定された手首に視線をやって、やれやれと苦笑を浮かべた。
 指を動かして見ることもしなかった。
「……しかたあるまい」
「そういえば、あんたが戻ってるのもそうだけど、よくこんなに早く数を揃えられたわね」
 その問いに秋蘭は一つ肩をすくめてみせる。痛みが走ったのか、ほんの少し顔を歪めながら。
「洛陽に戻ってみたら、華琳様が囲まれていると聞いてな。私が来た方がよかろうと判断したのさ。兵は、虎牢関の兵を併せて連れてきた」
 ちょうどその時、華琳と一刀の二人は天幕の戸口をくぐったところだった。
「あらあら。大胆ね、秋蘭」
 虎牢関は要所だ。そこには常に兵が配されているが、それを引き抜いたとなれば、守りが薄くなるのは当然。大胆と評したのはそのことだ。
「今回はともかく急がねば、と思いました。すでに関には兵が補充されているはずです」
「桂花と稟がいるのならそのあたりは大丈夫でしょうね」
「それと、これは私の独断ですが、流琉は司馬氏の本拠地を叩きに行かせました。北郷、悪いが七乃たちを借りたぞ」
「たちって……美羽も?」
 その言葉の含意に、少々驚く一刀。
 袁術という少女は彼の下に来てから政策面ではわずかに評価されるようになったし、それは華琳も認めるところだが、軍略で役立つとは思えなかったからだ。
「ああ。あれらも蹂躙戦は得意だろう」
「……まあ、弱い相手の隙を突くのは好きそうだけどさ」
 心配ではあったが、流琉がいるならば大丈夫だろう。
 そう、彼は結論づける。
「姉者たちも反転して孔融及び司馬氏の本拠地を叩く手筈になっております」
「そう。まずはよい手配りね。ありがとう」
 華琳は言いながら、秋蘭の横に座る。その目が気遣わしげに包帯の巻かれた手首に落ちていた。
 詠と目配せを交わし合い、一刀は、彼女たち二人を置いて天幕を後にする。
「あれじゃボクたちはお邪魔ね」
 天幕の戸口の側にとどまり、二人は会話を交わした。
「まあな。それより詠。孔融を連れ出すことは出来るかな。少し話がしたい」
「孔融と話、ねえ。まあ、なんとかしてみるわ」
 言って、詠は歩き出す。
 だが、彼女は孔融の名を呼んだ時、彼の指が無意識のうちに、その刀の鍔をなでるようにしているのを見逃しはしなかった。
 少し行くと、案の定酒杯を傾けている女性の姿を見つける。
「霞」
「んー? 詠も飲むかー?」
 彼女はいつも通りの羽織をひっかけただけの姿で、酒杯に月を浮かべていた。
「あとでね。それよりいまは、孔融を連れてきて」
「はん?」
 孔融を捕らえたのは霞であり、いまは彼女の部下がその身柄を押さえている。だから彼女にそれを頼むのは当然だ。
 だが、詠の声音になにか事務的なものとは違うなにかをかぎつける霞。
「くれぐれもあの馬鹿に見つからないように。もちろん、華琳にも」
「ふーん……。了解」
 一息に酒を飲み干し、酒瓶を腰にくくりつけながら彼女は立ち上がる。
「あとで一緒に飲む約束忘れたらあかんでー。あ、一刀も一緒になー」
 ひらひらと手を振って歩み去る霞の背を見つめながら、詠は、はいはいと苦く、けれど温かな笑みをその頬に浮かべるのだった。

 残兵の掃討を終えた恋が戻ったことで、軍議が開始された。
 司令部となっていた庭の天幕ではなく城内の会議室を使っていることが、戦が終わったことを如実に示している。
 そこに遅れて入ってきた霞は手に持っていたものを無造作に卓の上に置いた。
「孔融、連れきたで」
 ごろりと転がった生首は、まさしく孔融のもの。
 いまさら血の臭いで動転するような者はいなかったが、さすがにそれを見て全員が驚きの表情を浮かべた。
 いや、一人恋だけは一羽残った鳩相手に遊んでいたが。
「霞? 私は孔融を殺せと命じた覚えはないけど」
 最初に驚愕から立ち直った覇王が目を細めて冷たい笑みを浮かべる。それに対して、北郷一刀が何度か咳払いをしてから答える。
「華琳。俺が命じたんだ」
「ち、違うわよ。ボクが霞に頼んで」
 重ねるような詠の声。それに対してのんびりと言ってのけるのはその首を持ってきた霞だ。
「いややわー。みんなしてうちの手柄とらんといてぇな。これはうちがとってきた首やで」
 華琳は三人の顔を見回し、しばらく考えるようにうつむいた後、我慢しきれぬように、ぷっと吹き出した。
「そういうこと。まったく、三人して気の回しすぎよ」
「華琳、俺は……」
 何事か言おうとする一刀を、手を上げて制してから華琳は考えを口にする。
「わかったわ、孔氏も司馬氏も参陣していない氏族は罪を問わないこととする。それでいいでしょ」
 ただし、と彼女は続ける。
「今頃はもう流琉や春蘭が本拠地にも攻め入ってるでしょうし、その時に投降に応じなかった者は斬るしかないわ」
「……それはしかたがないだろうな」
 霞の本陣急襲と、孔融の殺害によって、こちらに攻めてきた軍の幹部はほとんど処分された。援軍を引き連れてやってきたはずの許攸がいまだ見つかっていないが、それも時間の問題だろう。
 司馬氏、孔氏は潰滅状態になるだろうと一刀は予想する。
 彼の世界でも孔融の係累は別の件で処罰されたが、こんなに次々と司馬氏が死んでいく歴史はない。
 それがこの世界独自の自然な流れなのかどうか。彼には判断がつかなかった。
 だが、少なくとも曹操が孔子の子孫を根こそぎ謀殺したという汚名は免れるだろう。
 孔融自身の死を命じたのは北郷一刀ということにしておけばいい。彼は世間にはそう伝わるよう手を打とうと決めていた。
「それから、いくら関係していなくとも、孔氏及び司馬氏の一族は官からは追放。両家の財産は没収して、秋蘭に継がせることにするわ」
「華琳様、そのような……」
「あー。まあ、それはそれでいいんじゃないかな。な、秋蘭」
「もらっておきなさいよ。それで気が済むんだから」
 断ろうとする秋蘭をとりなす一刀と詠。
 変に強硬的な処分を下されるより、その程度でおさまってくれたほうがいいというところだろう。
「そうね、どうせなら司馬の名前ももらってしまう? 夏侯の直系は春蘭が継ぐことだし」
「そ、それは少々……」
「さすがに冗談よ」
 からからと笑う華琳。お人が悪いと拗ねたように言う秋蘭を見て、さらに彼女は笑う。
 しかし、ふと笑いを止めて腕を組んで考え込んだ。
「それにしても、秋蘭の怪我もあるし、これでは、このまま呉に向かうのは無理ね。といって、誰も出ないというのも……」
「俺が出てくるよ。役職的にもそうだし、恋人の葬儀に出ないってのもおかしな話だしな」
 手を挙げて発言する一刀に、華琳は少し考えた後で結論を出した。
「そうね。一刀、それに霞。あなたたち、雪蓮の葬儀に出て、さっさと帰ってきなさい。いい? 特に霞は奮戦してくれた後で悪いけど」
「わかったわ。うちも少し絶影と駆けへんと、体が鎮まってくれへんからな。ちょうどええ」
 それから華琳は他の面々に顔を向ける。
「私たちは洛陽に戻って、混乱を鎮め、ついでにわき出したやつがいるならそれも叩くわ。詠、今回の件はあなたにも責任があるのだから、後始末はつきあいなさいよ」
「はいはい、了解」
「恋も力を貸してもらえるかしら?」
「ん、わかった」
 そういうことになった。

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