北郷一刀の消失・後編

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6.三重帝国

 仲―夏―涼三重帝国の都、長安は活気に満ちていた。
 たしかに戦は続いていたが、それもこの都の人間にしてみれば遠い場所の出来事に過ぎない。
 魏軍との函谷関での戦は散発的なものでほとんど進展がみられなかったし、南方の戦線は西は梓潼、東は白帝城まで進んでいる。都が置かれてから改めて補修された長大な城壁の内側に位置する長安の人間に、危機感を持てというほうが難しかった。
 そんな活気に溢れた都の風景を、都で最も高い望楼から眺めやる二人の女性の姿があった。
 どちらも豊かな金髪を蓄え、金糸に銀糸をふんだんに使った豪華な衣服に身を包んだ優美な女性たちだ。
 両者に背は同じくらいで、均整のとれた体つきに豊かな胸が目立つ。その美しい顔つきは双子と言われても納得してしまうくらい似通っていた。
 彼女たちこそこの三重帝国を治める三帝のうち二人、袁家の主、袁紹と袁術――麗羽と美羽の姉妹である。
「麗しい都じゃの」
「十年かけて袁家の都にふさわしく整備したのですもの。当たり前ですわ」
 十二年前、長安に至った彼女たちは、この都で隠れ潜んでいた董卓たち――月と詠に行き当たった。
 袁家の一行に加わっていた華雄が主の生存を知って大泣きしたり、無実の罪で攻め寄せ滅ぼしたことを謝罪する麗羽に、当人を除く全員が目を白黒させて驚いたりと色々あったが、彼らはこれをなにかの宿運と判断し、再起をはかった。
 かつての部下たちを密かに長安やその周辺に呼び寄せ、曹魏の支配がゆるんだ涼州を徐々に浸食、密かに支配地を増やしていく。そうしてついに十年前、この都において、麗羽、美羽、月の三人を一度に帝に据え、独立を宣言したのだ。
 元々長安や涼州を領有していた魏はもちろん、長安側から漢中に侵攻された蜀もこれに反応し、三国の同盟に参加していた呉も兵を送ってきたが、董卓軍に復帰した呂布の奮戦によって函谷関はついに一度たりとて陥落することはなかった。
 逆にかつて使い潰された沮授、田豊、審配といった軍師たちをもしっかりと使いこなす三重帝国によって漢中が支配圏に組み込まれ、一度は成都の直前まで攻め上るといった事態が引き起こされた。
 それから十年。
 戦は始まっては終わり、終わっては始まったが、もはやほとんど儀礼的なものと化して、奇妙に平穏な日々が続いていた。
「麗羽よ」
 表向きは従妹ということになっている妹の呼びかけに、姉は目線だけで応じてみせた。
「思い通りに行き過ぎとは思わんか?」
「望み通りにいってご不満?」
 つまらなそうに返すのは、その質問が不快なのか、それとも、別の何かが原因なのか。
「ふん。主とてそうではないのか? 自分の生活程度ならいちいち望まぬ方向にいかれては困りものじゃが、国の成り立ちまでそううまくいくものではなかろ?」
 麗羽はしばらく答えず、どこか空の彼方を見つめていたが、くるりと体を回し欄干にもたれかかる。向き合う麗羽と美羽の顔がまるで鏡で映したようで、奇妙な光景を作り出していた。
「ま、そうですわね。わたくしたちを立派な王よ、救い手よと崇めてくれるのはありがたいですけれどね……」
「一刀はどうだったのじゃろうな」
 不意に放った言葉に、爪をいじろうとしていた麗羽の動きが止まる。
「……それは、どちらの?」
 かすれた声で問いを絞り出す。その様子を愉快そうに笑い、美羽はさも当然のように言ってのけた。
「麗羽が我が君と仰ぐほうに決まっておろ」
 北郷一刀という男には、切っても切り離せぬ異名がつきまとう。
 すなわち――天の御遣い。
 天の国からやってきたという一人の男。この世界にただ一人の天人。
 その名には、当然のように期待がまとわりつく。
 この乱世を救ってくれ、と。
 俺たちの苦しい生活をなんとかしてくれ、と。
 ひもじさを忘れさせてくれ、と。
「四世三公やら、帝やらよりよほど重いじゃろ、あれは」
「しかも、あの方には、頼るべき親族も、譜代の臣下もない」
 それが時に足枷になるとはいえ、協力してくれる人間というのは大事なものだ。身一つで勝負するのは、あまりに不利な条件であるといえよう。
「あやつが一角の人物であることは知っておる。じゃが、いや、それだからこそ、か。御遣いだなんだと言われることが、あやつにとってどれほどのものであったか」
 元からそれほどの者でもなかったのなら、諦めることも出来たろう。あるいは周囲が限界を悟って手助けをすることもあったろう。
 北郷一刀の――おそらく本人だけはまるで気づいていない――不運な点は、期待に応えるだけの潜在的な能力を兼ね備えていたことにある。
 それでも、潜在能力は潜在するもの。
 すでに顕れ自由になるものとは異なり、学び、伸ばし、育てていく必要があった。
 そのことは、どれだけの努力を彼に課し、どれだけの落胆を彼に味あわせただろう。
 北郷一刀はそんなことはけして意識しない。
 彼はただ、自らに出来るだけのことをやるつもりで、それを事実こなしているのだ。
 だが、それが傍で見ている者の目にも同じように映るかというと、また別の話となる。
「妾はそんなことを最近よう考える」
 じっと美羽の言葉を聞いていた麗羽は、思い出したように付け加える。
「あの方のことを口にするのも久しぶりですわね」
「忘れたと言うか? ふん、あほらしい。主が一刀のことを忘れるわけがなかろ」
「美羽さんもね」
 その時、望楼の階段を上ってきた頭がひょっこりとのぞいた。黒髪に整った顔の壮年の男性。彼こそは、先ほどまで何度も名前が出ていた、北郷一刀その人だ。
「嬉しい話だね」
「か、一刀さん」
 気まずい空気が流れる。なにしろ、彼女たちが話していたのは、『この』一刀ではないのだから。姿も性格も似ているが、しかし、彼そのものではない。
 彼は、夢の中の住人なのだから。
「待ちゃれ」
 目を細めて一刀の事を観察していた美羽が、麗羽の慌てた動きを押し止める。そして凝視を続けていた彼女は、不意に大きく叫んだ。
「ねえ様、よく見るのじゃ。あの目を。あの瞳を!」
「目?」
 その言葉に彼女も一刀を改めて見直す。そして、その目がまん丸く、まるで望月のように丸く見開かれる。
「ああ、我が君! わたくしの我が君!」
 駆け寄る二人を抱き留める一刀の姿を、長安を、世界を、光が全て包んでいく。

「真の一刀殿を認識するのが鍵かもしれません」
 今回の流れを聞いた稟がそう呟く。今日は膝枕ではなく、添い寝だった。言葉を吐く度に息がかかってくすぐったくも甘い。
「そういうものか」
「問題は……一刀殿が既にいなかったり、大きく存在が変わったりしている場合ですね」
 こつこつと小さく眼鏡のつるを叩く稟。
「申し訳ありませんが、そのあたりを調べに一度戻ります。では、また明日」
「ああ」
 今日も答えを聞く前に消える稟の姿。
 ぱさり、と彼女にかかっていた部分の布団が落ちる。その空隙を見つめつつ、一刀は苦り切った表情を浮かべた。
「……ずいぶん無理してるな、ありゃ」

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北郷一刀の消失・後編」への2件のフィードバック

  1. 北郷一刀の消失・前後編共に稟メインヒロイン回でしたね。
    稟ががっつり主役を張る話は此方に限らず珍しい部類です。もう少しスポットを浴びても良いキャラなんですがねぇ~不思議なもんです。

    •  魏のキャラは濃い人が多いですからねー。
       軍師に限っても、風と桂花が強烈ですから、なかなか稟だけ、となると難しいのかもしれませんね。
       掘り下げると面白いと思うんですけども。

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