北郷一刀の消失・後編

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7.綻び

「幸い、袁家の二人は同じ夢を見ていたようですね。袁家に関わる面々が一気に目覚めました。やはり血縁でしょうか。残るは華琳様たちと、涼州勢となります」
 並んでベッドに座り、説明している稟の横顔を、一刀はじっと見つめている。その横顔はかつて夢――いや、異世界であるあの世界で見たのと同じように怜悧で美しい。
 けれど、巧みにそれに隠された表情や、気を抜いた瞬間に見せるものを、彼は見逃しはしなかった。
「稟」
「はい?」
「実際、どれくらいきついんだ?」
「なんのことでしょう?」
 さらりと吐いてから、しばらくの間稟は一刀の視線に耐えていた。
 だが、彼の手が彼女の膝の上の手に重なったところで、その目が伏せられる。
「……一刀殿には隠せませんか。ですが、お気になさらず。おそらく、二、三年寿命が縮む程度です。すぐに影響があるわけでもありません」
 一刀が息を呑む。
 何でもないことのように言うことが、その深刻さを余計に感じさせた。しかし、だからといって止めろとは言えない。言えるわけがない。
 彼女が無理をしてでも救う対象に自分が入っているというのならば、なおさらだ。
「どうすれば、少しでも和らげられる?」
 だから、彼は次善の策を取るしかない。
「干渉の回数を減らすことですか。しかし、袁家が一気に目覚めさせられたので、回数は自然減ります」
「……そうか」
 脳内で言葉をいくつも選び、それでも口に出来たのは、そんなつまらないことでしかなかった。
「華琳は最後なんだろ? すると、詠と翠か?」
「いえ、こちらもおそらく片方でよいでしょう。この場合、同じ夢にいるというのではなく、呪いの対象としての意味合い上ですね」
 曹操を封じ込める呪いに用いられた象徴は黄巾の乱当時の四方の諸侯。
 本来は董卓が収まるべき場所に、賈駆と馬超がいた。
 両者を使わざるを得なかったと言うことは、そのどちらかが崩れれば、もう片方も呪いを保つわけにはいかないというわけだ。
「……となると詠か。月のこともある」
「そうですね。では、そのように」
 本来の対象である董卓を知らぬままに取り込んでいる呪いがなにかのきっかけで暴走しても困る。
 詠の方を優先させるのは妥当な判断だ。まして一刀との関係の深さを考えれば、詠や月を選ぶのが当然とも言える。
「稟」
 ベッドに潜り込む一刀は、自分の手を握ってくれている女性の名を呼ぶ。その青い瞳がわずかに揺れるのを、彼は見つめ返した。
「無理をするなとは言わないけれど、俺にもちゃんと負担させてくれよな」
 答えはない。
 けれど、彼女が小さくこくりと頷くのを確認して、彼は夢の中へと落ちていくのだった。

 漢の尚書令賈駆は、このところ強烈な違和感に苛まれていた。
 その原因はわかっている。
 皇兄陛下こと、弁皇子……いや、北郷一刀だ。
 流星となって天空より降り来たった彼を保護したのは、十常侍によって拉致――彼ら自身は逃がしたと主張するだろう――された帝を探索していた霞であった。
 彼女が見つけた馬車の残骸近くに放り出されていた人影は三つ。すなわち、光り輝く『ぽりえすてる』を身に纏った北郷一刀と、帝である劉弁と、その妹であり陳留王の劉協であった。
 だが、ここで大きな問題が発生する。
 いかなる理由かはわからないが、帝とその妹が連れ去られた馬車は見るも無惨に破壊されていた。
 その破壊に巻き込まれたか、発見時点で既に大けがを負っていた皇帝劉弁が、収容後間もなく息を引き取ってしまったのである。
 この時点で洛陽の都は掌握していたものの諸侯の支持まではとりつけていなかった董卓勢力にとって、この事態は致命的であった。他勢力によって皇帝弑逆の汚名を着せられることはほぼ間違いなかったからだ。
 そこで、詠たちは決断した。
 たまたま劉弁に顔立ちの似ていた一刀を劉弁の身代わりとして立てたのである。
 その後、全てを承知して一刀を兄と呼んでくれた劉協に帝位を譲ったのは、真実から目を逸らすための方策に過ぎない。
 身代わりとして王宮でのんびりと過ごしていてくれればいい一刀が、積極的に彼女たちに協力するようになるとは思ってもいなかったけれど。
 そんな経緯で生まれた贋皇子であったが、帝であった人物が位を降りて一部将として戦闘の矢面に立っているというのは民をひきつけるものらしく、董卓勢力への兵と民の流入を促した。
 この効果によって、袁紹をはじめとした諸侯の大同団結によって作り上げられた反董卓連合をもはねのけた彼女たちは、帝と相国である月を中心にして、乱れに乱れた大陸の秩序を回復することに成功しつつある。
 いまだに独立して動いている国はあるが、それもこの調子ならばいずれは平定し、一体となった漢帝国を復活させられることだろう。
 それはいい。予想以上にうまく事は運んでいる。
 だが、昨今彼女が感じている違和感は、そういう政略や軍略とはまるで別次元のものだった。
 それは、弁皇子を見る度に感じる、なにか『嫌なもの』。
 もしや裏切りかなにかを直感がかぎつけたかと調査してみても、そんな事実はあるはずもなく、ただ、彼女の嫌悪感には根拠がないと突きつけられるばかり。
 霞などからは、それは恋やろー、とからかわれたりもしたが、けっしてそんなことはない。ありえない。
 恋というのは、もっと……。
 そこまで思考を至らせて、詠はぶんぶんと頭を振る。
「なに考えてるの、ボクは。恋なんてしてことないくせに」
 だが、本当にそうだったろうか。ならばなぜ、恋をするという事を思う度に胸に甘くも切ない気持ちが広がっていくのか。無性に誰かの指を、唇を、抱擁を求める衝動が生まれてくるのか。
「……ないはず、よね?」
 自問しても、答えは出ない。自分の根幹がなにかあやふやになってしまったかのような、気持ち悪さだけがこみ上げてくる。
 その時、部屋の扉が叩かれる。のっくとかいう天の国の風習だ。
「はーい」
 反射的に声を上げてしまい、しまったと後悔する。
「詠、ちょっと問題があって」
 案の定顔をのぞかせたのは、悩みの根源、皇兄陛下こと弁皇子だ。詠は渋面をつくって対応した。
「今日はボク、お休み」
「そういうわけにはいかないだろ。俺も詠も休日なんて……」
 近づいてきて、事態の深刻さを訴えてくる弁王子。
 彼はけして、無能なわけではないし、詠たちに迷惑をかけているわけでもない。たまに甘さがたたって、降将の待遇をよくしすぎるところはあるが、それも人気につながるのだから一概に責めることは出来ない。
 そう。詠に彼を嫌う要因などないはずだった。
「じゃ、行こう、詠」
 彼の手が詠の腕に触れる。自然、意識は彼のその手に集中し、詠の視界も狭まる。
 その瞬間、彼女は確信した。
 コノ、指ジャ、ナイ。
「触るな」
 手を振り払い、身を縮こませる詠。翡翠色の編み込んだ髪が揺れて弁皇子の腕を打つ。
「え、いやだな、詠。どうしたんだよ。いつもつんつんしてるけど、今日は……」
「触るなって言ってんの、この贋者がっ!」
 音を立てて椅子から立ち上がり、彼とは逆の壁際に移動する。
「に、贋者ってそりゃあ、俺は皇兄なんかじゃないけど、それはみんな承知の……」
「違うっ!」
 違う、そんなことじゃない。
「あんたは贋者よ!」
 詠は声を限りに叫ぶ。
 じりじりと、彼の腕が届く範囲を避けながら、彼女は壁沿いに少しずつ移動した。部屋の真ん中近くでぽかんと口を開けている男は、その動きに気づいていない。
「あんたは北郷一刀じゃない!」
「なに言ってるんだ、俺は、正真正銘……」
 詠は、彼が何を言おうと、聞くつもりはない。ただ、その男が触れられる範囲から出ることだけを考えている。
 言葉はそのために計算して投げつけているに過ぎない。
「あんたは……あんたは、ボクのご主人様じゃない!」
 最後にそう言い捨てて、彼女は扉をくぐり抜け、足に力を込めて駆けだした。
「お、おい、ちょっと、詠!」
 後ろでなにかわめいている声がする。だが、そんなことは構っていられない。
 詠は駆ける。
 逃げなければいけない。月を守らなければいけない。一刻も早く、この世で一番大事な少女を連れて、逃げなければならない。
「誰か、誰か、助けて」
 焦慮が背を押す。恐怖が足を動かす。
「んー、詠、どしたんー?」
 霞がのんびりと尋ねかけてくる。その声に少し歩調をゆるめかけて、けれど、詠はさらに加速した。
 違う、あれも贋者だ。捕まってはいけない。
 逃げろ、逃げろ逃げろ逃げろ。
 陳宮の脇をすり抜ける。呂布を迂回して、華雄を置き去りにする。
 相国の執務室で書類とにらめっこをしていた月の手を取り、走り出した。
「え、詠ちゃん、どうしたの? なにか起きたの?」
 事態がわかっていない月は、驚きながらも詠の導きに従って走ってくれる。けれど、どこへ行ったらいいのだろう。
 そこら中にあいつらは溢れている。だったら、助けを求めるべきは――!
 彼女は、最後の救いを求めた。
「助けて! 一刀っ!」
 鋭い声は、どこまで届いたろうか。不意に突き当たりに現れた人影がのばした腕に、彼女たちは絡め取られる。
「こっちだ、詠、月っ!」
 ああ……。
 詠は自らを抱き留める腕を見つめて息を吐く。
 そうだ、この指だ。
 彼女はとてつもない安心感と共に気を失った。

 目を覚ますと、周囲ではぱたぱたと人が動いている気配があった。
 眼鏡をかけていない状況でも、ここが自分の部屋でないことがわかる。寝ている間に移動させられたのか?
 疑問に思いながら体を起こす詠。
「あ、詠ちゃん」
「月?」
 頭にかんざしをさした衣装も胸も派手派手しい女性と話をしていた月が振り返る。
 月はともかく、なぜ桔梗がいるのだろう。しかも、それ以外にもいくつもの寝台が並び、何人もの人々がその周囲で忙しそうにしている。
 一体ここはどこなのだろうか。
「詠には月から事情を説明した方がいいかの?」
「あ、そうですね」
「では、わしは翠の様子をみてこよう。落ち着いたら声をかけてくれ。一応、医者に診てもらうことになっておる」
「はい」
 桔梗が部屋の別の一角へと立ち去った後で、月から大まかな事情説明を受け、あれがただの夢ではなかったと知った詠は仰天する他なかった。
 だが、その後に小声で付け加えられた月の言葉にはさらに驚愕させられることになる。
「寝起きのあれは、皆には言わないでおくね」
「ちょ、ちょっと待って、ボクなんか言ったの?」
「黙っておくよ、詠ちゃん」
 にっこりと笑って、ないしょね、という月はかわいらしかったが、それでごまかされるわけにもいかない。
「そ、そりゃないでしょ、なんて言ったか教えてよ!」
 少し困ったように上目遣いになる月。
「んー、言っても怒らない?」
「怒るわけないでしょ。あの……でも、言わないでくれるんだよね?」
「もう、詠ちゃん。言わないってば」
 月は楽しそうに笑って、体ごと詠の耳元に寄せると、こう囁いたのだった。
「ありがとう、ご主人様、って」

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北郷一刀の消失・後編」への2件のフィードバック

  1. 北郷一刀の消失・前後編共に稟メインヒロイン回でしたね。
    稟ががっつり主役を張る話は此方に限らず珍しい部類です。もう少しスポットを浴びても良いキャラなんですがねぇ~不思議なもんです。

    •  魏のキャラは濃い人が多いですからねー。
       軍師に限っても、風と桂花が強烈ですから、なかなか稟だけ、となると難しいのかもしれませんね。
       掘り下げると面白いと思うんですけども。

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