江東の巻・第十七回:北郷、孫伯符に歌を献じて建業を去ること

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 非常に残念なことながら、思春との夕食の約束はお流れになる模様だ。
 来賓の間に入ってきた雪蓮の顔を見て、俺はそう確信してしまった。
 俺についていた華雄は、俺がわざわざ退室するよう命じる前に次の間に消え、しっかりと扉を閉めていた。
 そうすると、部屋の中には俺と雪蓮、そして思春の三人が残される。
「これ」
 どさり、と重く、鈍い音が響く。
 雪蓮が持参した木箱は、立てた音からして、なにか重くて湿った物が入っていることを想像させた。
「確認して、思春」
 今日の雪蓮はいつもより言葉少なだ。発する言葉は全て剣の切っ先のようで、鋭く、重い。
 手早く箱の紐を解き、蓋を半ば開けて中を確認する思春。
 幸いというかなんというか、俺にはそれは見えなかったが、そのかわり、懐かしい──などとは思いたくもない──ものが部屋に満ちた。
 むせかえるような血臭と死臭。
 戦場で幾度も感じていた、それ。
「はい。この首はあやつのものに間違いありません」
「そ。そいつ、生かしておこうと思ったんだけど、亞莎を襲ったって白状した途端、殺しちゃった」
 悪びれもせず、当然のように彼女は言う。呉の王にとって、部下の仇を取るのは本能というよりも、反射のようなものだろう。
 止められる者などいるわけもない。
「お手を煩わし……」
 箱を戻し膝をつく思春の言葉を遮って、鋭い呼びかけが飛ぶ。
「甘興覇!」
「はっ」
「その不埒者の首を持ち、ただちに王宮へ凱旋せよ!」
 その言葉の意味は誰の耳にも明らかだ。いま、この瞬間、甘寧は呉への帰参を許された。
 俺は、そのことを喜ぶべきだ。それなのに、彼女が遠くへ行ってしまうようなそんな気がして寂しがっている自分がいる。そのさもしい己に気づき、俺は音を鳴らして歯を噛み締めずにいられなかった。
「甘寧、主命に従います」
 思春……いや、甘寧は首の入った箱を抱え、足早に出て行く。
「一刀」
「……ん」
 さっきから、掴みとられた腕にぎりぎりと爪が食い込んでいる。雪蓮のすがりつくようなその行動に応じて、俺は彼女と共に自室に急いだ。

 血に酔った雪蓮の房事は激しかった。肩口に噛みつかれ、傷口から血を啜る彼女を無理矢理のように押さえつけ、激しく俺のものを突きたてる。
 獣のようなうめきが、甘い喘ぎ声に変わってようやく、俺たちは優しくキスを交わし、お互いを確かめ合った。
「傷つけちゃった……ごめんね」
 二戦ほど終えた後、赤子のように俺の腕の中で丸くなりながら、雪蓮は俺の顔を見上げて、そんなことを言う。
「いや、いいさ。これくらい、男の勲章だろ」
 男の勲章という言葉を聞いて、雪蓮はひとしきり笑った。
「ん……。あれ、でも、喉は違うわよね?」
 包帯の巻かれた首筋を、細い指がなぞる。
 さすが武人というべきだろう。感情が乱れていても切れたのは皮一枚で、それなりに出たはずの血もすぐに止まって、もう痛みもない。
「あー、えっと。その、これは、思春が……」
「あーあ」
 呆れたような溜め息。
「蓮華ったらかわいそ。もう四面楚歌ね」
 思春にまで手を出したと呆れられているのかと思ったら、予想外のことをくすくす笑いながら言ってくれる雪蓮。さすがにこの女王さまの言動は読みきれないな。
「でも、蓮華のこともよろしくね」
「ああ、大使のことだろう? もちろん、洛陽では俺に出来ることは協力していくよ」
 南海覇王も預かっていることだしな。あれだけのものを託されてしまうと、正統な持ち主に返す時が待ち遠しくなるものだ。
「それだけじゃないんだけどなあ……」
 雪蓮の意味ありげな笑みと呟きに、え? と聞き返すも、変わらぬ笑みではぐらかされる。
「それはともかく、思春のこと、本当にありがとね」
 そう言われると、正直、心が痛む。
 思春を自害から救ったのはいいが、俺なりに力になると言っておいてこの始末だ。もちろん、事件が解決したのはありがたいし、朝廷の手先の賭場を潰すなど貢献はある程度出来たとは思うけど……。
「でも、俺、なんにも出来なくて……まあ、彼女を匿えただけでもよかったかな」
「謙遜しちゃって。そんなことないわよ。似顔絵つきの手配書は役に立ったし、なにより、あの噂流したのって、一刀たちでしょ」
「ん。甘寧将軍がほうぼうで悪人を追っているってのなら、そうだよ」
 ますますおかしそうに、くすくす笑いを激しくして、彼女は俺にしがみつく。
「あの手の噂って、娯楽の少ない田舎ほど派手に素早く伝わるのよね。おかげで、どこに潜伏しても日に日に残虐に大げさになっていく噂に耐えきれなくて、結局慣れた建業に戻ってきてくれたらしいわよ。これって、一刀たちのお手柄でしょ」
 彼女の言う通りなら、たしかにある程度の効果はあげたらしい。もしなんの効果も出なくとも、思春の武名を汚すことになるわけでもなし、と打った手ではあったが、図に当たったらしいのでなによりだ。
「へえ。そうだったんだ」
「うん、これは、あいつを売りにきたやつからの情報。一緒に逃げてたらしいから、間違いないと思うわよ」
 そいつも賞金がどうとかうるさいから殺しちゃったけどね、とさらりと言ってのける雪蓮は厳しすぎるような気もしたが、彼女の気性、呉の民の気性ならば仕方のないところか。
 根っからの裏の住人ならともかく、同行者の扱いに困って売りにくるような中途半端な密告者など、今後生きていく場所もあるまい。
 丸めていた体を広げ、んーと伸びをする雪蓮。その指が、まだ硬度を保つ俺のものに絡んでくる。
「おいおい、いいのか? 思春を出迎えたりなんだりは」
 そうからかうように言うと、余計に指の動きが激しくなり、興奮が集まって本格的に元気になり始める。
「そこよ。実際に出迎えるのは蓮華がやってくれるでしょうけど、その後、祝いの酒宴だなんだと面倒なことが目白押しに決まってるわ。蓮華や思春たちと飲むならいいけど、甘寧ほどの将軍の帰還だもの、兵まで含めて馳走したり、文官たちの相手したり、面倒なことが待ち構えてるに違いないわ」
「まあ……そうだろうな」
「だ・か・ら」
 くい、とひねるように手首を効かせられると、隆々とそびえ立つ俺の男の印。
「戻る前に一刀に、いーーーっぱい元気もらっていくの」
 なんだか涸れはてるまで体力を吸い取られそうだ、と思いつつ、雪蓮にならそれもいいかな、という考えも湧いてきて、俺はなんとも愉しい気分とともに、彼女に挑みかかるのだった。

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