江東の巻・第七回:孫伯符、北郷に懸念を抱くこと

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 真桜の言葉に元気よく頷いて、明命は続ける。
「公孫賛殿と袁紹殿の遠征に関してですが、もうひとつあります。どちらも旧領を巡る内に旧来の部下が集まってきたらしく、公孫賛殿の下には多数の白馬義従が、袁紹殿の下には、沮授、田豊といった人物が集まってきたとのこと」
「へえ、沮授と田豊が」
 この二人は三国志を呼んでいれば、袁紹の頭脳として必ず名前があがる人物たちだろう。この世界では麗羽や桂花の口から名前は聞いたものの消息は明らかになっていなかったのだが……。
 おそらくはどこかへ身を隠してでもいたのだろう。
「はい。公孫賛殿はそのまま吸収されたようですが、袁紹殿は、洛陽へ行くように言いつけたようでして」
 白馬義従のほうは古くからの部下なだけに、なじみやすかったのだろう。慰撫が中心の行軍だけに、鍛えなおすにはちょうどいいと判断したのかもしれない。
「その顛末については、詳しくは一刀様への書簡に書かれているはずです」
「え、麗羽からか?」
「いえ、曹操殿からの」
「そっか、後で見ておこう」
 後で確認してみたところ、麗羽の下には、沮授、田豊、審配、許攸、張郃、淳于瓊といった人物が参集したらしい。官渡の後、どこに隠れ潜んでいたのやら。そのそうそうたる面子に向かった麗羽は
『あーら、いまさら来てもわたくしの完全無欠の楽園には招待してさしあげませんわよ。そうね、人材好きの華琳さんならあなた方にふさわしい職を与えられると思いますから、洛陽に行かれたらどうかしら?』
 とそれぞれに推薦の文――これ自体は斗詩が書いたのだろう――をつけてよこしてきたのだそうだ。
 このうち許攸のみは扱いを不服として、いずこかへ消えたらしいが、他の面々は洛陽に赴き、このままいけば自分――華琳――に仕える事になるだろうというようなことが書かれてあった。
 この顛末の最後に、一刀、あなたと麗羽のいる場所は『完全無欠の楽園』らしいわよ? と華琳のからかいなのか、本気なのかよくわからない言葉が記してあった。
 以前の睦み合いで言っていたように、俺がいて、斗詩や猪々子がいて、そして、おそらくは華琳や美羽がいるというのが、麗羽にとっては欠けるものが何ひとつない『楽園』なのだろう。
 そう思ってくれているのは、純粋に嬉しい。
 そして、麗羽が自分を頼ってきた旧臣たちを放り出さず、きちんと対処したこともまた誇らしく思えるのだった。
 彼女は大将軍の官位は持っているものの、実権というものがほとんどないに等しい状態だし、華琳に推挙するというのは正しいやり方だったと思う。ある意味、麗羽らしくないと思ってしまうくらいに。
 まあ、麗羽にしてみれば、本当に現状で不満がないから余計な人間は入ってくるな、という感覚だったのかもしれないけれど。
「しかし、いろんな連中が出てくるもんやなあ」
「世間からしたら、それこそボクなんて亡霊よ?」
「ああ、せやった、おばけや、おばけ」
「そう言えば、祭様が生きておられるのを見た時は、本当に心臓が止まるかと……」
 報告のためだったはずの場は、いつの間にか雑談へと変わり、俺たちはひとしきり語り合った後、退出した。
 それにしても、途中から一切何事もしゃべらず思考に没頭していた呉の女王のことが気がかりだった。
 王ともなれば心配事はいくらもあるし、考える時間も惜しいとはいえ、普段は快活でおしゃべりにも乗り気な彼女の心を一体なにがとらえていたのか、心の隅で、いつまでもそのことがひっかかっていた。

 その晩、積み上げられた竹簡と紙束を前に、俺はひたすらに字を追っていた。
 とにかく量が多くて、早めに読まねばならないものを選別するだけでも一苦労だ。明命が帰るまでにいくつかは返事を書いて彼女に運んでもらわねばならないだろう。
「私的なものと公的なものが混じってるのが困りものね。あんた、国の中枢に女つくりすぎよ」
 選別を手伝ってくれている詠が文句を言う。手伝うといっても彼女は絶対に私的な文書を読みたがらないので、それぞれの文に色分けした紐を結んだり、俺が公的なものだと判断したものの重要度を判別してもらっている。
「そ、そうは言っても……」
「そういや、女官とかに手を出したって話は聞かないわね」
「うーん。そう言うのはなんか権力を利用しているような気がして」
 華琳の親衛隊はじめ、洛陽にも魅力的な女性は数多くいたが、私的なつきあいというのはほとんどしたことがない。
 四六時中誰かしらが側にいたし、たまに文官や武官と食事を共にしたりすることはあったが、二人きりというのは、そういえば、無かったように思う。
「ボクもあんたに庇護されてる弱い立場のはずだけど?」
「いや、それは……」
 言われてみれば、その通りだ。言葉を濁す俺をきっと睨みつけてくるメイド姿の少女。
「馬鹿。嫌とかそういうことじゃないわよ。いちいちいじけんな」
 勢いよく怒鳴りつけて、そのあとで、くいくいと眼鏡をなおす。
「まあ、あんたなりの判断があるのはわかるわ。ボクや月はあんたがなにか意に沿わぬことをすれば、霞に助けを求めることも、華琳に訴える手もある。いえ、もっと身近な華雄や恋だって筋違いのことなら――あんたが、もし万が一、それをしたとしてだけど――ボクたちを支持してくれる。でも、普通の女官じゃ自分の職を失う危険を冒してまで抵抗しない可能性もある。そういうことでしょ?」
 滔々と自分が発した疑問に対する答えを整理して話してくれる詠。自分でも形になっていなかったものをそうやって言葉にされると、なんだか無闇と説得力があるな。
「ありがとな、詠」
 なんとなく嬉しくなって礼を言うと、真っ赤になって口籠もる。
「な、なに言ってるのよ。それより手を動かしなさい」
「ああ」
 詠の言う通りなので、目を書簡に戻す。詳しく読み込むには、明日、明後日ではすまないな、これは。
「そういえば、蜀は大使をどうするつもりかしら。桔梗だけに任せる手もあるけど」
「しかし、桔梗も妊婦だしな」
「……あんた、騒動を撒き散らしてない? このちんこの遣いが」
 その言葉に呆然と彼女を見つめると、詠が不気味なものでも見るような顔でこっちをちらちら見てくる。
「な、なによ」
「いや、男性器すら知らなかったあの詠が、まさか、そんな卑俗な言葉を……」
「わーわー。うるさい、ばか、この馬鹿!」
 暴れて書簡を持ち上げたものの、さすがに投げるのはまずいと判断したのか、憤然とした態度ながら、そっとそれを卓に置きなおす。
 ああ、よかった、側にいたら蹴られてたな。
「白蓮の代わりを送るとは思うけどね。そうね、紫苑(しおん)――黄忠あたりかしら……」
 無理矢理のように話を戻そうとするのを、これ以上からかうのもまずいと話にのっておく。
「弓将二人か……。黄忠さんにしろ、桔梗にしろ、抑えの効く人材だろう? それをいま国外に出していいものなのか?」
「しかたないでしょ。そもそも、蜀にそれほど人材がいないんだから」
「小さい割りにはいる方だとは思うけど。……っとさすが桂花だな、妊娠したなんて一言も書いてない」
 桂花からの手紙をざっと呼んで思わず漏らす。
「まだわかってない時期じゃないの?」
「わざわざ、『明日、この書を持って周泰がそちらに発つ』って書いてあるのにか?」
 苦笑い一つ。しかし、桂花らしい。実に桂花らしい。
「察してやりなさいよ」
「そのあたりはよくわからないけど、とにかくこれは私的なことはまるでないよ」
「ふーん」
 俺から竹簡を受け取る詠。俺は、次の書簡にとりかかる。これは長いな、華琳か……。
「司馬氏?」
 不意にあがった声に、文字の連なりに没頭していた意識が引き戻される。
「んー? ああ、そうそう、桂花に司馬氏の調査を頼んでたんだ。司馬懿は贈賄で処刑されたけど、司馬師、司馬昭は生まれているみたいだし、万が一があると困るな、と思って」
「……あんたの世界では曹魏を簒奪した人物ね」
「奪われるほうが悪いと華琳なら言いそうだけどな」
 司馬氏の専横を許して、帝位を譲らざるを得なくなってしまったことの責任はたしかに曹氏にもあった。ただ、この世界でそんなことを起こされると、せっかく定まった天下が短い間にひっくりかえりかねない。それだけは勘弁してほしい。
「この件、ボクが引き継ぐわ。いいわね」
「え?」
「こっちのことも、あんたの世界の歴史も詳しく知ってるのはボクだけでしょ。監視の任ならボクの方が向いてる。もちろん、現状は桂花と連絡をとりつつだけど」
 書簡に目を落としたまま、鋭い声で言い放つ。おそらく、いま、彼女の頭の中では、様々な計画が練られ始めているのだろう。
「そっか。うん、ありがとう、詠」
「それより、あんた、明命と約束してるんじゃなかった?」
「もうそんな時間か」
 さすがに体で時間をはかる感覚は、いつまでもこちらの人達に勝てそうにない。詠に言われて、とにかく広げていた書簡だけは整理することにした。
 先は長い。
「明命が来る前に一つ言っておくわ。雪蓮に気をつけなさい」
 くるくると桂花からの竹簡を巻きとりつつ、何気ないことのように言う彼女に少々驚く。
「え?」
「あんな考え込んでいる雪蓮はじめてよ。あの時の会話で何かあったとみるべきね」
 さすが、詠は気づいていたのだな。俺ですら気づくのだから当然といえば当然だ。
「いったい……なんだろう?」
「わからないわ。とにかく、気をつけて。ボクも注意してみる」
「ん。わかった。気をつけよう」
 そうして詠はかわいらしいフリルを振り立ててつつ、部屋を出て行くのだった。

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江東の巻・第七回:孫伯符、北郷に懸念を抱くこと」への2件のフィードバック

  1. 一刀「俺の女に手を出す奴は滅殺でしょ?JK。」
    原作の季衣の拠点の時にもあったけど、一刀サンは身内(主に女性)に危害が及ぶと、
    めっちゃキレますよね(笑)顔に出てますよ一刀サン(笑)

    そして、明命がいじらしくて素敵ですね。末永くモフればいいよw

    •  原作からして一刀さんは大事に思った人はとことんというところがありますが、この物語の一刀さんの場合、一度忘れてしまって思い出した上に、戻れるかどうかもわからないという経験をしていますので、余計に色々あるのだと思います。
       まあ、雪蓮もひくくらいっていうのは、やっぱりこれまで培ってきた胆力とかかなとは思いますがw

       明命は、ほんとどこまでもまっすぐ慕ってくれるであろう素晴らしい女性ですよね。

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