北郷一刀の消失・後編

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5.河陽宮

 洛陽の対岸にあたる地に、壮麗な都が築かれていた。
 名を河陽宮。
 河陽、すなわち、河の北を意味するその都こそ、いまや華北全土を支配する公孫賛――燕王が治める北の都。
 官渡で敗れた曹魏は、河水を渡らないことを条件として存続を許された。
 実質的に戦の前に状況を戻すその協定に曹操陣営は首をひねったものの、これも公孫賛の甘さであろうと受諾した。
 だが、彼女たちが気づいていないことがあった。すなわち、金城より北の涼州も、公孫陣営のものとなったことである。
 これに後から気づいた曹操は歯がみしたものの、明確に協定が結ばれている上、敗戦で疲弊した状態でなにが出来るわけでもない。涼州を放棄した曹魏は南方に進み、漢中から益州を領有する。また、袁術の支配を脱した孫家は江東を中心に呉を建国した。
 ここに華北を支配し、膨大な数の騎馬軍団を抱える公孫燕、中原と益州を支配し、屯田制で多くの兵を養う曹魏、南方で肥沃な土地と精強な艦隊を持つ孫呉の三国体制が成った。
 燕はここ河陽宮から洛陽を睨んで、帝を擁する曹魏に圧力をかけると共に、南に船をやって頻繁に呉と交易を行っていた。一方、曹魏は益州に埋没する塩と銅を盛んに掘り出し、貨幣経済を作り上げるのに腐心し、呉はひたすら生産力の向上に努めていた。
 いま、大陸には危ういながらも均衡が成立し、平和な時が流れている。
 これも華北の巨大な勢力、すなわち袁家を吸収し、余計な戦禍が広まらぬよう努力した公孫賛の行動のたまものであった。
 その燕こそが三国で最も大きな武力を持ち、矛、金、米の三すくみなどと言われるうち、矛を担当しているのは皮肉としか言いようがない。
「……だが」
 現在までの状況を概観して、白蓮は玉座の上で呟く。
「これでいいのだろうか」
 いま、玉座の間には誰もいない。
 一人で考えたいと部下を全て遠ざけた結果だ。もし、優秀な軍師勢や将たちに何事かもちかければ、彼女たちはその秀逸な頭脳や行動力をもって、白蓮が予想もしていなかった成果を挙げてしまう。
 それはもちろん喜ばしいことだったが、まだ漠然とした考えに過ぎないものをあれよあれよという間に形になされてしまうと、なんだか置いていかれたように思うし、申し訳なくも思ってしまうのだ。
 だから、彼女はたまに一人きりになる必要があった。
「平和を目指していた。そうだ、私はこの乱れた世を糾したいと思っていた」
 考えをまとめようと、ともかく浮かんできた想念を言葉にしてみる。赤い髪の女性は、後ろで縛った髪の毛をしっぽの様に振り振り、考えを進める。
「たしかに、現状、三国が均衡し、平和は保たれている。大きな目的はかなった。それはいい。それはいいんだ」
 しかし、彼女の顔は曇る。
「だが……私は王になりたかったか?」
 問いに答える者はいない。それに答えられるのは、問いを発した本人だけであるが、実際にその本人自らがどう思っていたのか自信がなかった。
 彼女は玉座から立ち上がり、段を下がって、かつかつと音を立てて歩き回る。
 玉座の間を何周かしてから立ち止まると、自分が身につけている白銀の胴鎧を見下ろす白蓮。
 そこに刻まれたいくつもの傷を指でなぞっていくうち、彼女は晴れ晴れとしたような顔になった。
「私は、やはり王の器ではないな」
 だが、それでもやるしかない。
 おそらく、そういうものなのだろう。王というのは……。
 もはや諦めの段に入った時、扉が開く。
「誰も入ってくるなと……一刀殿?」
 厳命したというのに入ってくるというのはきっと急用だろう。そう考えて、あえて閂をかけていない、人のいい白蓮であった。
 だが、彼女は入ってきた青年の姿を見て、少し不思議そうな顔をする。
 というのも、急な出来事であったなら彼は息せき切って駆けつけるはずだからだ。普通の風情で入って来るというのに、違和感があった。
「すまん。邪魔するつもりじゃなかったんだが、話があって」
「うん。なんだ?」
 旗揚げ当初から苦労をともにしてきた盟友である彼の言葉は、なにがあっても大事にしなければいけない。
 そんな建前以上に、白蓮は彼の言葉を必要としていた。
「その、急に言われても信じられないと思うんだけど。……実は、この世界は夢なんだ」
「夢」
「うん、夢。白蓮が見てる夢だ」
 凄絶な表情で目をむく白蓮を前に、一刀はどうやって説得すればいいだろう、と考える。
 ともかく直球でぶつけてみたわけだけれど、疑い深くはない白蓮といえども、そうそう楽には……。
「はぁあああああああ」
 大きく一つため息をつくと、白蓮は跳ねるようにして近づいて、一刀の手を取った。
「いや、よかった。そうだよな! 夢だよ、夢」
「えっと……」
 一刀の両手をとって、勢いよくぶんぶん振る白蓮。さすがに英傑の力に抗しきれるわけもなく、一刀はされるがままにするしかない。
 肩がかなり痛いが、抜けたりはしないだろう。
「……なんでそんな嬉しそうな……?」
「だ、だって、一刀殿。わ、私が華北の支配者で、洛陽にも影響を及ぼしてるんだぞ? ありえないだろう? そうだ、夢か。夢ならありだな!」
「……いや、まあ、麗羽の領地を丸呑みにすれば華琳でも手こずる相手になるのは確実なんじゃないかな。麗羽の時だって、まともに来られたら負けてたかもしれないくらいだし……」
 一刀は浮かれている白蓮がきちんと理解しているのか自信が持てず、どう話を続ければいいのかと戸惑った。
 白蓮ってこんな性格だったっけ……。
 そうだったような気もする。
「まあ、そんなことは関係ないだろう、夢なんだから、な」
「あー、うん」
 乳色の霧のようなものが、一刀の視界の隅で揺れる。
 それは徐々に範囲を広げ、ついに玉座の間を覆わんばかりになっていった。
 だが、そのことに白蓮は気づいた様子はなく、一刀の戸惑いはさらにひどくなる。
「そうかー、夢かー。だいそれた夢みちゃったなー」
 その言葉を最後に視界の全ては乳白色に覆われ、そして、全てが静止したような奇妙な感覚が……。

「……あっさりいっちゃった」
 目覚めた一刀は、また短時間ですが、失敗ですか? と尋ねる稟に、少々呆然としつつ、事の顛末を説明する。
「……白蓮殿の性格でしょうか」
 彼女が疲れたように呟くのもむべなるかな。
「次行くか?」
「いえ、時間をおきましょう。また、明日訪れますので」
「え? あ、おい……稟?」
 答えを求める間もなく、稟の姿はかき消え、先ほどまで温かな膝の上にあった頭がぼすんとベッドの上に落下して、一刀は再び呆然とするしかないのだった。

 張三姉妹が手をつないでつくった三角形の中央で結跏趺坐の姿勢を取っていた稟が、姿勢を崩し倒れ込む。
 三姉妹が静かに紡いでいた歌が途切れる。
 床に沈み込もうとする体をなんとか手で支える稟の顔から、ぼたぼたと汗がしたたり落ちた。
 うずくまった彼女の背から立ち上るのは湯気だ。あまりの発汗と発熱に、天和たち三人はむわっとした熱気を感じるほどだった。
「はぁっ、くふっ……」
 稟の口から唾液と胃液がまじった粘液が吐き出される。彼女自身はそれを止めようとしているのだが、体中を走る悪寒に阻まれてうまくいかない。
「だ、大丈夫?」
 三人が助け起こそうとするのを、手を伸ばして制止し、切れ切れの声で質問する。
「誰か、目覚め、ませんでしたか?」
「えっとねー、白蓮ちゃんと星さんが、お医者さんのところに連れて行かれたよー」
「そう、ですか。少し、休み、ます。あなた方も……」
 天和の言葉を聞き、表情を和らげた稟は、そのままゆっくりと床に崩れ落ちた。

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北郷一刀の消失・後編」への2件のフィードバック

  1. 北郷一刀の消失・前後編共に稟メインヒロイン回でしたね。
    稟ががっつり主役を張る話は此方に限らず珍しい部類です。もう少しスポットを浴びても良いキャラなんですがねぇ~不思議なもんです。

    •  魏のキャラは濃い人が多いですからねー。
       軍師に限っても、風と桂花が強烈ですから、なかなか稟だけ、となると難しいのかもしれませんね。
       掘り下げると面白いと思うんですけども。

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