北郷一刀の消失・後編

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9.クリスマス・イブ

「そうですか、華琳様もうまく行きましたか」
「たぶん、だけどな」
 体を起こす一刀に、ほうと息をつく稟。
 華琳まで解放できれば、あとは一刀当人を残すのみ。安堵の息を吐きたくもなるだろう。
「普段はここで戻るところですが」
 稟は少し考えた後で、ベッドに腰掛けている一刀に告げた。
「今回ばかりは一度戻るより、このまま一刀殿をお起こしするほうがよいかと思います」
「そのあたりは稟の判断に任せるよ」
 実際、どうすれば目を覚ませるものか、一刀にはよくわからない。
 これまで皆の夢を巡った感触で大部分の記憶は補強されているし、華琳たちの世界に戻ることにはなんの異存もない。
 だが、そのための方法はさっぱり思いつかない。
 他の者たちの例を参考にするなら、稟が接触してきた時点で目覚めていなければおかしい。しかし、そうでない以上、なにか別の要素が必要なのだろう。
「その前に、少しよろしいでしょうか?」
「なに?」
「この世界をしばし見て回るわけには行きませんか?」
「どういうこと?」
 稟の提案に、疑問を呈する一刀。
 術を行使している稟自身の負担を考えると、はやく事を済ませる方がよいのではないかと思ったのだ。
「この世界は、一刀殿の夢ですが、それはつまり天の国の記憶を形にしているということでもあります。言葉だけでは理解できないことが、ここでは観察できるわけです」
「ははあ」
「もちろん、一刀殿自身が見たことがあっても構造はよく知らないものなどは、中身のないはりぼてとなっているか、つじつま合わせが行われているかもしれませんが」
 稟の言いたいことはわかる。
 一刀自身が理解している事柄なら夢とはいえ記憶通り再現されているはずで、それを見聞することは彼女の知的欲求を満たすことになるだろう。
 軍師の任になにか役立つものもあるかもしれない。
「それに連続で術を使うよりは、少しこちらになじませてからのほうがいいと思いますし」
 きっとそれはあまり重要な理由ではないだろう、と一刀は踏んでいた。
 だが、さすがにあまりに余裕がない状態でそんなことを言い出したりしないだろうし、稟が望むことなら協力したい。
「じゃあ、そうだな……外を歩こうか」
 それから彼はカレンダーをちらりと見て、こう付け加えた。
「ちょうど今日はクリスマス・イブだ」

 大通りまで歩く道すがら、一刀はクリスマス・イブについて稟に説明する。
 稟たちの時代だと、仏教ですら部分的にしか伝播してきていない。キリスト教が東アジアの端に流入してくるのはまだ先のことだ。
 だが、イエスは中東で生まれ死んだろうし、ローマではキリスト教が発展している頃だろう。
「人が多いですね」
「お祭りだからね」
 遅い時間だというのに、街中は賑やかだ。
 カップルをはじめとする人々が行き交い、それを当て込んで飲食店や様々な店舗も普段の閉店時間を延長して営業している。さらに、木々はイルミネーションで飾り付けられ、夜とは思えないほどに明るい。
 一刀は稟が疑問を持った事について一つ一つ説明を加えていく。
 彼女は中でもイルミネーションに興味を持ったらしい。これだけの光を発することが出来れば、夜間の作業や軍事作戦に使えると思ったようだ。
 しかし、それを成し遂げるまでにかかる努力を考えると一朝一夕に行くわけもない。参考になるのだろうかと彼は少々不安に思うのだった。
「なあ、稟」
 ピザ屋の店先で回転している飾りに稟が夢中な間に周囲の人々の群れを眺めていた一刀は、その人並みから連想させられたことを彼女に訊ねてみる。
「ここにいる人たちは、俺の分身ってことになるんだろうか?」
 絶句する稟。
 そんなことは考えてもみなかったのだろう。彼女は腕を組み直し、眼鏡を押し上げて周囲を見渡す。
「そのあたりは……確実には……」
「他の夢にしてもそうだ。華琳や麗羽たちが夢を見ていたのはわかる。でも、そこにいた風や稟といった人物たちは、ただの舞台装置に過ぎなかったのかな?」
「難しいですね。こうして術にかけられたものではなく、毎晩見る夢でさえそういうことを考えることは出来るわけですし」
 こうした思考実験は稟も得意とするところだ。
 不意を突かれた動揺から立ち直ると、彼女は彼の言葉についてじっと考え始める。
「確かに、そういう精神的な攻め方もあるね。ただ、俺は、ある人から外史っていうのを……」
「なんです?」
 奇妙に途切れた言葉に不思議そうに声を上げる稟だったが、一刀の方は口ごもったまま、中途半端な笑みを浮かべた。
「いや、なんでもないよ」
 彼は、とある人物から、外史という存在について聞いていた。
 それは並行世界だとかそういうものですらなく、この世界も華琳たちの世界も物語の世界だとするような話だ。
 そして、それを彼に話した人物を信じたか信じないかが、この世界にとどまったか、あの世界へ戻れたかの分岐点であったことを、彼は出し抜けに思い出したのだった。
「外史、か……」
 小さく呟く声を誰も聞き取りはしなかった。
 稟はコンビニの店頭に引き出された中華まんの保温器と、それを売っているサンタ店員に興味を移していたし、もちろん、イブの夜を楽しんでいる人々は他人に構う暇などないのだった。

 さらに大通りを進み、駅前の広場に至る。
 そこにはひときわ大きな木が立っていて、クリスマスツリーとして飾り立てられていた。その飾り付けの意味などを質問していた稟は、しばらく何事か考え込むようにすると、真正面から一刀に向かい合った。
「ん?」
「少し話をしていいですか?」
「ああ、もちろん」
 彼が頷くと、彼女はなぜだかほんの少し悲しげな様子で語り始めた。
「子を奪われた母がいたとします」
 それから少し首をかしげて、彼女は言葉を選ぶ。
「そうですね、賊では死んでしまっていることが多いので、奴隷商人にでも捕らえられたとしましょう」
 このイブの騒々しい夜の中で奴隷商人などというと現実離れして聞こえる。
 だが、それが彼や彼女にとってはけして荒唐無稽な存在でないことを、一刀はよく知っていた。
 事実、最初に稟たちに助けられなければ、一刀はとっとと売り飛ばされていただろう。
「母はその子が生きていることを知っている。ならば、母はどうするでしょう?」
「そりゃあ……行方を突き止めて、出来れば取り返そうとするだろうな」
「その通り。その母は必死で子を取り戻そうとするでしょう。いかなる手段を使おうと、どんなに自らを傷つけようと」
 きらり。
 彼女の顔を隠すように、眼鏡がイルミネーションの七色の光を反射した。

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北郷一刀の消失・後編」への2件のフィードバック

  1. 北郷一刀の消失・前後編共に稟メインヒロイン回でしたね。
    稟ががっつり主役を張る話は此方に限らず珍しい部類です。もう少しスポットを浴びても良いキャラなんですがねぇ~不思議なもんです。

    •  魏のキャラは濃い人が多いですからねー。
       軍師に限っても、風と桂花が強烈ですから、なかなか稟だけ、となると難しいのかもしれませんね。
       掘り下げると面白いと思うんですけども。

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