江東の巻・第八回:孫伯符、戦いの中で後ろを見せること

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 すらりと鞘から抜き放たれたその白刃は、陽光をきらめかせ、鮮烈な美をそこに顕現する。
 元々静謐に満ちていた大使館の庭から、その一瞬ありとあらゆる音が消え、光すらどこかへ吸い込まれていくような気がした。
 もちろん、それは錯覚に過ぎないのだが、俺にとっては真実でもある。
 溜め息をつくような優美と恐怖。
 その二つの印象を同時に与えるそれを、俺はいろんな角度から眺めた。
「どやろ?」
 この刀を打った本人、真桜が不安と期待を込めた顔で俺の表情を探っている。
「綺麗だ。重心も悪くない」
 素直な感想を口にする。
「せやろ。たいちょの言ったように刃文も地金もうまくいった思うんよ」
「これ三本目だけど……これって、再現できるのか?」
「たぶん、もう無理や」
 悔しそうに言う真桜。
「また鋼からはじめなあかんし。そもそもあの玉鋼ちゅうたっけ。あれかてたいちょの話聞いて作ったけど、偶然うまくできたようなもんやしな」
 洛陽郊外につくった『たたら場』で砂鉄から作り上げられた玉鋼はほんのわずかで、真桜はそれを三振りの刀に打ち上げた。一本目は焼き入れの段階でなまってしまい、二本目はうまくいったかに見えたが、試し斬りで見事に折れた。
 そして、ようやくうまくいった三本目を、真桜は呉に持ち込んで、仕事の合間に研ぎ出しをしていたらしい。凝り性というべきか、鍔と鞘まで自作したらしく、らせん状の凹凸の刻み込まれた鍔と、銀で竜の紋様の刻まれた黒鞘がついていた。
「しかし、こんな斬ることに突きぬけた武器が発展するもんなんやなあ」
 何度か素振りしてみている俺を、おもしろそうに眺めている真桜。たしかに彼女たちの武の道に比べると、日本刀の存在や、俺の鍛練そのものが変わって見えるのかもしれない。こっちの刀は幅広で鉈のように使うか、よく曲がったりするからな。日本刀とはやはり違う。
「日本刀は、折れず、曲がらず、よく斬れる、が特徴だからな。でも、実際の戦争では、主要武器は槍なんかの長柄や投石と弓だったらしいけどね」
「そりゃそやろ。間合いがちゃうもん。せやけど、これはこれでつこたんやろ? それがすごい思うわ」
 こちらでも、間合いの短い武器を使う将はいるが、それは将だからであって、兵士たちが短い武器を使うのはよほど身近に寄られたいざという時だけだ。日本でも、刀は副次的な装備だったと聞く。ただ、それ以上に儀礼的な意味や精神的なものが込められている場合も多いわけだが。
「んじゃ、斬ってみてや」
 ぽんぽん、と巻藁を叩く真桜。二本目はこれを斬ろうとして折れたんだよな。俺の振り抜きが悪かった可能性もあるが……。
「ん」
 改めて青眼に構えると、ずしりと腰に響く重みを感じる。これならしっかりと振り抜けそうだ。真桜が横に退いていくのを見て、八相から蜻蛉の姿勢に移る。真剣を振るうなら、剣道よりもじいちゃんに習った剣術こそがふさわしいだろう。
「きぇえええいっ!!」
 気合いを込めた叫びと共に切り下ろす。まるでバターを切るかのようにするすると吸い込まれるように動く刃。俺の刀が通りすぎた途端、巻藁の上半分はずるりと地に落ちていった。あまりの手応えの無さに、驚いてしまう。
「お、すごいやん」
 落ちた巻藁を拾い、その切断面を観察しては、おーとか、ほーとか言っている真桜。
「やっぱあかん?」
 複雑そうな俺の表情に気づいたのか、急にしゅんとした顔になる。
「いや、前の二本とはまるで違うよ。ただ、なんというか、斬れすぎて怖いな、これは」
 再び陽光に刃をきらめかせてみる。形だけを見れば、たしかにこれは日本刀と言っていい。だが、日本刀が築き上げてきた長い積み重ねはこの中にはない。俺の知識と、真桜の才が作り上げた、なにか別のものだ。李典刀とでも言うべきか。
「んー? 斬れるんやったらええんちゃう?」
「たしかに、武器としてはな。正直、これは名刀と言えるものだと思う。よくやったな、真桜」
 そう言うと、ほっとしたように微笑みを浮かべる。果たして、この刀の製作で得たなにかが、他のものに応用できるかどうかはわからないが、少しでも糧になったら嬉しいと思う。
「だけど、俺の方が使いこなせるかどうか……。実戦で使ってみないとわからないな」
 鞘におさめつつ、少し不安に思う。せっかくの力作を、俺が使いこなせないでは意味がない。俺以外にこの形の刀を使う者もいないだろうし。
「できれば、つかわんですむほうがええけどな。たいちょが出るような事態は考えとうないわ」
「たしかになー。俺弱いし……」
「いや、強い弱いやのうて、部下に将がおるんやから、たいちょが出るってのは周りがやられた時やろ? そんなんなったら、誰かて無理や」
 ぱたぱたと手を振って真桜が否定する。
「そう言われると……なあ」
「せやから、その刀はたいちょが追い詰められたとき、相手を切り裂ければええねん。囲まれたところから逃げられればええ、そう思てつくったんや」
「そうか。うん、ありがとう。大切に使うよ」
 笑顔を浮かべて言ってくれる真桜に、真摯に礼を言う。本当に、俺は周りの皆に助けられてばかりだな、と実感しているまさにその時、鋭い言葉が降ってきた。
「ねえ、その刀、試してみましょうよ」
「……雪蓮?」
 振り返れば、呉の女王孫策と、それにつき従う甘寧の姿がそこにあった。孫権ではなく、雪蓮についている甘寧というのはなかなか珍しい。
「ちょっと表敬訪問に来たんだけどさ、なんかおもしろそうなことやってるじゃない? つい出てきちゃった」
「まあ、それはええねんけど……試すて?」
「だから、私で試してみるってこと」
 雪蓮の顔には笑みがはりついている。だが、その奥からにじみ出てくるものにあてられて、俺は身動きが取れないでいた。懸命に喋っている真桜の額にも汗がにじみ出ている。
「はは、冗談きついわ。雪蓮はんみたいな武人とたいちょじゃ力の差がありすぎて、勝負にもならへんわ。たいちょだけやない、うちかてそうや。そう言うのなんて言うか知っとるか? 嬲り殺しや」
「魏の大使は口の減らないのばっかり? 私は一刀に言ってるのよ? ごくごく平和的に、ね」
 平和的、ね。これほどまでに殺気をまきちらしておいて、何を言っているのか。側近の、しかも武断派で俺に敵意を持っているはずの甘寧すら眉根をよせているほどだ。だが、逆にそこまで突きぬけた雪蓮の行動が、腹を決めさせた。
「真桜、恋と華雄を呼んできてくれ。見届け人だ」
 瞬間、彼女は反駁しようとしたのか何事か口を開きかけたが、俺の顔を覗き込むと、決然と口をつぐみ、こくりと一つ頷いて身を翻した。
「いいだろう。一勝負しようじゃないか」
 にやり、と笑みが大きく刻まれた。獲物がかかった、と確信する血に飢えた獣のように。
「ふふ、天下無双の武人が見届け人の勝負? いいわねぇ、ぞくぞくしちゃう」
 官能的に笑み崩れる顔は、あまりに美しく、恐ろしい。しかし、たとえばそれは華琳の激怒とも、華雄の底知れぬ強さともどこか違う。なんだか追い詰められたような、だからこそ何をするのかわからないというような狂気を秘めていた。そこへ、横から、予想もしていなかった声がかかる。
「雪蓮様、一つよろしいでしょうか?」
「ん、なに思春。今日は譲らないわよ?」
「いえ、北郷はその刀を持って間もないはず。慣れるまでの時間があるべきかと」
 雪蓮は柄に手をのせたまま、面倒そうに答える。
「はいはい。ほんと思春は融通がきかないんだから」
 甘寧が俺につかつかと近寄り、そっと背に手を置き、力強く押される。
「では、そちらの陰で振るといい。雪蓮様はご覧になりませぬよう」
 そう言って、俺は庭の隅の藪向こうに無理矢理のように押し込められるのだった。

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