北郷朝五十皇家列伝・美袁家の項[袁術]

 南袁家集団は袁術を初代とする美袁家(南袁家)と、張勲を祖とする張家(後の弓家)を中心とする。
 この二家ははじまりの頃から密接な婚姻関係でお互いをつなぎとめており、当初から同一の皇家だったと考えるほうが自然であろう。この見方については……(中略)……
 南袁家は皇家の中でも特殊な地位を占める。
 太祖太帝の時代より、南袁家の血統からは皇帝を出さないことが定められていたのだ。
 俗説では、袁術が帝国成立以前に帝を僣称していたため、と伝えられるものの、これは事実とは異なる。
 ……(中略)……つまり、袁家がそれ以前は司隸と呼ばれていた地域を仲国として領有すると定められていたが故の措置であった。
 仲は長安、洛陽を共にその内に抱え、中原の中で生産性、商業流通性の高い地域であった。初期の帝国の中では、最も豊かな土地であったろう。
 そのため、この地域を領有する袁家に皇帝位を与えると、あまりに強大な権力が集中することになり、特定の皇家による帝国の私物化を招きかねないとされた。
 そのため、皇帝を出さない取り決めとなっていたのだ。
 とはいえ、洛陽には最大の皇家たる曹家がその拠点を置き、長安にはそれに次ぐ董家、賈家が睨みを効かせている。この状況では、袁家としても強権は振るいづらかったことだろう。
 帝国ではこのような二重、三重の構造が随所に見られ、皇帝以外に特権を集中させないよう細心の注意がほどこされて……(中略)……
 このような立場から、袁家には揉め事の仲介役としての役割も与えられるようになった。
 和睦がなったときは当事者全員に仲印の蜂蜜を送るのが慣例であった。この習慣が西方に進出していた各皇家に伝わり、後に親密な関係――蜜月をハネムーンと称するようになったのは有名な雑学知識で……(後略)

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