北郷朝五十皇家列伝・孟家の項[孟獲]

 歴代の皇妃の中で最も多産であったのは、孟家の祖、孟獲であったというのは世間でも有名な話だろう。
 しかしながら、これは、どうにも史書の誇張、あるいは改竄であろうというのが後世の一般見解でもある。
 なにしろ、孟獲は百八人もの子供を産んだことになっている。二十年の間に産むとしても、毎年五つ子、六つ子を産むなどということがあろうか。
 ……(中略)……この数字の操作は南方進出にともなう権威づけのためになされたことであるというのが長年の定説であった。それに対して最近唱えられた、南蛮部族の中で生まれた太祖太帝の子の数を合計したのではないか、という説も説得力がある。
 なお、この改竄説について、孟獲に次ぐ二十五人を産んだ曹操が宗家(三代顕帝(昴)を祖とする。以下同じ)、上家(曹植)、下家(曹沖)の三家の創設を許されたことを傍証にあげる研究者もいる。しかしながら、これは、帝国の実質的な創設者としての曹家の特殊性を無視した論であり、関係は薄いと見る意見が優勢であることも記しておく。
 ……(中略)……孟家は、皇家のつくった王国の中では、拡張はしたものの移動はあまりなかった国家である。
 一時期はインドシナ半島全土を制し、張家の西方進出を助けたが、ついにその本拠地を越南から動かすことはなかった。
 この原因としては、本国と西方、あるいは海洋交易路との中継貿易だけで国家運営を行えるだけの利益をあげられたためであろう。
 港湾の整備をはじめとする交易路の確保以外に、大がかりな国家事業をあまり行わなかったことも、それを助けていたかもしれない。
 ……(中略)……孟家の支配地域は黄河及び長江の文化圏からは離れており、さらに腐食が進みやすい気候・自然環境でもあるため、これまで調査、研究が進んでいなかった。
 しかし、近年ようやくジャングルの中の遺跡の発掘等が進んでいる。これによって「南蛮部族には猫の血が入っていた」という伝承を生み出したであろう数々の遺物が見つかりつつあり……(後略)

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