江東の巻・第七回:孫伯符、北郷に懸念を抱くこと

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「はい。公孫賛殿が、蜀から追放されるとの内示が、厳顔殿から」
「伯珪さんが蜀を追放されるだって!?」
「ありゃ……。いきなり追放とは穏やかやないな」
「これは桃香や朱里の策じゃないわね」
 俺たち三人がそれぞれの反応をしているところで、雪蓮は黙って明命に続けるよう示す。
「公孫賛殿が、公孫淵のところに向かっておられるのはご承知の通りです」
「ああ。……ええと、烏桓を慰撫しながら、北上しているんだよな」
 麗羽たちもおつきで行っているはずだ。かなり北の方だから、まだ本命の遼東にはついていないはずだが。
「はい。そこに、朝廷から密使がたちました。元々遼東公孫氏の問題に関しても、朝廷からの肝煎りでしたが、朝廷はここで、公孫賛殿を取り込もうと動かれたようで」
「ふーん」
「推測でしかありませんが、内容的に魏、そして、一刀様への敵対要請があったものと思われます」
 妥当といえば妥当なところだ。
 宦官を奪われた朝廷は、いまや帝とその周辺に侍る、いわば心臓と言えるような部分しか存在しない。
 実質的な体として機能している魏を切り捨てるならば、新しい手足を手に入れる必要がある。そこに伯珪さんのようなまじめな人を選ぶのは少々考えが足りない気もするが……。
「そんで白蓮はんが断ったっちゅうわけか?」
「いえ。その前に、朝廷はどうやら一行に袁紹殿、さらには顔良文醜の二将軍がついているのを知らなかったようなのです」
「ああ。麗羽たちは華琳と伯珪さん自身の希望でつけたからな」
「公孫賛殿と幕僚しかいないものとして勅を読み上げた密使は、文醜将軍に一刀(いっとう)の下に切り捨てられました」
「……猪々子……」
 思わず額を抑えようとして、まだ両手が握られていることに気づく。落ち着け、とでも言うように詠の手にぎゅっと力が込められる。
「でも、それやったら、責めどころがちゃうんちゃう?」
 たしかにそうだ。普通なら、猪々子はもちろん、麗羽のほうを責めるほうに回るだろう。
「袁紹殿は漢の大将軍・録尚書事です」
「あ、そうなの? まだ、大将軍なんだ。へー。私にもくれないかしら」
 相変わらず軽いな大将軍。常設では三公をしのぐ最高の官のはずなのだが。月がついた相国は非常時のみだし。
「その大将軍の袁紹殿が『そのような勅書は見た覚えがない。偽勅であろう。偽の勅書を持ち来る不埒な使者は成敗した』と」
 たぶん、そんなまともなことは言わなかったに違いない。おそらくは、もっと過激なことを言ったのを、斗詩が穏当なところへ落ち着かせたのだろう。
「ああ、それは通るわね。というより、大将軍に根回ししてない勅書なんて、後からでもつぶされるわよ」
「そういうわけで、朝廷としては表立って文句を言えない、けれど面子はつぶされたとなったようで」
「蜀に裏から持ちかけて、伯珪さんを追放させる、か」
 さすがに老獪というか、搦手は上手いものだ。ついつい自然と溜息が出てしまう。
「はい。袁紹殿達は下手に処分すると、真っ向から敵対することになりますので、やはり避けたのではないでしょうか」
「いまの麗羽たちなら、たいした影響力はないと思うけど」
「朝廷という古くさい世界にはまだ袁家の顔がきくのと……後ろにあんたがいるからよ」
 詠の指摘に驚く。もちろん、朝廷とてそのあたりは勘案しているだろうが、華琳の昔なじみという要因のほうが大きくはないだろうか。
「俺? そりゃあ、麗羽や猪々子、斗詩に手を出すようなことがあれば黙ってはいないけど、俺程度じゃ……」
「……これだから……」
「たいちょやしな……」
 なんだかおなじみの反応になっているが、首をひねるしかない。やはり、どうも、こういう格式張った伝統の部分にはまだまだついていけないところがある。
「それに朝廷はもう俺と敵対しているだろ?」
「……それを躊躇いなく言えるのは一刀様くらいだと思います……」
 困ったような顔をした明命にまで言われてしまう。雪蓮は笑みをおさめ、目を細めて俺を見ている。
「あんた、もし、もしよ? 袁紹が朝廷の手で殺されたとしたらどうする?」
 しばらくの沈黙の後で、不意に詠が尋ねてきた。
「手勢で封鎖した上で、内宮ごと焼く」
 長い長い沈黙。
 ぽかーんと口をあけたままの真桜。なんだか少し嬉しげな明命。眼鏡をいじって視線をあわせようとしない詠。そして、息を止め、顔を朱に染めている雪蓮。
 それぞれの顔を見回して、話の続きを促そうとする。
 雪蓮は驚いているのだろうけれど、息を吸った方がいいと思う。
「あんた……その言葉だけで朝敵よ」
「詠が聞いておいてひどいな」
 自分としてはするっと出てきた答えを言ったつもりだったのだが。仮定の話なので、特に怒りも感じない。もしそのような事態になれば憤怒で我を忘れてしまうかもしれないが、報いは必ず受けてもらう。
「……ぜ、絶句しちゃったわ」
 荒い息をついて、ごまかすように笑う雪蓮。やっぱり苦しかったのか。
「でも、一刀様はこういう方です」
「誰がそうなってもそうするよ」
 ただし、華琳が害された場合は別だ。その場合は魏そのもの――なによりも春蘭たちが動くだろう。
 すでに華琳と朝廷は対立しつつあるわけだが、その一方で、華琳と魏という後ろ楯がなければ漢王朝そのものが成り立たないという状況でもあり、実際に取り除くとなると難しいのだけれど。
「朝廷があんたを敵視するのも、逆に恐れるのも、そこ。あんたは朝廷の権威――ひいては帝の権威をまるで認めていない。それは官位をもらおうとしないことでもよくわかる。あんたのこと不気味に思ってるのよ。やつらの理解の外にあるんだもの」
 そう言われてみると、なんとなく理解できる。さすが、賈文和だな。
「だから、朝廷はこれ以上あんたを刺激したくない。するならば、白蓮にしたように味方を引き入れてからにしたいのよ。いまの状況でさらに挑発するようなことは避けたいわけ」
 詠の説明は理解しやすいが、それでもひっかかるところがある。だから、問わずにはいられない。
「でも……伯珪さんを追放させるんだろ?」
 不思議そうに彼女の顔を覗き込んで尋ねると、詠が、しょうがないわねという風に笑みを浮かべていた。
「そうね。でも、あんた、白蓮に義理はないでしょ。少なくとも朝廷が認識する義理はないんじゃない?」
 ないだろうか?
 本当に?
「でも……俺は彼女を知っている」
「……ま、そやろなー」
 真桜がうんうんと頷く。
「でも、どうするの? 直になにかできるわけじゃないわよ。蜀だって苦渋の決断だったでしょうし、朱里や雛里がやりたくてやってるわけじゃないことくらい、あんたにもわかってるでしょ」
 詠の言うことも当然だ。蜀はどちらかといえば朝廷から圧力を受けて迷惑を被っているほうだし、ここで朝廷を締めつければ、蜀へのさらなるとばっちりも予想される。
「明命、いくつか書簡を持っていってもらえる?」
「はい、もちろんです」
「どないするん?」
 すでに華琳が動いている可能性も高いが、こちらで出来るだけの対応はしておいたほうがいいだろう。
「まずは麗羽たちに伯珪さんを守るよう伝える。華琳には、伯珪さんが望むなら保護するよう頼む。俺の責任でできることはなんでもする、と」
 真桜に答えた後で、少し考えて付け加える。
「あとは桔梗に、伯珪さんはこちらで受け入れるかもしれないということを伝えておくくらいだな。もちろん、伯珪さん次第だけど。……雪蓮?」
 さっきからうつむいて黙り込んでいる雪蓮に話しかける。
「呉の方はいいのかな?」
 白馬義従の戦闘能力は侮れない。伯珪さんも、果断さはなくとも堅実な実務能力の持ち主だから、呉が欲しいと思ってもおかしくない。
 なにより、桔梗が呉に内々に伝えたということは、蜀としてもなんとかしてほしいという希望があったに違いない。
「え? あ、うん。うちは、別にね」
 何か考えに集中しているようだ。あまり構わないほうがいいだろう。
「それにしても、俺を目の敵にしすぎだよ。詠の言う通りなんだろうけど」
「他にもあるけど、たいした理由じゃないわよ。あんたにとっては、ね」
「天の御遣いだからか? たしかに、それは不遜かもしれんが……」
 詠は何も言わない。意味ありげな視線からして、俺の言葉は間違っていないが、全てを言い当てているわけでもないようだ。
 おそらく、いま語る必要はないと思っているのだろう。詠のことだから、きっと、ふさわしい時に話してくれる。
「さて、おっききなこと、これで三つか? 次で最後やな?」

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江東の巻・第七回:孫伯符、北郷に懸念を抱くこと」への2件のフィードバック

  1. 一刀「俺の女に手を出す奴は滅殺でしょ?JK。」
    原作の季衣の拠点の時にもあったけど、一刀サンは身内(主に女性)に危害が及ぶと、
    めっちゃキレますよね(笑)顔に出てますよ一刀サン(笑)

    そして、明命がいじらしくて素敵ですね。末永くモフればいいよw

    •  原作からして一刀さんは大事に思った人はとことんというところがありますが、この物語の一刀さんの場合、一度忘れてしまって思い出した上に、戻れるかどうかもわからないという経験をしていますので、余計に色々あるのだと思います。
       まあ、雪蓮もひくくらいっていうのは、やっぱりこれまで培ってきた胆力とかかなとは思いますがw

       明命は、ほんとどこまでもまっすぐ慕ってくれるであろう素晴らしい女性ですよね。

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