江東の巻・第九回:孫伯符、孫家の宝を北郷に託すこと

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 夜――。

 一人になった俺は寝台の上で体を起こし、じっと正面の壁を見つめていた。
 一振りの剣が、壁にかけられた灯にぼんやりと浮かび上がっている。
「……ご主人様?」
 不意に部屋の方で声がして、ぼんやりとしていた意識が引き戻される。
「あれ、恋? 寝室にいるよ」
 声をかけると、ひょこっといった感じで、扉から恋の頭が飛び出てきた。
「ご主人様、いた」
「あれ、セキトもか」
 体がついてくると、その手にセキトを抱えている。夜中だというのに眠くないようで、俺の姿を見てわふわふと小さく声を上げるセキト。
「うん。セキトも心配してた」
 とことこと寝台に近づいてくると、その手からセキトが飛び出して俺の腹のあたりに飛び乗ってきた。くんくんと様子を窺うように鼻面を突きつけてくるのがとてもかわいらしい。
「そっか、心配してくれたか。ありがとな、セキト」
 頭をなでてやると安心したのか、腹の上で丸くなるセキト。
 一方の恋は、こちらでは胡床と呼ばれている折り畳み式の椅子を寝台の下から引き出して座ろうとしていたが、その仕種になにかひっかかるものがある。
 なんだか、足をかばっているような気が……。
「足、どうしたんだ?」
 恋はその質問に考え込んでいるようだった。食べ物のこと以外でこんなに悩む恋を見るのは珍しい。
 じっと見つめると、しぶしぶ答えてくれる。
「……ご主人様助けようとしたとき、少し無理した」
 そうか、そういうことか。
 いかに達人とはいえ、人間なのは間違いない。筋肉もあれば関節もあるのだ。
 想像を絶するほどの離れ業を行えば、その反動も出る。
 それほどのことをしてくれた恋たちに、胸が熱くなる。
「そうか、ほんとにありがとうな」
「華雄はもっとすごかった」
「華雄にも後でちゃんと礼を言っておくよ」
 南海覇王を蹴り飛ばしたのは華雄だと言ってたっけ。本当に何度も助けられているな。
「痛みは大丈夫?」
「一日あれば治る」
 恋の言葉に一安心して、わふとあくびをするセキトをなでる。膝の上があったかいのか、気持ちよさそうだ。
「あの……剣」
 ぼそり、と恋が呟く。二人の視線は共に南海覇王へと向く。
「武器は大事。でも、武器がなくても戦える。別の武器でも」
 訥々と彼女は言う。抑揚もつけず、ただ、淡々と事実を語ろうとしているように。
「……でも、思い出の武器は別。武器だから、じゃなくて……思い出、だから……」
 やっぱり特別な意味があるってことか。恋が言いたいことをなんとなく理解して、ぽんぽんと彼女の頭をなでた。くすぐったげに身をよじる恋が、腕を伸ばして、すでに眠りかけているセキトの背をひとなでする。
「でも、家族は、もっと大事」
 いとおしげにセキトの体に触れる恋の顔に淡く浮かぶ笑み。それを見ていると、俺の顔にも同じ表情が浮かんでしまう。
「ご主人様も、大事」
 じっと見られていることに気づいたのか、ふとあげた顔にも、変わらぬ温かな表情が浮かべられていた。

 寝入ってしまったセキトを抱いて恋が出て行った後も、俺は南海覇王を見つめて思考を続けていた。
 もはや、雪蓮の意図を探ることは諦めている。いや、諦めているというよりは、自ら彼女にあたるべきだと考えたというほうがいいだろうか。
 いま考えているのは別のことだ。
「俺は弱い」
 言わずもがなのことを口に出してはっきりと言ってみる。
 武の強さのことを言っているのではない。弱いのは俺の心だ。
 戦いを挑まれ、それを受けてしまうこと。
 完膚無きまでに叩きのめされたというのに、周りの助力でなにかすごいことをしたかのように錯覚していること。
 自分ならば、なんとかできるはずだと思い込んで突っ走って、他人に尻拭いしてもらわねば命すら保てない、そのこと。
 自分を過信し、思考を放棄して感情と成り行きに任せてしまうこと。
「弱いのは、罪だ……」
 挑発に乗って、命を無くせば、その後はどうなる?
 俺はいい。死んでしまえばもうなにも煩わされることはない。だが、それで泣く人たちがいる。悲しむ人たちがいる。
 当然与えられるべき庇護を受けられずに育つ子らがいる。
 飢える人すらいるかもしれない。
 苦しむ人もいるかもしれない。
 喜ぶ人も……まあ、少しはいるだろう。しかし、喜ばせるために失点を重ねるわけにはいかない。
 握りしめた拳の中で、掌に爪が突き刺さる。
 痛みはない。
 感じるほどの痛みはない。
 罪を少しは癒やしてくれる痛みという罰さえ、今の俺には与えることが出来ない。
 二度と、もう二度と、失わないと。
 彼女たちにも失わせないと誓ったのではなかったか。
『いいのん? もう二度と、戻ってこれないわよん。それどころか、この外史は消えてしまうかも』
 あの……男だかオトメだか、もうよくわからないあの人物の問いかけに、大言壮語したのは誰だったか。
「幸せにしてみせる、か」
 その言葉は、遥か遠く、これからずっとずっと長い時をかけてなし遂げるべきこと。
 気づけば、頬を涙が濡らしている。悔しさと苦しさと未来への不安と。
 流しだせるものなら、全て流してしまいたいほどだった。
「強く、ならなきゃな」
 心を固く鎧って感じないのではなく。
 冷たく感情を保って動じないのでもなく。
 ただ、やわらかに、強く。
 俺は、そのことをこの時、はじめて目指したように思う。

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江東の巻・第九回:孫伯符、孫家の宝を北郷に託すこと」への2件のフィードバック

  1. 雪蓮が一刀を殺っちまってた場合のバッドエンドも見てみたい気もする(笑)
    華琳他、魏勢がどういった反応するのか・・・とか?
    まあ一刀の【南海覇王】が全て丸く?収めたのでヨカッタヨカッタw

    •  そうなってたら、そりゃあもうえらいことでしょうね。
       恐ろしい展開です。
       ただ、華雄・呂布の二人の目の前なので、雪蓮にも止められるだろうという意識もゼロではなかったと思いますが。

       まあ、一刀さんの刀は天下無双ですからな!w

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