北郷朝五十皇家列伝・李家の項[李典]

 李典にはじまる李家は東方八家の中でも東方殖民船団の長を務めた家系である。
 東方殖民の基本計画から、船団を構成する船の設計まで全てが李典を中心に行われたことであり、船団長就任は至極当然のことであった。
 だが、李典はそれ以前にはさほどの功績を挙げていたわけでもない。
 もちろん、伝説には空前絶後の発明家として名を刻まれているものの、それらの発明物は、この時代の水準を飛び抜けすぎていて、とても実際の作とは考えにくい。
 おそらくその大半は後世のこじつけであろうというのが、歴史的な見方である。
 そうしたことを考えれば、これらは異例の抜擢であったと言え……(中略)……
 船団の航海は北回り航路を利用している。
 これは――李典自身の開発によって多少の進歩を遂げたとはいえ――当時の船舶の遠洋踏破性の無さから沿岸部を進んで行ったものと推測されている。
 しかし、アリューシャン列島を抜ける時期がまさに真夏にあたり、事前に計画してのことではないかという説が昔から絶えることがない。
 これは、この時代、すでに世界地図が存在していたという説などに基づくわけだが、これらの論はいずれも確証が……(中略)……
 東方大陸本土を発見した李典船団は、そのまま南下し、西海岸から入殖を開始する。
 このあたりの経緯は『東方大陸開拓史』などの名著が存在し、それを翻案した様々な読み物があるので親しんでいる人も多いことだろう。
 だが、それらの底本となっているのが、李典本人によって編纂が命じられた『諸史通鑑』であることは特に記しておくべきだろう。はっきり言えば、歴史的には李典最大の功績はこの史書編纂の命にあると……(中略)……
 後漢末期から『帝国』初期までの歴史に関しては、曹宗家によってまとめられた『魏史』、周家の命による『南方通史』、蜀劉家の後押しで陳寿がまとめた『四国史』などがある。
 だが、いずれも伝統的な紀伝体のものであり、本格的な編年体の歴史書として、この諸史通鑑は貴重な存在である。様々な史料を元に、秦代からの歴史をまとめているため、非常に参照性が高い。西方大陸にはすでに存在しない史料からの引用があるのも……(中略)……
 なお、諸史通鑑によれば、船団の旗艦『青龍』には、太祖太帝他、それまでに亡くなった皇妃・皇族たちの、本人と見紛うばかりの人形が積まれていたらしい。
 おそらく、海を越えてたどり着く先を、亡き夫や同輩の皇妃たちにも見せてやりたいという李典の気持ちの表われであったのだろう。
 だが、あまりに真に迫りすぎていたのか、船団が嵐で危機に陥ったときには太祖太帝の人形が動き出し、船団の指揮を執ったなどという伝承が……(後略)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です