北郷一刀の消失・前編

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

 

5.黄河のほとり

 こんもりとした丘の上。草が生えそろった場所に腰を下ろして、火を焚き、食事を摂っている一団があった。
 人数は六人。女性ばかりの中に、一人だけ男性が混じっている。
「しばらくは、この河水ともお別れかー」
 丘から少し北側には、雄大な河が流れていた。あまりにゆっくりで、水面が動いているのかどうかもよくわからないほど大きな河。皆はそれを眺めながら温めた食事をぱくついている。
 そのおかげか、一行の中で一人、くるくると綺麗に巻かれた膨大な量の金の髪を持った、ひときわ目立つ華美な女性が、己の首筋をなでながら顔を青ざめさせていることに気づく者はいない。
「ここから先は、北に大きく曲がりますからねー」
「でも、いいの? 西にばっかり行って。たしか、南の楽園がどうとか」
「いいんですよー。だって、あんまり東から南に下ると、孫策さんたちの領地になっちゃうじゃないですか」
 白と青を基調として、そこに金の縁取りをつけたなかなかに派手な服を着た女性――張勲こと七乃と、きらきらと輝くぽりえすてるの北郷一刀が並んでいると、妙に光を反射して目立つなと、二人の会話を聞くともなく聞いていた猪々子は思う。
 だが、実際には彼女が主たちとおそろいで着けている金の鎧のほうがよほど目立つことに、猪々子自身は気づいていなかった。
「ああ、呉か……。そりゃだめだな」
「はい。だめですよー」
「でも、劉備さんたちのところだからいいってわけでもないんですけどねぇ」
「まあ、そのあたりはおいおいですねー。赤壁の大敗で、魏の支配も西の方はがたついてきてるって話もありますし、五斗米道の漢中は、それはもういいところみたいですから……」
 顔良こと斗詩のもっともな疑問に答えてそこまで言ったところで、あれ? と首をひねる七乃。
「えっと、お嬢様。孫策さんの名前を出しても怖がらなくなったんですね?」
 言われてひょいと顔を上げるのは、とろけた蜂蜜のような美しい金髪を持ったかわいらしい少女。張勲の主にして、袁家の主の一人、袁術、すなわち美羽だ。
「え? ああ、うむ。まあ、の」
 美羽の答えはなんだか上の空と言った風で、受けた七乃のほうはそれをまだ恐怖が残っているためと判断した。
 もっとあからさまに怯えてくれたらかわいいんだけど、なんだか意識が飛んじゃってるようだとつまんないなー、と彼女は臣下としてはあるまじき事を考えていたりするが、いつものことである。
「麗羽さま、もうお腹いっぱいなんですか?」
 斗詩がまるで食が進んでいない己の主に気づき、声をかける。手に持った焼き魚をぼうっと見つめる金髪の女性は、何か自分の中にあるものに夢中でいるのか、斗詩の呼びかけにも全く反応を返そうとしない。
「麗羽さま?」
「え、なにかしら? もう出発?」
 惜しげもなく手にしたものを放り投げ、立ち上がる麗羽。その様子にしばらくは何を言っても無駄と判断したのか、小さくため息をつく斗詩。
「あー、もう出発ですかー?」
 猪々子がそれに反応して、自分の荷物のほうへと寄り始めると皆も立ち上がり、周囲を片付け始める。
 斗詩はその様子に目を丸くしていたが、自分が問いかけたのがきっかけで動き始めてしまったのを了解したのか、慌てて皆と一緒に荷造りをしたり、火の始末をしたりし始める。
 そんな中、一番多くの荷物を抱え上げようとしている一刀の傍によって、ひょいと一つの小振りな背嚢を手に取る麗羽。
 それもまとめて持とうとしていた一刀は驚いて麗羽のその行動を見ていたが、さらに彼女がそれを背負い始めるのを見て、限界まで目を見開いた。
「ひ、姫が荷物を自分で持ったー!」
 猪々子たちも気づき、驚愕の叫びを発した。七乃などは空笑いの表情のまま固まってしまっている。
「あの、麗羽さま、どうかなさいましたか?」
「どうか? なにかおかしいかしら? たまには持ってみようと思ったまでですけれど。わがき……いえ、なんでもないですわ」
「そ、そうですかー」
「まあ、たまにはいいですよね、たまには」
 きっと強い視線で見つめられ、猪々子と斗詩の二人はごまかすように笑い声を上げる。気まぐれには慣れっこなだけに、あまり突っ込むと理由もなく不機嫌になることもよく知っているのだ。
「助かるよ」
 一刀のそんな声に、ふんと一つ鼻を鳴らし、麗羽はさっさと歩き出す。準備の終わっていない皆がそれに慌てて続こうとする中で、一人、袁術だけが、姉の背中をじっと見つめていた。
「……我が君、じゃと?」

 その夕方、森の中での野営中、美羽は麗羽を連れ出した。
 一行の天幕を設置した場所から少し離れた大樹の元に袁家の二人は座り込んでいた。心配した七乃がついてこようとしたが、このあたりには獣も人もいないと顔文の武将二人が請け負ってくれたおかげで、二人きりになれたのだ。
「こんなところに連れてきて……髪に枝が絡むじゃありませんの」
 くるくるとまとめられた髪の中に入り込んでしまった葉っぱを取り除きながら、ぶちぶちと文句を言う麗羽だったが、美羽のほうは先ほどからずっと渋面を作り続けている。
「麗羽ねえ様」
「な、なんですの」
 その声の勢いに常ならぬものを感じたか、麗羽の体がびくっと震え、鎧から解放された大振りな胸がぷるんと震えた。そんなことには構わず、美羽は言葉を続ける。
「おぬし、曹操めが勝ち、妾もおぬしも洛陽で一刀に従っておる世の流れを知っておるであろ? ぬしが一刀を我が君、と呼ぶ世のことを」
「美羽さん? あなた……」
 探るような視線。その視線の奥に、すがるような期待が渦を巻いていることに、美羽は少々たじろぐ。
「うむ、妾もそれを知っておる。じゃが、こうして流浪しておる流れも知っておる。ようわから……むぐっ」
 いきなりがっしと肩をつかまれ抱き寄せられて、美羽の声が途切れる。麗羽はぎゅうと従妹の体を抱きしめながら、聞き取れないくらいの早口で言葉を吐き出し始めた。
「わ、わたくしもわけがわかりませんの。いつの間にか我が君とさすらっている事に。しかも、いただいた首輪までっ……! 猪々子さんや斗詩さんは、さっぱり覚えていないようですし、もしかしたら、皆でわたくしをかついでいるのではないかと思ったのですけれど、美羽さんがそう言うのならば、そうではなくて……」
「お、落ち着いてほしいのじゃ。こ、こら、落ち着けというに」
 ぎゅうぎゅうと絞り上げてくる腕の中で体をねじってなんとか抜けだし、わぁわぁわめく麗羽をなんとか落ち着かせようとする美羽。そのうちに、藪の向こうから声がかかった。
「姫ー? なんか大声聞こえましたけどー?」
 猪々子の心配そうな声と、剣であたりの枝を払いはじめる音を聞きつけ、ようやくのように麗羽も声を潜める。
「な、なんでもありませんわ。もうしばらく放っておいてくださいまし」
「あーい。了解しましたー」
 がさがさと立ち去っていく音に、二人揃ってほっと力を抜く。
「それにしても……」
「一体どういうことなのじゃろ?」
 そうして端から見ると大きさこそ違えそっくりな顔つきの二人は顔を見合わせ、お互いに、これはあてにならぬと大きく息をつくのであった。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です