北郷朝五十皇家列伝・陸家の項[陸遜]

 陸家は陸遜にはじまる皇家である。
 初代陸遜は元々『呉の四姓』とうたわれた顧・陸・朱・張のうち陸氏の傍系に生まれたが、後に孫呉の重臣を経て、皇妃となった。
 陸家は七選帝皇家の一つとなったが、主に軍略、兵法に関する知識についての評価を主としたと伝えられ……(中略)……

 また、孫呉の重臣であった過去から、陸家には孫世家より呉孫子兵法の管理が託され、原本の保存はもちろん、数多くの写本が陸家監督の下に作成された。
 この代々の使命と、七選帝皇家としての務めの関係であろう。陸家では各地の史書、兵法書をはじめとした書物を数多く蒐集、保管することも代々の家業となっていった。
 このため、書物の専門家として、宮中でもそれに類する役に……(中略)……

 時代が下り、定帝の時代。
 陸家の血統に連なる者に、陸挙という人物がいた。彼は陸家の中ではそれほど主流の血筋ではなかったが武術に優れ、また家系の常として軍略にも明るかったせいか、出世して執金吾――つまりは宮中の警護の長にまで上り詰めた。

 彼が執金吾を務める期間のある日、宮殿の書庫の一つから火が出た。
 彼はこの時、まず書庫の消火に走るより、兵を集めることを優先した。宮中の動揺を警戒したとも、この機を狙って叛旗を翻すつもりだったとも、単純に慎重な性格だったために、避難の誘導と鎮火に足りる人手が集まるのを待ったとも言われる。
 いずれにせよ、この行動のおかげで、書庫自体の消火活動が遅れ、貴重な史書の類がいくつか燃え尽きた。ただし、人々が炎に動揺する中に規律のとれた多数の兵を投入できたために、死傷者が出ることはなく、また、他の建物に被害が出ることもなかった。

 これに対して時の帝は書庫が焼け、書物が焼けたことを嘆いたものの、陸挙が類焼を防いだ働きについては評価したと伝えられる。事実、陸挙はこの後も八年間執金吾を続けていることから、密かに咎められるといったこともなかったのであろう。

 ここまでは史書や様々な資料から事実と推定されている話であるが、さらに続きがある。
 火災を鎮めたその晩に陸挙が眠りにつくと、枕頭に初代陸遜が立ったというのだ。
 一晩中、本を燃やしたことをさんざんになじられ、ぽかぽかと子供にするように頭を殴られた、と彼は知人に語り、大きなたんこぶが一つ出来ているのを見せたという。

 この逸話は史書には記されていないが、当人の日記と、話を聞いた知人の甥がまとめた怪異録『古今志怪』に収録されていることから、知人に語ったというところまではどうも事実であるらしい。
 果たして、本当に初代陸遜が夢に現れたのか、陸挙が消火作業の際にでもつくったこぶを使って周囲をからかったのか。
 そのあたりは判然としないものの、そのようなことがあってもおかしくはないと思われるくらいに、陸家の書物への傾倒は世に知られ……(後略)

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