北郷一刀の消失・後編

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11

 

4.夢

「ふうん……」
 稟の話を一通り聞き終えた一刀は、とっくに空になったアルミ缶を振り振り気の抜けた声を上げた。
「ここにいる俺は、稟たちのいる世界で眠った俺が見ている夢だと」
「はい。術を試してみたところ、風は夢を見ていませんでした。おそらく、風は華琳様を封じ込める最後の障壁として、夢も見せずに強く固めると言いますか……蓋のような役目なのでしょう。一方、一刀殿はこうして夢を見ている。つまり、鍵はあなたとなります」
「あー、そこまで話を進められても。まず俺は夢であることを納得していないんだけどな」
 真剣な顔でたたみかける稟をおさえるようにして、一刀は釘を刺す。
「信じられないのは、それだけ枷が強いのでしょう。おそらく一刀殿は……」
「まるきり信じないと言ってるわけじゃないんだ。だが、それにしても……」
「はい。なんでしょうか」
 彼は少しためらい、稟が手をつけなかった缶を手にとって一気に呷った。すでにぬるくなっていたが、喉を湿らせる役には立つ。
 口の端についた泡を乱暴にぬぐい取った。
「俺は華琳に拾われて、稟たちと一緒に三国を統一した。そして、君たちの世界から弾き飛ばされ、ここに戻ってきた。ここまではいいんだ」
 対面の稟の表情が曇る。彼女が幻影でないのならば、それは置いて行かれた記憶となる。けして愉快なものではないだろう。
「……はい。け、けれど、あなたは一年後に戻ってきて下さった!」
「それから?」
 一刀の探るような慎重な視線に、稟はなにかひっかかりを覚えた。目の前の男が、ずいぶんと傷ついた目をしているのはなぜだろうか。
「ええ。それからは、あなたは主に他国との関係を維持発展する役を与えられました。一刀殿が提案した大使制度が根幹ですが、それ以外にも多数の食客を抱えて、華琳様の手助けを……」
 語れば語るほど、稟はなぜか焦燥を覚えていた。深く深く沈んでいく男の目が、気になってしかたない。
「なにより……私に阿喜を授けて下さった」
 沈黙。
 一刀は何事かを言いかけて、けれど何度か呑み込んで、最後に笑みを浮かべた。
「幸せな筋書きだ」
 皮肉でもなんでもない。ただ、そう思っているという風に彼は言う。
「俺にはそちらのほうが夢に思える」
「一刀殿……」
 稟の呼びかけも耳に入っていないように、どこか遠くを見ながら、男は呟き続ける。
「俺は、帰ろうとした。君たちの世界へ帰ろうと本気で願った……。けれど」
 その後に続く言葉は語られることはなかった。
 稟は、一人の男が、涙を流さずに泣く様を知った。
「そうだな……。協力するよ、稟」
 どれほどの時が経ったろうか。稟は、目の前の男の意識が自分に戻ってきたことを知って、ようやく肩の力を抜いた。妙に緊張していたのか、体がきしむような感覚があった。
「たとえこれが狂気の入り口だったとしても……。俺は、稟、君たちの力になりたい」
「一刀殿」
 感謝を表すのに、ただ名を呼ぶことしか出来ない自分がもどかしい。一刀はそれに安心させるように破顔して見せた。
「といっても、どれだけあてに出来るかわからないぞ? 稟が言う『戻った』後のことは曖昧な部分が多いしね。それでも?」
「はい。一刀殿にしか出来ないことです」
 まっすぐにぶつけられる信頼に、彼は頭を軽く振る。なにかを振り払うように。そして、彼は姿勢を正し、稟にしっかりと向かい直す。
「さあ、どうすればいい?」
「では、眠って下さい」
「寝る?」
 意外な事を言われて、一刀は首をひねる。稟の説明によれば、ここは夢の中。その中でさらに眠れと言うのか。たしかに空きっ腹にアルコールを流し込んだので、眠気がないわけでもないが。
「この夢の中で一刀殿が夢を見ることで、他の方々の夢に干渉します。そうして、順々に起こしていくことで、華琳様と一刀殿の覚醒までたどり着けば、こちらの勝ちです」
 稟の言う理屈はよくわからなかったが、ともかくその真剣さは伝わる。
 ここは言うとおりにしよう、と一刀は寝室に入り、ベッドで布団にくるまることにした。
 稟はその後を着いてきて、ベッドの脇に座り込む。ちょうど一刀の顔を覗き込む形だ。
「あの……」
 しばらくして、目をつぶっていた一刀が目を開いて、申し訳なさそうに話しかけた。
「なんでしょう?」
「いや、そうやって見られてると、なかなか寝にくいわけでして」
「ああ、これはすいません」
 気づかなかった、という風に頭を下げ、ベッドに上がる稟。そのまま狭いところを縫うように体を動かした。
「え?」
 あれよあれよという間に頭を持ち上げられ、気づけば揃えた膝の上に乗せられる一刀。そのまま子供をあやすように頭をなでられる。
 なんとも言えない温もりと、柔らかさ、それに髪を梳く指の心地よさ。
 そんなものに包まれた上に、子守歌のような優しい歌声が降ってくる。
「これが幻影だったら、俺は妄想のスペシャリストだな……」
 そんな事を呟きつつ、一刀は意識が闇に沈んでいくに任せるのだった。

 気づけば戦場だった。
 兵の怒号、干戈交わる音、そして、多数の将兵が巻き起こす土煙と、それに混じる死の臭い。一度でも戦場に出向いたことがあるならば、血と乾いたなにかが混じったような独特の臭いをかいで、戦場であると判断できない者はいない。
 稟も当然それに気づいていた。
 だが、戦場だとして、どこであろうか。おそらくは本陣の天幕であろう場所の中にいた彼女は、中央の卓に置かれた地図を見つけると、即座に事態を把握した。
「……官渡」
 地図の上に配置された部隊の名前を確認していると、大きく開いた入り口から天幕に入ってきた桂花に話しかけられる。
「どうしたの、稟」
「ああ、いえ……。少々確認したいことがありまして」
 答えると、ふんといつもの調子で鼻を鳴らされた。
「あんたも心配性ね。公孫賛軍の勢いはたしかに予想以上だけど、取る戦術や兵の数は予想の範囲内でしょ。堅実というか、つまらないというか」
「公孫賛という為人がそうさせるのでしょう」
「そうね。でも、天の御遣いとかいうのもいるし、なにより趙雲と呂布がやっかいだわ」
 桂花に適当に合わせながら、稟は状況を探ろうとする。だが、次の言葉を発しようとした時、急激なめまいのようなものに襲われ、彼女の意識は暗転してしまうのだった。

 稟の視線は膝枕をしている一刀とばっちり合っていた。お互い、頭の中で直前の出来事を思い返しているのがわかる。
「……一刀殿に、この場で目覚められてしまうと、干渉が出来なくなるのですが」
 乱れた息を整えながら言う稟。
 さすがに二重の夢に干渉するのは、術者に負担をかける。実際の肉体の方はどれほど汗まみれだろうか。思いつつ、彼女はそれを一刀に告げる気はなかった。
「いや、ごめん。でも……びっくりしちゃって」
 一刀の方は目を丸くしてきょろきょろとあたりを見回している。どうやら夢の間を移動したことが、かなりの衝撃であったらしい。
「実演としては意味があったということでしょうか」
「うん……。なんていうか、半信半疑だったのが、かなり傾いたよ」
「いまは、白蓮殿の夢に入り込むのを狙ったのですが……。それは成功したと見ていいでしょう。ただ、どうやら、それぞれの役割と……。つまり夢の中の私や一刀殿と入れ替わってしまうようですね」
 私は華琳様の本陣にいましたよ、と状況を説明するのに応じ、一刀も答える。
「俺はなんか子龍さんに『主』なんて言われちゃってたな。あ、あと風がいたよ」
 風がいなかったのは、敵側にいたからかと稟は納得する。どうやら、それぞれの夢で歩む道が違ったらしい。
「あれは……官渡だったか。すると、袁紹軍の代わりに公孫賛軍ということ? 本来とは逆に公孫賛陣営が北を支配してるのか」
「おそらく。となると私たちが協力というのは厳しい状況かも知れません。たとえ、官渡の場面でなくとも、敵対する陣営にいるとなると……。なんとかして白蓮殿に接触して、起こしていただきたいのですが、どうでしょう。出来そうですか?」
 青年は彼女の膝の上で眉間に皺を寄せた。
「わからないな。でも、なんだか、さっきより格段にはっきりしているんだ」
 彼はそう言って、腕を持ち上げる。
 その指が、掌が稟の頬に触れようとする。直前で拒否されるのを恐れるように一瞬びくりと止まったが、稟の柔らかな視線を受けてそのまま進んだ。
 彼女の頬を包む彼の温もり。
 彼の指に伝わる彼女の肌の柔らかさ。
「曖昧だった部分の記憶が、はっきりしてきてる。俺が……君たちの世界にいたってことが……」
 頬に触れる手の上に、稟の手が重なる。彼女の唇を淡く彩るのは、笑み。
「帰りましょう。皆を起こして」
「ああ、帰ろう。稟」
 そうして、二人は再び夢の世界へと没入していく。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11

北郷一刀の消失・後編」への2件のフィードバック

  1. 北郷一刀の消失・前後編共に稟メインヒロイン回でしたね。
    稟ががっつり主役を張る話は此方に限らず珍しい部類です。もう少しスポットを浴びても良いキャラなんですがねぇ~不思議なもんです。

    •  魏のキャラは濃い人が多いですからねー。
       軍師に限っても、風と桂花が強烈ですから、なかなか稟だけ、となると難しいのかもしれませんね。
       掘り下げると面白いと思うんですけども。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です