江東の巻・第三回:賈文和、酔いに任せて心情を吐露すること

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「邪魔するわよ」
 かかった声に、書類から顔をあげる。振り返ってみれば、戸口に立つ人影が一つ。
「ん、ああ、詠か」
 彼女を招くために立ち上がる。机についている間にすっかり暗くなってしまっていたので、壁にかかった灯火に順に火を入れていった。
「山越のこと。少しわかったから、まとめてきたわ」
 手振りで示した卓に竹簡をどさりと置く詠。
 山越のことを調べるように、というのは稟からの命でもある。元々大使に選定されていた彼女は、呉に派遣されたら、異民族である山越の調査を行うことになっていた。
 俺たちがそれを引き継ぐことになったのだが、メイドの傍ら、詠の最初の仕事として行ってもらっていたのだ。
 こんなに早く片づくとは予想外だったが、甘寧たちとの視察旅行まで十日ほどしかないこの時点で第一報がまとめられるのはありがたい。すでに稟も知っている事が多いと思うが、俺たちがしっかりと把握するためにはしかたない。
「報告書は後で読むけど、詠の口からも聞きたいな。お茶でも淹れるよ。あ、でも、お酒がいいかい?」
「……穏からもらったの、まだある?」
「ああ、あるよ。あれ美味しいからな」
 実は、また詠といっしょに飲めるのではないか、となんとなく験担ぎでしまってあったのだ。
 そんなことを彼女に言ったら笑われるだろうけれど。
「じゃあ、それで」
 瓶を取り出し、つまみを用意する。この間干し棗が気に入っていたようだから、今日もたっぷり入れておこう。他にもいくつか用意して、卓に置いた。
「まず、山越に関しては異民族として捉えるのはやめたほうがいいわね」
 俺が注いだ杯をお互いに一度乾してから、話をはじめる。
「異民族じゃないの?」
「異民族ではあるけど……。他の異民族のように同じ文化や習俗を持っているとは思わない方がいいわ。そうなれば、当然考え方が違って、対処が変わるでしょ」
「はあ……。ばらばらなんだ?」
 質問を繰り返すのに少し苛ついたのか、詠がぎゅっと顔をしかめる。
「ああ、もう。ちょっと待ってよ。順に説明するから」
 ごめんと軽く頭を下げる。たしかに話の腰をおられるのはいやなものだよな。しばらくは黙っていることにしよう。
「まずね、越というのは、北方における五胡みたいに南方の異民族の総称で、元々は百越って呼ばれていたのよ。もちろん、百ってのは多い、いろんなって意味よ」
 つまり、いろんな部族・民族の集団なんだな。となると、鮮卑や烏桓、羌と言った民族集団といっしょくたにしてはいけないってわけだ。
「一時期は越って国もつくっていたくらいだけど……。いずれにせよ文化基盤が共通化してるというのは望むべくもないわ。部族ごと、へたしたら、村落ごとに異文化でしょうね」
 それは厄介だな。つながっているなら頭を押さえれば済むが、一つ一つつぶしていくしかないとなると懐柔にしろ高圧的に出るにしろ、攻略はかなりの手数がかかることになる。
「しかも、現状の山越は、中央で権力闘争に破れたのやら、ただの山賊やら、戦禍から逃げてきた農民やらといった漢人が相当数入り込んでいるわ。たいていは漢人のほうが武器やら戦の駆け引きに優れているから、支配者的立場に立ってる。そうね……漢人に率いられた越、混血の集団、漢人の賊。これら三種の混在が主な現状と言えるんじゃないかしら」
 詠の説明を呑み込もうとじっくり考える。
 山越というのはたくさんの集団で、一個のものじゃない、しかも、その構成はばらばらで、おそらくは衣服や装備のレベルで食い違っているに違いない。
「山越って名前の通り、ほとんどは山間部に住んでいるわね。平野部に進出していたのは、すでに孫呉が吸収するか討つかしているというべきかしら。場所によっては、たまに平野に出てきて街の民と取引することもあるようだけど。そうでない場合は略奪や、自分たちでものをまかなっている。ざっと説明するとこんなものね。質問は?」
 そこまで言って、彼女は酒で口を湿らせた。俺は、詠が触れなかった部分について質問を浴びせてみる。
「人数についてはわかる?」
「全体の数に関しては無理。呉の官ですら把握してないわ。そうね、一集団はだいたい五百から五千ってところらしいわ」
 十倍の差か。これまた規模すら揺れがあるな。腕を組んで一つ唸る。
「じゃあ、連携についてはどう?」
「攻めたてれば、やはり近くの集団が助力にくるみたいね。山間部を使っての情報伝達は思ったよりも早いわ。さすがは山の民というところ。それでも、十万なんて数にはなりえない」
 数だけで言ったら、呉は充分な兵士を揃えて対抗することはできるだろう。しかし、平原でぶつかりあうわけではない。見通しの悪い山間部で、地の利も無く戦えば、十倍の数を揃えても苦戦を強いられる。
「うーん。具体的に、呉と山越との利害が対立する要因ってなんなんだ?」
「あら、目のつけどころがいいわね」
 棗をかじっていた詠が、にやりと笑う。
「だいたい、呉の連中は山越そのものを敵視していて、その点を忘れてるのよね。まず、さっきも言った通り、賊そのものの連中もいるの。こいつらは、隊商に略奪をしかけたりするわけだから、当然討つべきね。次に、普通に山で暮らしているだけの越に関しては、漢人の進出そのものを脅威に思っているふしがあるわ。こういうのとはきちんと協定を結ぶべきでしょうね。税収が得られれば最善だけど、そこまでいかなくても交易を促進することで益にはなるわ。あとは、やむにやまれない時だけ略奪に走るような、どっちつかずの連中もいるから、硬軟取り混ぜて対処するのが正解よね。ただ、やっぱり時間がかかるわね」
 さすがは軍師。問題点だけではなく、その解決の方針まで提示してくれるとは。素直に彼女の能力に感心し、感嘆の息をつく。
「でも……呉の山越討伐は、人狩りという要素も大きいのよ」
「人狩り?」
「そ、労働力確保。どこの勢力でもやってることだけど、呉の場合は顕著ね。いえ、南蛮をまるごと抱えた蜀のほうがひどいかしら」
 異民族を討伐し、無理矢理移住させるなんてことは、この時代の労働力確保の手段としてはオーソドックスで非常にお手軽なものだったらしい。
 以前討伐して、兵として取り込んだ内烏桓などその代表的なものだ。下手をすると、占領地域の漢人も人狩りの対象になる。
 しかし、この手法は問題が多い。元来異なる風土に住む人々をそのまま連れてきても充分な生産力は期待できない。
 そのために重税をかけ、それが反発を呼ぶ。
 また、異なるものは周囲との衝突を招く。住み着いていた土着勢力と移住民が軋轢を生じるのも当然と言えるだろう。
 しかし、それらの不利益を考慮してもなお、戦乱をはじめとした様々な要因で目減りした労働力を確保する必要があったのだ。
「働き手を得るためや自衛のために山越を討伐し、それに反発した他の山越が蜂起。……あとは憎しみが憎しみを呼ぶ、か」
 酒杯を揺らしつつ、苦々しく思う。
「最近は呉も落ち着いて、人狩りをするなんて必要がなくなったから、だいぶましみたいだけどね。とはいえ、長年絡み合ったものを解きほぐすのはなかなかに大変そうよ」
「直に関わるわけにはいかないけど、問題は根深そうだな。ありがとう、詠。とても参考になった」
 礼を言うと、少し詠の顔が赤らんだ気がした。あるいは、酔いのせいだったのかもしれない。
「ま、詳しいことは報告書を見て。……で、これ、踏み込むの?」
 あまり詳しいことを突き詰めようと思えば、呉の国内問題に首を突っ込むことになる。興味本位で探れば、雪蓮とていい顔はしないだろう。
「できれば。ただ、詠が危ういと思ったら……」
「それくらいはわかってるわよ」
 ぱたぱたと手を振る詠。そして、じっと睨み付けるようにこちらを見上げてくる。
「わかったわ。探れるだけは探ってみる。ただ、こそこそするつもりはないわよ」
「ああ。詠の思うようにやってくれ」
「ふん。ずいぶん信頼してくれちゃって」
 忌ま忌ましげに鼻を鳴らしても、その言葉の調子で照れているだけだというのがなんとなくだがわかる。彼女はそれを隠すようにぐいと酒杯を乾した。
「もちろん、信頼してるさ。俺を頼ってくれたんだ。それくらい当然だろ」
 その言葉を聞いて、詠はじっと何事か考えるように空になった酒杯を見つめていた。
 そこにゆっくりと瓶から注ぐと、すっと酒を喉に落とす詠。
 再び注いだ一杯もすぐさま飲み終えて、彼女は俺の眼をまっすぐ見つめて、囁くように言った。
「ボク、あんたのこと嫌いだったのよ」
 後ろから思い切り殴られたようなショックを感じる。ぐわんぐわんと頭が揺り動かされるような衝撃。
 目の前が暗くなり、視野が急激に狭まる。見えるのは、詠の真剣な顔だけ。
 その時、俺は重大な事に気づいた。
 ああ、俺はこの気の強い、けれど、本当はとても優しい女の子が大好きだったのだ、と。
 かたかたと酒杯を揺らしながら、なんとか気持ちを落ち着けようとする。喉からしぼり出した声は、わすかに掠れていた。
「そ、そうか。これからは……気をつける。気安く呼んだりとかしないように……、その……」
 俺の様子を見て、ぷっと吹き出す詠。あれ、からかわれてた?
「ばぁか。ちゃんと聞きなさいよ。嫌いだった、って言ってるの。いまも嫌ってるとは言ってないわ。それに、嫌っていたのはあんたに会う前からよ」
「会う前?」
 彼女の言葉にほっとする。でも、嫌われてたのは変わらないのだな。
「ああ、会う前ってのはおかしいか。長安に住み着いた頃からよ」
 というと、ちょうど俺がこちらにいない頃のことだ。それこそ、深くも関わっていないし、いったいどういうわけで……。
「嫌悪……いえ、憎んでいたのね」
 ぐっと杯を握る彼女の手に力が入るのが見える。彼女の言葉通り、俺は憎悪の対象となっていたらしい。
 敵視されたり、忌避されたりというのは経験があるが、これほど強い憎悪の炎を向けられたことはない。思わず体が緊張するのがわかった。
「あ、ごめん。さっきも言った通り、いまは違うわよ。ううん、違うか……。いえ、でも……少なくともこいつ個人には……」
 なんだかうつむいて自分の感情と思考の渦の中に入り込んでしまった詠をしばらく置いておいて、俺も落ち着こうと松の実をぱくつき、酒を流し込む。
「でも……なんで?」
「ん、簡単よ。あんたがいまのこの大陸の秩序をつくったから」
「は?」
 顔をあげ、事も無げに答える詠に、あっけにとられる。
「あんたは自分で思っている以上に華琳に愛されてるのよ。あんたを手放さないために、この大陸の覇権を諦めるくらいに。ううん、あんただって、本当は気づいてたんじゃないの。いまのこの三国体制をつくったのが、あんたがこの世界から消えないための、覇王の最大限の譲歩だったって」
 三国の歴史の流れ、定軍山での秋蘭救援、赤壁の勝利。
 薄々、自分が世界から排斥されかけていることに気づいていた。それでも、やはり華琳たちに勝ってほしかった。
 しかし、華琳のほうは、どう思っていたのか。あの意地っ張りで泣き虫な女の子は、俺と世界を……。
 そんな事が頭の中を駆けめぐり、だから、答えるのが一拍遅れた。
「そんな……ことは……」
 沈黙。
 わかっているはずのことを、どちらもあえて口にしない。こちらの顔色を見たのか、詠の瞳に気づかわしげな色が流れる。
「逆恨みみたいなものよ。秩序の中からはじきだされた者の、ね」
 皮肉な笑みが、彼女の顔を彩る。いや、あれは自嘲なのだろうか。
「要は、あんたはボクにとって、乱世の理不尽さの象徴になっていたのね。なぜ、ボクたちは勝てなかったのか。なぜ、あんたは現れ、消えなければならなかったのか。なぜ、華琳の下だったのか、なぜ、この大陸を制するのは月じゃなかったのか。なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ……。問うてもしかたない答えを求め続けて、ボクは憎しみに堕ちるしかなかった」
 闇い、闇い瞳を彼女は惑うように動かす。それは、どこを見ているのか。いや、いつ、を。
「ま、実物を見てみたら、ぜーんぶすっとんじゃったけど」
 不意にそれまでとはまるで違う、意地悪そうな笑みを浮かべて、彼女は言う。棗を美味しそうに平らげて、酒を流し込むのではなく、しっかりと味わうように飲み始める詠。
「一番辛かったのはあんたと華琳だったでしょうにね」
「詠……」
 卓の上に落ちた棗の小片をころころと転がしつつ言う詠は、さっきまでと違い、俺と目線をあわせようとしない。
「あー、酔ってるわね。こんなこと言うつもりじゃなかったんだけど」
 酔っている、というのも嘘ではないだろう。この間は二、三杯でやめていた彼女が、覚悟を決めるためか、口を回らせるためか、ぱかぱかと杯をあけていたのだから。
「あんたが悪いのよ。簡単に信頼してるなんて言うから」
 ぶー、と口をとがらせて言うのがかわいらしい。しかし、ふざけた雰囲気に流しているが、それで喜んでくれているなら、俺としてもうれしい限りだ。
「簡単、ではないよ。でも、俺は詠のような頭脳も、真桜のような天才的なひらめきも、華雄のような強さもないからね。周りのすごい人達に助けてもらうしかないんだ。その人たちに返せるものがあれば、俺はできる限りのことをしたい。その中でも、信じることは難しいけれど大事なことだと思うんだ。うん、そう、俺は詠を信頼しているよ」
 しっかりと言い切る。彼女の顔が見る間に朱に染まり、そっぽを向く。
「まあ……悪い気はしないわね」
 その後に続いた呟きは、小さいけれど、けして聞き逃すことはできなかった。
「ボク、あんたのこと好きみたいだし」
 けく、と変な音が喉の奥から飛び出る。赤いのから一転、真っ青になった顔がすごい勢いでこちらを向く。
「あ、違う。いまのなし、なし!」
 がたんと立ち上がり、ぶんぶんと手を振る詠の勢いに、少し哀しくなる。
「……なしなの?」
「いや、そりゃ、嫌いではなくなったわけだけど、それがすなわち好きという愛情に変化するかというと、そのあたりは……」
「俺は好きだけど」
 猛烈な勢いで言い訳らしき言葉を連ねていた詠が、唐突に止まる。
「はぁ?」
 何か信じられないものを見たかのような表情で俺を覗き込む詠。
「俺は詠のこと好きだよ」
 明確に意識したのはついさっきだが、気づかせてくれたのは他ならぬ彼女自身だしな。
「ど、どうせ、ほ、他の女にも同じこと言ってるんでしょ」
「そりゃあ、好きな相手にはね。でも、同じじゃないよ。詠を好きって気持ちはただ一つのものだろ」
「す、すきすき連呼しないでよ」
 青かった顔に朱が戻る。立ち上がると、一瞬びくりと肩が震えたが、それ以上動くことなく、近づいていく俺をじっと見つめている。
「だって、好きだからな」
「でも、あんたには、華琳がいて、真桜がいて、霞がいて……」
 俺の大事な人達の名前を言い募る彼女の顔はなんだか混乱しているようで、軍師然とした怜悧さはどこへやら、眼が泳いで言葉といっしょに動いている手の勢いもいつもより大人しい。
「うん。そして、詠がいる」
「うわ、悪びれもしない」
 片手で彼女の肩に触れると、反射的に身構えるのがわかったが、段々とその緊張が取れていく。
「だって、みんな好きだからな」
 ぐっと引き寄せると、抵抗することなく、俺の胸の中に倒れ込む小さな体。
「……あんたって、ほんと狡い男」
 首筋まで真っ赤に染めた詠が、腕の中で、そう呟いた。

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江東の巻・第三回:賈文和、酔いに任せて心情を吐露すること」への2件のフィードバック

  1. ヤッタね!詠ちゃん、どMが開花したね!(笑)
    詠ちゃんが先にお手付きになる展開は、当時けっこう新鮮でした。
    フラれた(?)と勘違いしてカタカタする一刀も面白かったです。

    •  まあ、一刀さんはふられなれてないと思うので……w
       このお話の場合、詠ちゃんが過保護すぎて、月と一刀があんまり接触していないってのも、詠のほうが先んじる要素でしたね。
       でも、ツンデレこじらせればこじらせるほど、閨ではMになっちゃうと思うんですよ!w

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