北郷一刀の消失・前編

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6.南皮

 あまりの眩さに目がくらんだ。
 手をかざしてみれば、だんだんと視界と意識が戻ってくる。
「……ん? あれ?」
 立ちくらみでも起こしたか?
 彼女は自問して、己の姿を確認する。
 普段通りの戦装束を身につけて、石畳の上に立っていた。騎馬に適した武装のため重装というわけではないが、使い慣れたその装備に包まれているのは安心できる。
 次いで周囲を見渡せば、地平線まで続く大地が見えた。そして、その大地を埋め尽くすように居並ぶ兵の数々。
 彼女自身は、だいぶ高いところに立っているようだ。つくりから見て石造りの城壁の上だろう。
 城壁の上には見知った顔が並んでいて、これもまた彼女を安堵させた。
 さきほどのくらみは、ぴかぴかに磨き上げられた、あの鎧の群れにやられたのかもしれない。
 彼女は城壁の前に整然と並んだ数万を数える兵たちを見下ろし、そんなことを考えた。
 しかし、戦の前のようだが、なんの戦だろう。記憶がどうもあやふやだ。
「どうした、白蓮」
 隣に立っていた男に、不意に声をかけられる。未だにこの人物に声をかけられると、なぜだかどきりとする。
「ああ。えっと、なんだかぼうっとしてな。一刀殿」
 そう答えると、相手の男――北郷一刀は、苦笑いを浮かべて見せた。
「おいおい、どうしたんだ? いつも通り一刀って呼び捨てでいいのに」
「主、緊張からかしこまっておられるのを、そう揶揄するものでもありますまい」
「いやいや、星ちゃん。おにーさんも緊張してあえて軽口を叩いてるんですよー」
 次いで含み笑いをしつつ声をかけてくるのは、常山の昇り龍こと星に、軍師である風。これも見知った顔だし、一刀と気安く話すのも頷ける相手だが、二人の言葉のうちにあるものが、彼女の意識にひっかかる。
「ああ、そういう部分もないではないかなー」
 星から主と語りかけられた男が、見ると心安らぐ笑顔で答える。
 ……主、だと?
 何かがおかしい。
 何かが。
 だが、それが何なのか、白蓮にはわからなかった。
「ふむ。なにしろ決戦だからな」
 決戦。
 そうだ、決戦だろう。
 これだけの軍を揃え、趙雲と公孫賛に、軍師たる風と、天の御遣いをつけているのだ。生半な戦ではあるまい。
 だが、誰と戦うというのか。
「兵は……よく訓練されているようだな」
 混乱した思考をひきずったまま、兵たちを眺めやる。
 先ほどから隊列には一切の乱れがない。戦場での激しい動きとは別に、こうしてただずっと集中し、待ち続けることが出来る兵は強い。
 白蓮はそれまでの経験からそう判断した。
「ああ。星も詠も一生懸命やってくれた。詠は留守番を引き当ててぶーたれていたけどな」
「しかし、本城を空にするわけにも行きませぬからな」
「それに月ちゃんもいますしねー。結局は詠ちゃんが残るしかなかったのですよー」
 皆がしている会話も、よくわからない。
 登場してくる月や詠は、董卓や賈駆のことだと判断できるのに、彼女たちが城にいるとかなんだとかいう話に現実味がない。
「いずれあたるであろう相手の手柄を削ろうと、洛陽に一番乗りして董卓確保に動きましたが……。大当たりでしたな」
「うん。詠はすごいね。でも、それ以上に、無実の月たちを犠牲にせずに済んだのは本当によかったと思うよ。洛陽を追い出す形になっちゃったのは残念だけど……」
「月ちゃんたちのためにも今日を勝って、虜になってるっていう呂布将軍を助けないといけないですねー」
「うん、そうだな」
 三人はそれぞれに頷きあう。そこに確かに存在する熱意をしっかりと感じ取れるのに、未だに白蓮の意識にかかった霞は晴れない。
「さて、そろそろお動きなされませ、白蓮殿」
「え、わ、私?」
 星から促され、残りの二人の視線も後押しするように集っているのに気づく。
「はは、どうされました、白蓮殿。兵たちがお言葉を待っておりますぞ」
 かつて幽州の太守として乱世を糾さんと立った女性は、城壁の上で戸惑っているように見えた。白馬長史と謳われる戦場での勇姿に比べると、その様子はいかにもおかしい。彼女はおずおずと提案してみる。
「え、えと、星。お前がやるわけにはいかないのか」
「またものの私が出陣の号令など出来るわけがありますまい」
「陪臣とも微妙に違うけどな。星は白蓮の盟友である俺の臣下なわけだから」
 楽しそうに笑う常山の昇り龍。そんな二人の様子を、眼を細めて見つめるのは一刀だ。一方で、宝譿を頭に乗せた風は少々心配そうな顔つきだった。
「そもそもなんでこんなに兵が……」
「白蓮様ー、しっかりしてくださいよー。いまから袁紹軍最後の根拠地、南皮を落とすのですよー」
「え、ええええええっ!!」
 幽州に名高い白馬長史にして、いまや華北の大半をその手中に収めた公孫賛の驚愕の声が、高く高く空に響き渡った。

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