北郷一刀の消失・後編

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3.魏帝

 洛陽の宮殿の一角には、貴人のための棟がいくつもある。
 たいていは皇族やその夫人たちが住まうものだが、中にはそうでないものも存在する。
 その棟もその一つであった。
 住まうのは相当の人物であるのか、建物の周囲にはかなりの数の兵が配されている。
 曹魏の主、華琳はその兵たちからの敬礼に答礼しつつ、棟の入り口へと向かっていた。
 そこには壮麗な扉と、それにしっかりとかけられた重い閂を抜く兵たちの姿がある。
 ずらりと取り囲む彼ら警備兵は、建物の中にいる人間を守っているのではない。その人物が外に出ないよう――誰かが連れださないよう――見張っているのだ。
「出るときは合図するから、閂はかけておきなさい」
「はっ」
 兵に指示を下すと、一人開かれた扉の中へと歩を進める。背後で扉が閉まり、しっかりと閂が通されるのを音で確かめてから、さらに中へと進んだ。
「桃香、どこかしら?」
 華琳の言葉の通り、幽閉されているのは、桃香――かつての蜀の王、劉備その人であった。
 彼女は、二度目の成都陥落以来、この棟の中に軟禁され続けている。
「あ、華琳さーん。こっちですー」
 声のした部屋に入ると、大きな机に藁やら布やらが散らかった中心にいる桃香を見つけた。
 長い幽閉の中でも彼女は衰えるでもなく、昔通りの明るい雰囲気を纏っている。
「なにをしていたの?」
「えっと、沓を編んでるんです」
「沓」
 鸚鵡返しに呟く華琳。たしかに言われてみれば、桃香の手元には、なにか沓のようなものが形をなしかけているし、机の脇には、何足かの大きさの違う沓が揃えられていた。
「愛紗ちゃんたち、ずっと遠くでみんなを守って戦ってるから……少しでもなにか力になれれば、と思って」
 かつての蜀の将は名目上は魏の将として吸収されたが、その大半が辺境での防備の任につけられている。異民族相手にいつ終わるとも知れない小競り合いを続ける、厳しく実りのない任務だ。
 そうやって辺境で戦っている面々に何かを贈ってやりたいと考えた結果がこれというわけだろう。
 華琳は少々呆れつつ、散乱した材料を眺めやる。
 疑おうと思えば、そうしたやりとりを通じて、暗号文でも交わしていると見ることも出来た。
 だが、華琳はもしそうであったとしても、止めるつもりは毛頭無い。二度の敗北を経験した劉備陣営が、それに屈することなくもう一度挑んでくるのならば、それはそれでいいと思っているのだった。
「あ。そういえば、お茶も出さずにすいません」
 慌てて水場に向かう桃香。その背を見ながら、それなりに元気そうね、と華琳は結論づけた。
 茶が出そろい、机の上もあらかた片付いた後で、おずおずと桃香が切り出した。
「あの……華琳さん。帝位に登られたとか……」
 軽く肩をすくめてみせる華琳。
 その通り、彼女はいまや魏帝国の初代皇帝であった。
 実質的に言えば曹魏が三国を征服し、和平が訪れた時点でこの国の最高権力者は紛れもなく曹孟徳であったのだが、それを形式的にも補った形となる。
「蓮華が皇帝を自称し始めたから、こちらも仕方なくね」
「蓮華さんが……」
 呉の国主の名を聞いて、複雑そうな表情を浮かべる桃香。
 それもそのはず、彼女をはじめ蜀が蜂起した時、呉は魏に対して共に兵を挙げる予定だったのだ。
 そのための根回しが孫策と周瑜、つまりは蓮華の姉であり当時の国主である雪蓮と、筆頭軍師であった冥琳を通じてなされていた。そして、そのことを魏の諜報網は把握していた。
 華琳はしっかりと準備をしていたのだ。再び二国を相手に戦い、逆に侵攻するために。
 だが、蜀が決起するのと時を同じくして、雪蓮と冥琳は行方をくらませた。
 彼女たち二人は魏、呉両国の必死の捜索によっても未だに見つかっていない。東方へと海をこぎ出したと言われているが、実際のところは誰もその行方をつかんでいない。
 蓮華に謀殺されたという説もあるが、華琳はそれを検討するにも値しないと一蹴していた。
 ともあれ、代替わりとそれに伴う混乱を理由として、新たな国主孫権こと蓮華は蜀と行動を同じくすることを拒否。呉はあくまで三国の協定を守るとして、蜀の軍事行動を妨害までした。
 最終的に成都に攻め寄せるときには、呉から魏軍へ軍師や将兵が派遣されてきたほどだ。
 これが決定打となって蜀は滅び、大陸には北の魏と南の呉が並立することとなった。
 魏に協力することでまんまと荊州全土を手に入れた呉は、それからも領土を堅持する姿勢を崩さず、不安定な膠着状態が続くかと思われた。
 ところが、ここに来て帝国を自称し始める。
 本格的に魏へ対抗するつもりか、箔づけで国をまとめるつもりか、魏の首脳部はその行動の理由を分析しきれていなかった。
 だが、なんらかの手は打たざるを得ない。
 それが華琳の皇帝即位を促す結果となったのだ。
「……戦になるんでしょうか?」
「どうかしら。もちろんお互い皇帝だなんて認めていないわけだけど、五胡への対策を考えると、いま消耗するのもね。ただ、あちらが折れないなら、いずれは起きるでしょうけど」
 折れるだろうと華琳は見ていた。
 呉にとって重要なのは国を維持することで、大陸を制覇することではない。特に蓮華はその傾向が著しい。
 帝位を返上するということはないだろうが、国としては呉が魏に従うというような、適当な落としどころを提示してくるはずだ。
 その過程で小規模な軍事衝突が起こる可能性はあるが、それが燃え上がることはないだろう。それが彼女と軍師たちの予想だった。
「華琳さん、お願いがあるんですけど」
 しばらくの沈黙の後に、桃香が切り出した。華琳は手をふる事で、続けて、と意志を示す。
「私の言葉を書き留めた本を焔耶ちゃんが出してくれるって言うんです。それを許可してもらえないかと……」
 魏延こと焔耶は、かつての蜀将の中で唯一、洛陽にとどまり桃香と自由に接することを許されている。ほぼ毎日なにくれとなく旧主の面倒を見ているのが焔耶であった。
 だが、魏延と言えば蜀の将の中でも武闘派であり、熱狂的な劉備信奉者でもある。本来ならば真っ先に辺境に隔離されるべき将のはず。そんな彼女が桃香の側に置かれている理由はただ一つ。
 彼女が内通者であったからだ。
 当初から呉との連合による魏への反抗という大戦略に疑問を持っていた焔耶は、呉の離脱が決定的になった段で魏からの接触を受け、戦をなるべく犠牲を出さずに手仕舞うべく動き始める。
 その条件は、自分を除いた全ての蜀将の助命。そこにはもちろん桃香も含まれていた。
 彼女の働きがあったからこそ桃香はいまこうして幽閉されながらも生き続けられているのであった。
 無論焔耶には裏切り者の汚名がつきまとっているのだが、そのことを焔耶も桃香も口にすることはなかった。
「本、ね……」
 少し考えて華琳は頷く。
「いいわよ。ただし、どこで書き取ったかなんて話は伏せてもらうわよ」
「あ、はい。ちゃんと、見本を出してもらうつもりですから……」
「では邪魔する謂われもないわね。でも、本……ねえ」
 おそらく、稟や桂花は反対するだろう。
 劉備の人気は益州及び徐州を中心にいまだ根強い。生きながらえさせているだけでも危険なのに、余計な事をさせないほうがいいと言い出すに決まっている。
 二人を閨でどう納得させてあげようかしら、と華琳は楽しみになってきた。
 だが、その沈思黙考を別の意味にとったのか、桃香は顔容を引き締めて語り始める。
「私たちは負けました。けれど、それは私たちの理想が負けたことを意味するわけではないと思うんです。軍事力だけで測れないものも、きっとあると思うから。それを、私は華琳さんたちに示すことが出来なかった。でも、敗れてわかったことも、こうしてずっと一人でいてわかってきたこともあるんです。まだうまく形に出来ているかどうかはわからないけれど、でも……」
 懸命に語りかける桃香に、魏の覇王は目を細める。愉快そうに、頼もしそうに。
「つまり、軍事行動ではなく、思想で挑もうというのかしら、この曹孟德に」
「……そう思ってくれても構いません」
 華琳の強い視線を受けても、桃香は目をそらさなかった。獰猛な笑みはますます深くなる。
「相変わらずおもしろいわね、あなた」
 それだけ言うと華琳は立ち上がり、出口へと向かう。彼女は部屋を出る直前で、振り向きもせずにこう言うのだった。
「楽しみにしているわよ、桃香」
「はいっ」
 亡国の王の嬉しそうな声を背に、魏の帝王は歩みを進める。
 現実へと。

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北郷一刀の消失・後編」への2件のフィードバック

  1. 北郷一刀の消失・前後編共に稟メインヒロイン回でしたね。
    稟ががっつり主役を張る話は此方に限らず珍しい部類です。もう少しスポットを浴びても良いキャラなんですがねぇ~不思議なもんです。

    •  魏のキャラは濃い人が多いですからねー。
       軍師に限っても、風と桂花が強烈ですから、なかなか稟だけ、となると難しいのかもしれませんね。
       掘り下げると面白いと思うんですけども。

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