江東の巻・第十四回:北郷、間諜の巣を叩くこと

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「らんらら~、らんらるんら~ん」
 周々の上でご機嫌に歌っておられるのは、孫呉の若き姫君、小蓮。
 演義では、弓腰姫と呼ばれていた人物だ。
 その名に恥じず、指揮はなかなかのものだ。この間の合同警邏でも、呉の兵を操る手腕に感心した記憶がある。
 現在も、またがる周々と大熊猫の善々──これも飼い馴らされているのだろうか。なんだかその圧倒的な重量からして恐ろしいけど──を引き連れての警邏中ということになっている。
 その場に俺がいるということは、呉の武将と魏の大使館による合同警邏を名目としているということだ。
 しかし、森の中を愉しそうに進むシャオは明らかにピクニック気分である。
 ただ、これでたまに賊の痕跡やらを発見して、大捕り物に発展したりもするのだから侮れない。
 指揮の冴えを見せた時も、元々のきっかけは、シャオが見つけてきた情報を元にした作戦だったしな。
 雪蓮たち首脳部にしてみれば、一人でどこへ行かれるよりは俺をつけておけば安心だし、二国の協力関係も示せるという目論見なのだろう。
 歳の離れた妹ということで雪蓮もシャオには甘いようだし、その他の人々には、主筋に厳しくあたれというほうが無理というものだ。
 離れた立場の人間をつけておくほうがいいと考えるのも、わからないでもない。
「がう」
 考え事をしているうちに立ち止まってしまったようだ。
 顔をあげると、俺がついてきていないのに気づいた周々が大きな声で吼えていた。
「わるいわるい」
「もー、一刀、おっそーい」
「はは、ごめんな」
 俺は、早足で彼女たちに近づいていく。かさりと足の下で落ち葉が鳴った。
「しかし、紅葉が綺麗たな」
 緑のままの葉から、黄色に変わり、オレンジが混じり、くすんだ赤から、ついに鮮やかな紅に変わる。
 そんな葉たちが視界の中で風に吹かれて揺れている。鮮やかな色彩に飾られた森は、まるで夢の中の景色のようだ。
 葉が揺れ、枝が揺れ、色がうねり、かさかさと冷たい風が通り抜ける。
 なんだか寂しくもあり、圧倒されもする。そんな森の空気を目一杯肺に吸い込んだ。
「そうだねー、冬だもんねー」
 そうか。このあたりだと、この紅葉の風景は『秋』じゃなくて『冬』なんだな。
 そういえば、九州でも、十一月ごろに紅葉していたな。
 より南に位置する呉では、さらに遅くなるのも道理だ。南蛮などは、紅葉自体があまりないのかもしれない。
「なんだか、夏から一気に冬になった気がするな」
「そぉう?」
「うん、だらだら残暑が厳しかったろう?」
 同じところを歩いているはずなのだが、俺の足元では落ち葉が音を立て、周々の肉球は音も立てない。
 シャオの体重を考えずとも、俺より重い白虎のその歩法に驚嘆を覚える。
「ふーん? いつも通りだったけどなー」
 周々の上で揺られながら、小首を傾げるシャオ。その様はとてもかわいらしかった。
「ああ。たぶん、俺が魏での季節の移り変わりしか知らないからだろうね」
「あー、あっちは寒いもんねー。ってことは、すぐ暑くなくなっちゃうのかー」
「そうだね。だから、秋をこっちよりも長く感じる。まあ、すぐ寒くなっちゃうけどね」
 洛陽あたりでは、雪も頻繁に降る。こちらとはまるで環境が違うのだから、季節の移り変わりもまた違うのだろう。
「そういえば、思春はどう? 蓮華お姉ちゃんが、思春いないと落ち着かないみたいなんだよねー」
「ああ、焦れてはいるようだが、我慢してくれているようだよ。でも、もうしばらくはうちにいてもらうことになると思うよ」
「そっかー」
 よっと声をあげて、シャオが周々の背から下り、軽い足どりで走り出す。それをしなやかな動作で、白虎が追っていった。
「おいおい」
 慌てて彼女たちの後を追う。のっそりと善々がついてくるのがその存在感で知れる。
「ほら、一刀」
 細い手が、追いついた俺の腕を取る。
 意外にも力強くひっぱるその手に導かれるようにして、俺はそこに出た。
 森が途切れ、真ん丸な空間が広がっている。
 こんもりと土が盛り上がったところに生えているのは、おそらくはクスノキの仲間だろう。ごつごつとした幹が天に高く伸び、青々とした葉を支えている。
 その巨木に場所を譲るようにひらけた空間は、冬の日差しを存分に浴びて、緑の色の奔流にきらめくようだった。巨木とその枝が遮る影以外には、俺たちしか存在しない空間。
「ほぉ……」
 思わず息をつく。シャオはその反応に満足そうに頷くと、巨木の根元に俺をひっぱっていく。すでに、そこには周々がその大きな体躯を伸ばして寝そべっている。
 俺たちもそれに倣い、草の生えた場所に腰を下ろした。
「いいところでしょ」
 周々にもたれて座り込んだシャオが自慢気に言う。おそらくは秘密の場所なのだろう。今日はわざわざ俺を連れてきてくれたわけだ。
「うん、いいところだ」
 思わず笑みが漏れる。
 吹きすぎる風も森の中を通りすぎるうちにかき混ぜられ緩和されるのか、冬の寒さを感じさせることもなく心地いい。
 麗らかな日差しとそれを遮る巨木の枝葉たちが落とす影もあいまって、なんだかずっと座っていたくなるような場所だった。
 しばらく無言で俺を観察していたらしいシャオが、不意に声をあげる。
「それで、さっきの話だけど」
「ああ、思春の話ね」
 すっかりくつろいで、二人で言葉を交わす。
 シャオの甘い香りと、周々の獣の匂いがふんわりと漂って来た。
 善々はどこだ?
 ああ、幹の裏側にもたれかかっているのか。どこで取ってきたのか笹をかじっている。その姿はかわいらしいというよりはたくましいという感じだった。
「蓮華お姉ちゃんも雪蓮姉様も色々手を尽くしてるみたい。一刀たちからの情報も結構役立ってるって言ってたよ」
「そうか、それはよかった。少しでも解決に近づくといいんだけどな」
 本当に、少しでも解決に近づいてくれるといいが。
 自分たちなりに考えて動いてはいるが、呉が実際に動いてくれないとしょうがない部分もあったりするし。
「お姉ちゃんは軍の演習って名目で各地に兵を派遣してるし……」
 孫権さんも限定的に国事に復帰したらしいが、主にこの件に関わっているんじゃないかと思う。
 彼女としても腹心の思春の問題は早々に解決したいだろう。なにより、心情的に思春のことを強く思っているに違いない。
 彼女の様子を見ていると、かなりつながりの強い主従のようだからな。
「姉様は、なんだか最近は、このあたりが怪しいんじゃないかと思ってるみたい」
「舞い戻っているって?」
「うん、勘みたいだけどね。でも雪蓮姉様の勘ってあたるしなー」
 現実問題、雪蓮は建業を離れるわけにもいくまい。首都周辺で見つかってくれれば、それにこしたことはない。
 人口を考えても、多数の中に紛れるなら、建業に戻っている可能性はあるか……。
「とにかく、俺の赴任期間の間に解決してくれたらいいんだけどな」
「まだまだでしょ?」
「いや、雪蓮とも相談してね。少し早まるんだよ。年明けから少ししたら、呉を出る予定なんだ」
 華琳にもそのことを打診して了承を取った。
 実際、真桜の成長ぶりは目を見張るものがあるし、俺の役目はほぼ終わっていると言えた。
 ただし、これには雪蓮の国譲りも関わる事情がある。シャオといえどそれを明かすわけにはいかなかった。
「えーっ! それじゃあ、えっと……あと、五十日ちょっとしかないよ!」
 周々にもたれていた体を起こして、シャオが叫ぶ。指折り数えて懸命に計算するその姿がなんともかわいい。
「あー、そうか、たしかにそれくらい、かな。もちろん、年明けすぐじゃないから……。まあ、あと六、七十日か」
 自分でも計算してみる。実際は、調整が必要になってくるだろう。連れもいることだしな。
「もー! そういうことは、はやく言ってくれなきゃだめでしょー」
「ごめんごめん」
 ぶーっと頬を膨らませて抗議するシャオに謝る。
「でも、ここ最近決まったことなんだよ」
「あーあ。祭がいたら、一刀を籠絡する手管をいーっぱい教えてもらうのになあ」
 口を尖らせたまま、腕を振って周々の背中に倒れ込む小蓮。
「はは。そんなの必要ないだろ。シャオは充分かわいいし、本気で狙われたら落ちない男なんていないよ」
 実際に、シャオはかわいい。
 まだまだ子供だが、孫家は美人の血統なのか、姉の二人に負けず劣らず、小蓮は華やかな雰囲気を持つ美少女に育っている。
 雪蓮みたいに切れるような鋭さも無く、丸まるとした大きな目やよく動く手足など、健康的な可愛らしさを振りまいているといえるだろう。
 その一方で――極稀なことながら――どきりとするほど大人びた妖艶な笑みを見せることもあるし、頭の回転も速くて、生意気とも思えるくらい真っ直ぐ物事に対して発言する。
 こんな小さな姫君を放っておく男がいるはずがない。
 俺も、さっきの冗談で思い切り心臓が跳ね上がったくらいだ。
「……ほんと?」
 探るような小さな声と共に袖をひっぱられた。
 見下ろせば、少し不安げな顔が俺のことをじっと見上げている。
 その様が、なんとも普段の少女らしさではなく、『女』を感じさせて、鼓動が高鳴る。
「証拠、見せてよ」
 すっと瞼が落ちる。顔を突き出していることからして、これは……。
「……本気か?」
「シャオが迫れば落ちない男はいないんでしょ。一刀だけ例外なんて言わせないよ。シャオ、一刀のお妃さまになってあげる」
 そこまで言われて、引き下がるのは男がすたる。
 いや、それは言い訳にすぎない。俺は、いま、このお姫様に惹かれていた。
 ゆっくりと驚かさないように体を引き寄せ、桜色の唇に、自分のそれを重ねる。温かさとやわらかさ、そして、首の後ろにまわされる腕の感触。
 俺は彼女を膝の上にのせるようにして抱きしめながら、それらの全てを楽しんでいた。
 がるぅ。
 周々は見て見ぬふりか、俺ならばいいと思ってくれたのか、顔をあげることもなく、たまに静かな鳴き声をあげるばかり。
 善々は……。うん、食事に夢中だな。
 しばらく、口づけを交わしていると、シャオの腕が動き、彼女の肩にまわっていた俺の腕を取る。
 逆らわずにいると、彼女の胸の上に俺の掌を置いた。女の子特有の優しい弾力に興奮が募りはしたものの、さすがに理性が働き、そっと彼女の掌を押さえることにした。
「もー! 男なら勇気見せなさいよー。シャオは大人の女だよー?」
 口を離したシャオが、蠱惑的な声音でそう囁く。
「いや、それは違う」
 大人だと思うこともある。
 けれど、子供だと思う部分も多い。
 なにより、彼女との関係をそんなに急いだりしたくはなかった。
「シャオは言う通り大人だ。でも、まだはやい」
 少し体を離し、真剣に彼女の顔を見据えて話す。
「なんか、それってずるーい」
「じゃあ、シャオは二年や三年したら気持ちが変わるの? お妃様になってくれないのかい?」
「そ、それは違うけどー」
 我ながらこの問い掛けは狡いなと思いつつ問うと、シャオが慌てる。
「でも、季衣たちは抱いたって聞いたよ」
 季衣め、なんてことを話しているんだ。
 まあ、この年代の少女たちが、自分たちの身に起きたことを隠しておけるはずもないか。
「……戦の時代だったからだよ。シャオだって、経験してきたろう? 明日には死んでいる、半ばそう確信していたような日々を」
「それは……」
 しばらく言葉が途切れる。それでも、不満そうな彼女の顔を見ていると、なにかしてやらなければならない気になってくる。
「しかたないな」
 彼女の体を抱え直し、ぐいと顔を近づける。俺の真剣な様子が通じたのか、シャオの顔にわずかに緊張が走る。
「大人の口づけをしよう。大事なお姫様」
 そう言って、再び口づける。
「ん……」
 喉を鳴らす音。
 ぷりぷりとした唇の感触を楽しんだ後で、舌を差し出す。
 ゆっくりと唇を舐めると、シャオの体がかすかに身じろぎし、段々と熱くなっていくのがわかる。彼女が吐息を漏らした瞬間を見計らって、唇を割り開く。
 少しの間、目を白黒させる彼女を落ち着かせるように腕に力を込め、舌を口内にこすりつける。
 口内で、彼女の舌を探り当て、つんつんとつつくと、躊躇いも無く、小さく尖った舌が俺のそれに導かれるようにして絡みついてくる。
 ちゅび、くちゅり……。
 音を立てて唾液が混じり合う。俺の注ぎ込んだ唾液を口内におさめきれなかったか、シャオの口の端から、泡混じりの唾が、たらりと垂れ落ちる。
 歯の裏を舐めあげ、頬の裏側の粘膜を刺激する。その感覚を、すぐにものにしたのか、彼女は、俺のすることにあわせて自分の舌を蠢かし、吸い、つつき、絡ませてきた。
 二人の熱い肉の感覚と、つながり合っている感覚が、二人の距離を縮めていく。
 二人の感じるものが、近づいていく。肌を電流が流れるような感覚が、指先から彼女の体を伝い、俺の体へ再びやってくる。そんな幻想を抱くほど、俺たちは零距離で見つめ合い、つながり合い、求め合っていた。
 ぷはあっ。
 息をうまく出来なかったらしいシャオが頭を振って息をつき、完全に力が抜けて、腕の中で丸くなる。その様子があまりに愛おしく、俺は壊れ物を扱うように彼女を抱きしめた。
 だから、俺はその後、彼女が呟いた言葉をよく聞き取れなかったのだ。
「シャオは絶対諦めないもんねー!!」

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江東の巻・第十四回:北郷、間諜の巣を叩くこと」への2件のフィードバック

  1. おろおろする思春に萌え。それが全て。(笑)
    尚、悪のアジトには時代劇風に突入したと勝手に想像。

    •  いやあ、ほんと思春さんはかわいいです。
       いつもはきりっとしている人をかわいく描くのは非常に楽しいですね。
       アジトでは華雄さんたちが嬉々として暴れてくれましたw

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