江東の巻・第十回:北郷、董仲穎に教えを請うこと

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 時は少々遡り、雪蓮とのわだかまりがまだ解けておらず、孫権と甘寧とは相変わらずで、亞莎が三角州地帯の測量から帰っていない頃――。

 俺の部屋には、月、詠、恋、それに美以という面子が集まり、卓を囲んでいた。
 ミケ、トラ、シャム、さらにセキトは庭でぽかぽかお昼寝中だ。
「なに? この面々」
「蜀に滞在したことがある人間を集めてみました」
 詠の疑問に答える。明命が持ってきてくれた書簡に書かれていたことが気になったので、蜀に詳しい人間に話を聞いてみようと思ったのだ。
「……美以まで?」
「隣接する南蛮を治める王様だからね」
 たまたま遊びに来ていたのでちょうどよかったのだ。
「兄には、この間、はつじょーきの時にとってもお世話になったから、なんでも聞いてくれだじょ」
 なぜか恋の膝に座った美以が、胸を張ってそんなことを言い出す。
 いや、たしかに言う通り、発情期――なぜあるのだ?――をおさめるのに協力はしたが、なにもこんな時に言わなくとも。
 美以に悪気がないのはわかっているのだけど。
「あ、あんた、美以にまで……」
「は、発情期……」
 顔を真っ赤にした月と詠が呆然と呟くように言う。
 その反応に不思議そうな美以。一人、恋だけが平然と月の用意したお菓子をぱくついている。俺が教えた洋菓子をこちらで採れる果物や乳製品を使って再現したものだが、なかなか美味しい。このタルトなんて……。
 そんな風に俺が現実逃避している間に、話は進んでいってしまう。
「月や詠だって、たまに兄に発情してるにゃ?」
 さらに弾けるように赤くなる二人。詠なんて、赤いの通り越して青ざめちゃってるぞ。
「な、なに言ってるのよ。ば、ば、馬鹿言わないでよ!」
「へぅ~」
 あんまり焦ると心当たりがなくてもあるように思われるので、やめたほうがいいですよ。詠さん。
「隠してもだめにゃ。みぃには匂いでバレバレにゃ」
 なにか言おうとして、言葉が出ないのか、ぱくぱくと口を開け閉めするばかりの詠に、ふるふると頭を振るばかりの月。
「ご主人様は、人間、発情させられる……。すごい……」
 恋は一人でわけのわからないことに感心して俺を尊敬の眼差しで見ている。
 頼むからやめてほしい、そんなつぶらな瞳で発情させられると俺を讃えるのは。
「ええいっ。あんたが救いようのない女たらしなのはまた後で追求するとして、話を進めなさい。ほら、はやく!」
 後が思いっきり怖いが、この話を掘り下げる方がもっと怖い。そういうわけで、俺も慌てて書簡を取り出して、話を進めることにした。
「えっと、明命が色々書簡を持ってきてくれたのは知っているね。それで、疑問が出てきたことがいくつかあるんで、みんなに聞きたいんだ」
「そ、そう」
 まだ落ち着かなげな詠に対し、なんとか立て直したらしい月がかわいらしく小首をかしげる。
「えっと。ご主人様は蜀には行かれたことないんでしたっけ」
「攻め入ったことはあるけどね」
 苦笑いを浮かべて見せる。
 月はなんだか申し訳ないような表情を、詠はしまったという表情をそれぞれ浮かべていたが、あまり触れたくないことなので、軽く流してしまう。
「そんなわけで、詳しいことはわからないんだ。色々教えてほしい、いいかな」
「もちろんだじょー」
「……わかる、ことなら」
「ボクたちもわかることなら、ね。あそこではあくまで侍女だったから、限界はあるわ」
 月は口に出さずこくこくと。
 もちろん、蜀への義理もあるだろうし、それこそ国家の機密に関わることなどはおのずと限界もあるだろう。今回はそんなことは要求しないから、問題ないのだけれど。
「うん、それで充分だよ。じゃあ、まずは……そうだな、これは俺の世界の知識なんだけど、火を噴く井戸というのが蜀にあるというのを見てね。それを秋蘭に調べてもらおうとしたんだけど、なんだかその地方には足を踏み入れるのをやんわりと拒否されたということなんだよ。もちろん、危険なのかもしれないけど……」
「火を噴く井戸、ですか……」
「……恋は見たことない」
「みぃも知らないにゃ」
 まったく見たことも聞いたこともなさそうな三人に対して、詠はなにかひっかかるところがあるのか、顔をうつむかせて、懸命に思い出そうとしてくれている。
「井戸、井戸……燃える井戸。あー、ちょっと待って」
 思い出しそうで思い出せないのか、苛々した調子で自分のメイド服のあちこちをひっぱったりなおしたりする詠。不意に記憶が蘇ったのか、ぱっとあがった顔は晴れ晴れとしていた。
「思い出したわ。それ、火井ね。視察を断られたのは、元々、塩井の副産物だからじゃないかしら」
「塩井?」
「蜀の東南のほうで井戸を深く掘ると、塩水が出るようになるんだって。田畑に引いたり、生活用水にしたりするには不向きだけど、それを汲み上げて乾かせば、塩を生産できる。それが塩井ね。そしてね、さらに深く掘ると、燃える風が吹いてくるっていう話よ」
「それが火井か」
「そのままだとひどく燃え上がったりするけど、しばらく外からの風も入れて馴染ませると程よく燃えるようになる……と聞いたわ。塩井での塩生産は、大きな鍋で煮詰めて行うんだけど、火井からの燃える風をそのための火力として用いてるんだとか」
 詠の情報も伝聞だが、それを聞く限り、おそらくは天然ガスだろう。
 石油かなと思っていたのだが、違ったようだ。油田由来のガスもあるが、これはどちらかというと、岩盤の中のガス層に当たっていると考えるべきだろう。
 塩精製のための燃料として利用しているというのは驚きだが、その場で使うならともかく、貯蔵したり運搬したりするのは難しそうだ。
 元居た世界のように液化なんてできっこないしな。これは燃料として考えるには厳しいか。
「でも、詠ちゃん。なんで秋蘭さんが見せてもらえないの?」
「ああ。それは、塩井が蜀にとって重要機密だからよ」
 月が困ったような顔になるのを見て、慌てて説明を加える詠。
「んっと。まず、塩が国を左右する重要な物資だということは知ってるでしょう?」
「そうにゃん?」
 美以が、詠の説明を横目に小さな声で俺に尋ねてくる。
「ああ。塩は生活に必要不可欠だからね。料理にはもちろんだけど、食べ物を保存したりとか色々使われているんだ。人が生きてる限り必要となるから、国にとっても重要事なんだよ」
「ほへー」
「こいつの言う通り、塩は生活に必要不可欠だから、普通は国が専売制を敷くわ。漢でもそれは同じ。……ま、いまは名目上は漢の代行をするという形で、三国がそれぞれに専売制を敷いてるわけだけど。ともかく、蜀が辺境の内陸部でも財政をまわせるのは、塩井があるおかげもあるのよ」
 恋と美以の二人が少々置いて行かれている感はあるが、本人たちはわかっていないまでもふんふんと詠の話を大人しく聞いているから、まあ、いいか。
「蜀にとって大事な収入源ってことね。ありがとう、詠ちゃん」
「うん、でも、実はそれだけじゃないのよね」
 詠は苦笑いをしながら言葉を続ける。
「塩井ってのは、その地方だと、外れもあるにせよ、ある程度井戸を掘れば作れちゃうの。でも、国としては――これは漢でも蜀でもいっしょだけど――専売制をとってるんだから、塩を勝手に住民に作られたら具合が悪いでしょ。だから、認可制になるわけだけど、やっぱり、目を盗んで勝手に掘るやつも出るわけよ。ただの井戸に見せかけたりしてね」
 ある意味、当然といえば当然だ。塩は専売制をとっているせいもあって、高価だ。
 しかし、何度も言うように生活上必要不可欠な存在だ。となれば、自分たちで取ってしまおう、あるいは少しそれを売って儲けようと思ってもしかたあるまい。
「そういうのは、行き過ぎない限りは地域住民の小遣い稼ぎとして黙認するものなのよ。蜀でもそうしてるわ。実際、普通の井戸を掘ろうとして意図せず塩井になってしまった例もあるらしいし、全て見張るのは難しいもの。でも、秋蘭を入れるとなると、しっかり取り締まらなきゃならなくなる。しかも、名目上はいまだに漢が専売制を敷いてるわけでしょ。中央の意を代表すると思われる魏の大使が視察となれば、警戒したくなるのもわかるわ」
 つまり、秋蘭は蜀の経済状況と、政策の徹底具合を探ろうとしたと受け取られているわけだ。単純な興味が主な理由だったために、そんな重大事になっていると思うと申し訳ない。
「俺の頼みのおかげで、秋蘭が悪い印象をもたれちゃったろうか?」
「どうでしょう、そこまでとは思いませんが……」
「大丈夫でしょ。警戒しているとしても、朱里……諸葛亮と鳳統だけよ。他はてんで金の流れに疎いんだから。それに、秋蘭に蜀の懐を探る意図があるかどうかぐらい、あの二人なら動きから見て取れるでしょうしね」
「そっか……。わかった、ありがとう」
 いずれにせよ、秋蘭には事情を説明して、謝っておかないといけない。魏と蜀で利害が対立することももちろんあるだろうが、それをわざわざ生み出したり、深刻にしたりする必要はない。
「じゃあ、この話はひとまず終わりとして、次に行こう。霞からの手紙を読んでいて疑問に思ったことなんだけれど、なぜ、いまだに馬家は蜀にいるんだ?」
 火井話の項目に話を聞いたチェックをして、次の項目を読み上げる。四人は目を見合わせて、代表者のように詠が聞き返してくる。
「どういうこと?」
「いや、霞によると、実際に鎮西府に来ている馬岱もそうなんだけど、その馬岱から話を聞く限り、馬超やその配下の人達はすでに魏への復讐心のようなものは払拭されているらしいんだ。しかも、西涼に帰るか、せめて仕事で関わりたいという人ばかりらしい。でも、大半は蜀にとどまったままだ。そのあたり、まだわだかまりがあるのか、推測でもいいから教えてほしいな、と」
 もちろん、義理や人情というものがある。
 棟梁たる馬超は、俺の世界だと蜀の五虎将軍なんて呼ばれているくらいだし、蜀に仕えることを選択したという可能性もある。
 しかし、本人だけならともかく、馬超は西涼の民を統べる立場でもある。その場合、情や理をはねのけてでも利で動かねばならないこともあるだろう。そのあたり、彼女はどう考えているのか、俺にはよくわかっていなかった。
 以前、三国会談で出会ったときには、少しでも早く西涼に帰ることを望んでいたようにも見えたが……。
「私たちが帰らなかったのは、死んだことになっているからですけど……。翠さんたちは、やっぱり、蜀の一員という意識が強かったんじゃないでしょうか」
「うーん。翠や蒲公英はともかく、西涼の兵が蜀に帰属意識を持っているとは考えにくいけどね」
「それは……そうかも」
「もちろん、翠自身には蜀が居心地いいのかもしれないけれど、いずれは西涼に帰ることを夢見ているでしょうね。問題はどちらかといえば、彼女たちが蜀の者だと見なされていることだと思うけどね。周囲から」
 その問題は、三国会談の時に、諸葛亮自身が指摘していたな。
 ただ、現実問題として、すでに魏の涼州支配は地盤固めが終わりつつある。
 これが完全に終わる前に涼州と蜀から挟み打ちにされると非常に困るが、民も恭順している現状で涼州を睨む長安に鎮西将軍として霞を置いている以上、たとえ挟撃がうまく行ってもなまなかなことでは打ち破れまい。
「蜀のために動いてくれてもいいんだけどね。西涼の民のことを優先させてくれれば、それで……」
 実際、涼州と蜀との経済交流などが促進されるならそれはそれでいい結果を生むだろう。
「そんなおめでたいこと考えてるのはあんただけ。……いや、こいつがそう言うってことは案外、華琳もそうなのかしら……?」
 なんだかぶつぶつと呟きつつ考え事に入ってしまう詠。
「そうなると……馬超将軍は蜀が動くと思われると困るので、うかつな動きができない。配下は馬超将軍がいる以上は蜀にとどまっている、って解釈でいいのかな。基本的には、西涼に帰ることを望んでいるが、それが叶わない、と」
 涼州兵――この場合、西涼の騎兵以外ということだが――は、月たちがいなくなった途端に蜀を離脱して、大半が涼州に帰還しているものな。一部が漢中あたりに流れたという話もあるけれど。
「基本的にはそれでいいと思うわ」
「なんだか大変にゃー」
 美以がしみじみと言うのがおかしかった。自分は長い間本国を空けたりしているのにな。
「恋は……どこにいるかはあんまり気にならない」
 恋がぽつりと言う。彼女の場合、場所よりも、セキトをはじめとした家族たちといっしょにいられるほうが大事だろう。そういう意味で、半年も引き離しているのは少々辛い。
 誰と共にいるか、か。
 そうなると出てくるのが以前から気になっていた蜀のトップ、劉備だ。

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