第二回:修羅

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2.遼来来

 霞は洛陽を発つ前、長いつきあいでもある詠と交わした会話を思い出していた。
「司馬氏~?」
「そう、司馬氏。あいつの世界では、魏の後釜に座るのが、司馬氏の建てる晋とやらいう国らしいのよ」
「天の世界の話が、どう関係するんや?」
「ボクにも正直わからない。でも、あいつは気にしてる」
 詠はお手上げ、と手を広げてみせる。だが、呆れているのか感心しているのか、霞には判断がつけがたかった。
「その司馬氏が孟ちゃんの後を継いだ人間から簒奪することをか……。まあ、一刀にしたら自分の子や孫の話やろし、気になるんもわかるけど……」
「違うのよ」
 詠はそこで一つため息をついた。
「あいつは、自分が関わったことで、この世界を必要以上に歪ませてしまったんじゃないかと心配しているの」
「は? 王権を奪われることを気にかけてるんちゃうんか?」
「もちろんそれは防ぎたいみたい。けれど、それを必要以上に防ぐことで、この世界の自然な流れを変えてしまったらいけないとも思ってるらしいの。ボクもはっきりと聞いているわけじゃないけどね」
 さすがに霞もそれには困惑してしまう。
 一刀という男は天の国から来ただけあって、視点が違うことは多々あった。それにしても、詠の言っているのは外れすぎだ。
「わ、わからんなあ」
「わからないでしょ? ボクにもさっぱりわからないわよ。でもね、あいつが憂えている。それだけで十分じゃない? 霞、あんたが動くにはね」
「詠、あんたもやろ」
 さあてね、と笑う謀士は、それ以上なにも言わない。
 けれど、この昔なじみが、董卓以外の誰かの事を考えて動く図など、彼女は見たことがなかった。
「でも、一刀が心配してるんが魏のこの先やのうて、この大陸の……なんちゅうのかな。動きそのものなんやったら、うちらにはどうしようもないんちゃう?」
「ええ。でも、吹っ切れさせることは出来るでしょ」
「……おそれの対象そのものを、消してしまえばええわけか」
 さすがになじみだけあって、了解は早い。
 それに、彼女のほのめかすそれは、武将に求められる責務に他ならない。主の――いまや主となった者の障害を排除することは。
「うちはええよ。異存はない。せやけど……ええんか、ほんまに」
「所詮血塗られた道でしょ。ボクたちも、あいつも」
「いや、それも問題やけど……。ええのん? それって、詠が――ひいては月も、一刀と同腹一心と見なされるってことやで」
 そう言うと、彼女は、
「ふんっ」
 と大きく鼻で笑ってみせたのだった。
 ふん。
 霞も大きく鼻を鳴らす。
 手に持つ偃月刀を握り直し、彼女はにぃと口角をつり上げる。
「あんたらに責があることやないんやろうけどなあ」
 ぺろり。
 彼女の口元から覗く舌は赤々と燃えるようで、湿り気を与えられた唇もまた、燃え上がるようだった。
「一刀が枕を高うして眠るために、司馬氏には絶滅してもらわなあかんねん」
 目指すは本陣。
 獲るべきは、首に非ず、名に非ず、その命脈。
 張文遠の進撃は止まらない。

 こんなはずではなかった。こんなはずでは。
 二万五千対五千足らず。
 その差、五倍以上。たとえ籠城されても突き崩せるほどの戦力差。寄せ集めの兵は、確かに士気は高くなかったが、一押しされて逃げ出すほどの弱兵ではない。複雑な連携を取れと言うのは難しいだろうが、部隊ごとに平押しするには十分であった。そして、それで倒せるはずだったのだ。
 それなのに。
 いかに謀反の軍の雇われ将軍に成り下がったとはいえ、かつては袁術軍にこの人ありと言われた李豐将軍ですら――いや、彼だからこそ、その現状を理解することが出来なかった。
 与えられた兵は三千。しかも、本陣直衛である。
 下手をすれば剣を振るう機会すらないのでは、と危惧していたほどだ。
 それがいま彼は、そして、彼の部隊は潰滅の危機に瀕している。
「呵々々々々々々々、呵ーッ呵々々々々々々々々々々々!!」
 その鬼は、笑っていた。
 その獣は、嗤っていた。
 笑いは、邪悪を遠ざけ、魔を払うという。
 だが、その笑いは、退けるべき魔そのものから漏れていた。
 手には血に濡れそぼった飛龍偃月刀。
 振られる度に肉が断ち割られ、骨が砕かれる。
 名馬絶影もまた血に濡れて、あたるを幸い、敵兵の耳を噛みちぎり、臓物を引っ張り上げ、膝を踏み抜く。
 ぬめって滑るはずの得物は、すでにべっとりと張り付いた血が固まって、腕と一体化していた。
 そして、その体は上から下まで、赤黒い血潮に、黒く染まった肉片に、乾いた土の色をしたはらわたに濡れていた。
「知っとるか。西の方にはな、仏法やらいう教えがあるそうや。その教えのなかに、修羅道たらいうもんがあるんやて」
 友に話しかけるように、その女は獰猛な笑みをたたえながら語りかける。
 その相手は目の前で偃月刀に切り裂かれている兵でもなく、背後に付き従うわずか五百の決死隊でもなく、おそらくは『死』そのものであったろう。
「その世界では、阿修羅ちゅうんが、ひたすら闘っとるらしい。阿修羅同士で闘い合い、戦をして、たまに集まっては神さんたちに戦を挑むんやそうな」
 その鬼に続く兵は五百。たった五百にすぎない。
 しかし、それらの兵にすら射かけた矢は通らず、突き出した槍は届かない。
 彼らがぐるぐると螺旋を描くように内側と外側、いくつかの列を入れ替わりながら、援護と攻撃、それに休息を取りつつ進撃していることなど、兵たちはおろか、李豐ですら気づけなかった。それほど人馬の動きは一体化していて、まるで動いてすらいないように見えたのだ。
 それを成し遂げられるのも、先頭で一時も休まぬ鮮血獣がいるからに他ならない。
「阿修羅っちゅうのは元々正義の神さんでな。正義の怒りで戦うとるうちに、我を忘れて怒りと闘争に心を奪われてもうたんやて」
 首が飛ぶ。
 腕が飛ぶ。
 恐怖に気がふれたか、音程の狂った雄叫びを上げ続けていた兵の声が、ぷつりと途切れる。
「でもな、それって罪なんかいな? 戦わんと死ぬんやで。戦わんと己の怒りが誇りが踏みにじられるんやで」
 李豐は考える。
 こんなはずではなかった、と。
 二万五千に五千が、ましてや五百が勝てるはずがないのだ、と。
「せやったら、戦うんが当たり前やろ。己のいっとう大事なもんが奪われて、穢されたら、戦うんが当たり前や。たとえそれが罪やろうと悪やろうとな。うちは、戦うで。おうさ、修羅道結構。なんぼでも入ったろやないか」
 だが、と李豐は気づく。
 ここにいるのは俺一人だ。
 そして、目の前には、一体の修羅。
「呵々々々々々々々」
 首が飛ぶ。
 腕が飛ぶ。
 引きずり出されたはらわたが、長く長くとぐろを巻いて、地面に落ちる。
 叛乱軍本陣直衛部隊は、それを構成する大半の人間が生きていたにもかかわらず、隊長とその周辺にもたらされた絶対的な死を目撃することで四散、潰走した。

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第二回:修羅」への2件のフィードバック

  1. 修羅か・・・そう聞くと一つの世界を壺毒に見立てて造り出された悪魔、人修羅を思い出すなぁ

    •  修羅を生み出してしまうような状況はあまりいいものとは思えないのですが、それでも、どうしても生まれてしまうのでしょうなあ。

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