江東の巻・第一回:北郷、建業に至り、孫仲謀これを歓迎せざること

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 呉の重臣たちとの謁見の日。
 城に赴いた俺たちに、少々問題が生じていた。
「官位か」
 謁見の間に無官の者を入れるわけにはいかない、というのがその案内の使者の主張だった。俺が漢の官を持っていないのは事実だから、そう言われるとしかたない。
「じゃあ、代理で華雄か恋かな」
「ちょ。たいちょ、軽っ」
「しかたないだろう。官位なんてすぐに手に入るものじゃなし。いずれ挨拶周りはできるだろうし。……まさか月は出せないだろ?」
 最後は小声で真桜に耳打ちする。官位で言えば月が最高位にいたことになるが、死んだことになっている以上通用しないだろう。
 そうなると、華雄か恋になる。恋は左将軍の位を保持したままだし、華雄は改めて右将軍の位を得ている。どちらも十分すぎる位階だろう。いっそ大将軍の麗羽を連れてきていればよかったかな?
「いやー、たいちょ、これは本気ちゃうで。ただのいやがらせやと思うわ。ほら、うちらが慌てへんから、使者が困っとるやん」
 ぼそぼそとお互いにしか聞こえないように話す。狭い控えの間の中で、なぜか使者一人だけが汗をかきまくっていた。
 恋が不審そうにその使者を威圧し続けているからかもしれないが。
「うーん。でも、雪蓮がそんなことするとは思えないし、もし企んでいるとしても下っ端だろ。放っておけばいいさ」
「それもそか」
 真桜は切り替えが早い。
「じゃあ、華雄はん、頼めますかいな」
「わ、私か? そういう場はあまり得意では……」
「せやけど、恋はんはもっと苦手そうやで?」
 こくこくと頷く恋。たしかに、何進将軍の使いで来たときも、陳宮に任せてほとんどしゃべらなかったものな、彼女。
 だいぶなつかしい出来事だけど。
「う、ううむ。では、付き添いだけだぞ」
「だいじょぶやて、華雄はん。謁見の間に入る前に、たいちょ呼んでこいって大騒ぎになるはずや。華雄はんは黙ってるだけでいけるわ。あん人も意地悪いわな。相手のいやがらせを真っ向から受けてやり返す気やで」
「ふむ。まあ、あれが意地悪なのはよく知っているが」
「おーい、聞こえてるぞー」
 二人とも、聞こえるように言っているのだろう。相手は俺じゃない。顔を青ざめさせた使者の方だ。
「さ、行こうやないか。お使者はん」
「恋。護衛の任、任せたぞ」
「……ん、わかった」
 そうして、なんだか出て行きたがらない使者の背中を真桜と華雄が押し出す形となり、俺たち二人がその場に残された。
「恋。呉では不自由していない?」
「……ん。だいじょぶ。……でも、ねねとセキトたちいないの寂しい」
「そっかー。そうだよなあ。でも、半年だからさ、陳宮も面倒みてくれてるだろうし」
「……がまんする」
 そんなことを話していると、先程の使者が顔中に脂汗をたらしながらやってきた。
 いわく、規定の金を記録係に渡せば我が方で適当な官位をでっちあげるので、万事滞りなく進むであろう、その仲介をしてもよいだと。
 そこで、便宜を図ってくださるのはありがたいが、嘘をつくのはよろしくない、と丁重にお断りした。
「……なんだか、あいつの話、わかりにくい」
「そりゃあ、賄賂をくれと直接は言いにくいだろうね」
 とはいえ、賄賂ほしさだけのことなら、たいしたことはない。
 潔癖だけが道でもないし、下級役人にはこういう場で稼いでおかないと、子に残すだけの金がたまらないという現実もある。
 もちろん、本来は金銭の分配をもっときちんとすべきなのだが、なかなか慣習というやつが邪魔をしてうまくいかない。それは、魏も呉も同じことだろう。
 いや、魏はおそらく三国でも風通しがいいほうだろう。
 二度目に来たのは、さっきの使者よりも高位そうなこざっぱりとした服を着た官僚だった。
 いわく、漢の官位がないというのであれば、特例として魏の官位をその代わりとするとのことだった。しかし、俺は魏の官もないので、大使としての処遇以外は求めていない、と言うしかなかった。
「……ご主人様、官位ない?」
「華琳が俺を官位につけたがらないんだよな。その官位につきまとう権限に縛られて、どんな仕事でも投入するってのができなくなるから困るんだって」
「……でも、ご主人様、偉いひと」
「……それなりに権限はあると思うけどね。難しいよな、そのあたり」
 三人目はなんと俺でも名前を知っている張昭さんだった。気難しそうな風体の年配の方だったが、呉王の招きを断らんとするとは何事か、というようなお題目をならべた後で、笑いながら、愚かな若手が先走ったようだが申し訳ないと頭を下げていた。
 立場もあるので今回はそうもいかないが、いずれ私的に訪れさせていただく、というと俺の返事も聞かず帰って行った。
「……あの人、返事きかなかった」
「こういうときは三度断らないといけないんだよ。それがわかっていてああしてくれたわけさ」
「……勉強になる」
 三度断るのは皇帝か諸葛孔明くらいだけどな。あ、違う。三顧の礼だから、二回断っただけか。この世界では関係ないらしいけど。
 そして、四人目は、予想通り雪蓮だった。
「まーったく、うちの連中も阿呆よねえ。結局私まで出すことになってさ、つっぱねるならつっぱねるで、押し通せないんだから」
 きらびやかな呉の主は、豪華絢爛な衣装を窮屈そうに揺らしながら部屋に入ってきた。迫力ある美人が正装すると、さらに引き立つな。
「面倒をかけて申し訳ない」
「ああ、一刀はいいのよ。当然の態度でしょ。右往左往しても賄賂を渡しても笑い物にされるだけのところを正論で通しきったんだから、あなたの勝ちよ。ほんと、ばかよね、蓮華も」
 意外な名前に驚いて、立ち上がろうとしていた腰が止まる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。それって……」
「ああ、うちの妹よ。もちろん本人も周りも否定するでしょうから、一刀の思うように処分させてあげるのは無理だけど。あれでも次期国王だし」
「す、すまん。俺はてっきりもっと下っ端のやったことだろうと思って……」
 慌てて謝罪すると、雪蓮は同意の証に何度か頷いて、額に指を当てて考え込む。
「そう思うわよねー。私もいまいちなんであの子がそこまで敵意を持っているのかわかんないの。魏に対して隔意があるというのなら、こんな方法取るわけもないのよ。祭のことかなー」
「うーん、それは……」
「言われても困るわよねー。ま、私は、あの時一刀に言われたことで納得したけど、蓮華は聞いてないしさ」
 あの時、か。おそらくは、雪蓮に真名を許された時のことだろう。
「あの時、俺、なにか言ったっけ?」
「祭に甘えるな、って」
「ああ……」
 俺はその言葉で、三国会談の終わり頃のことを思い出していた。

「これ、祭に」
 孫策さんに、城内のあまり人のこない庭――桂花の罠場が近い――に呼び出され、渡されたのは一個の壷だった。美羽を保護するのに続いて祭を麾下に加えた影響か、孫呉の人達は俺に対してどうも冷たかったので、一体なにを言いつけられるのかと思ったが……。待っていたのは、祭への餞別だったようだ。
「お酒?」
 それもなかなかよさそうな酒だ。壷にほどこされた封印がずいぶん古いわりに丁寧に扱われていたのか、綻びがない。
「そ。よそ者が探すのは骨が折れたわ」
 今回の三国会談にあわせて、大量の酒を洛陽の店から仕入れている。もちろん、裏に回ればいくらも掘り出し物はあるのだが、地元の人間でもない孫策さんが探すのは一苦労だったろう。
「わかったよ。ありがとう。祭も喜ぶだろう。でも、直接渡すほうが……」
「完全に主気取りね」
 俺の言葉を遮るようにぴしゃりと言われる。たしかに彼女から祭を取り上げた格好になるのだから、怒る気持ちもわかるがいい気はしない。
「そんなに拗ねなくても」
「拗ねてる……ね。まったく、やってらんないわ。自分の立場をまるで理解してないこんな男の下に祭がいるなんて」
「いいや、拗ねてるね。孫策さん、あなたは呉の王。その責任をしっかり理解しているはずだ。部下が主を変えることの覚悟と苦悩も理解している。そうでなくては、幾人もの部下を抱えることはできはしない。そのはずなのに、まるで子供のように寂しがって文句を言っている。これが拗ねている以外のなんだって言うんだ? 祭に甘えるのもいい加減にしなよ」
 きゅっと孫策さんの眼が細まる。そのらんらんと輝く目の光に俺は気圧されそうになる。だが、その圧力に俺が耐えきれるってことは……。
「この孫伯符を子供扱い……。死にたいの?」
「いい加減にしなってば。俺を試しても無駄だよ。俺は弱いし、頭もそれほど切れるわけじゃない。そんな相手に凄んでなんになる? だいたい、本気でもないくせに」
 そう言った途端、構えていた孫策さんの体から力が抜け、柄にかかっていた手も離れる。う、剣に手をかけていたのは気づけていなかった。
「あーあ、もう。バレバレか」
「本気の孫策さん相手に踏みとどまっていられるわけないからな」
 肩をすくめて見せると、相手は顔をほころばせた。まるで光り輝くような笑み。
「雪蓮、よ。以後そう呼びなさい」
 そうして、俺は彼女に真名を許してもらえたのだった。

「たしかに言ったなあ」
 しかし、いま考えるとかなり無謀な話ではある。一つ間違えば、本気で怒らせていたのだろうから。
「あれって、結構効いたわよ? 蓮華が甘えてるかどうかは別として、だけど。あの娘はあの娘なりに色々考えてるはずなんだけど。どうも、まだまだ固すぎるわ」
 やれやれ、という風に手をひらひらさせる雪蓮。
「でも、そういう真っ直ぐなところもあっていいんじゃないかな」
「とはいえ、国と国となるとね。ま、いいわ、ともかく、一刀は私の直々の招きに応じる、ってことでいいかしらね」
「そうだな。そろそろ行こうか」
 そういうことになった。

 途中で雪蓮と別れ、謁見の間の扉の前に立っていた仲間たちと合流する。
「たいちょ、まちくたびれたわー」
「すまんな、真桜の晴れの舞台を邪魔して」
「それはええけどな。扉の向こうがまたたいそな空気やで」
 にやにやと言う真桜。たしかに雰囲気だけで見れば、あまりよろしくないだろう。しかし、一年半前までここが敵地だったことを考えれば、それがどれほどのことであろうか。
「気後れする必要はないさ。堂々と行こう。俺たちは華琳の期待を背負っているんだから」
「せやな。ほな、いこか」
 呼び出しの声と共に、俺たちは入場する。儀仗兵は俺の肩書をどう言おうか迷っていたようだったが、結局は、魏の副使という当たり前の肩書きで呼ばれることとなった。
 呉の重臣たちが居並ぶ中、俺たちは堂々と進んでいく。胡乱なものを見るような視線もあれば、歓迎の視線もある。あるいは、明確な敵意の籠もった視線もあった。
「魏の正使、李典。副使北郷一刀、着任のご挨拶を……」
 そんな風にはじまった挨拶はよどみなく進んでいく。
 真桜はなかなかよくやっている。これまで国事で表に立って来なかったとはいえ、さすがは曹魏の武将ということだろうか。
 出でては将、入りては相とはよく言ったものだ。彼女の場合、才能はそれだけにとどまらないけれど。
 雪蓮の見事な答礼も終わり、居並ぶ呉の重鎮たちの前を雪蓮と共に歩きながら、一人一人挨拶していく。側近レベルとはすでに顔なじみなのだが、こういう儀礼ではまるで見知らぬ人のように挨拶をかわさねばならない。それがおかしいようなくすぐったいような気分だ。
 そして、列の端、孫家の姉妹のところまで来た時、それが起きた。
「私は、こやつらを歓迎したりいたしません」
 傲然と言い放つのは、燃え盛る強い意思がそのまま形となったかのような、褐色の美少女。雪蓮の妹の一人、孫仲謀。
 雪蓮の切り裂くような鋭さはなく、雰囲気的にも多少は丸くも見えるのだが、その実、内に秘める炎はさらに熱いようにも思える。
 以前見た時は生真面目さが顔によくあらわれていたのだが、いまや、その顔は怒りと侮蔑に満ちている。
「仲謀」
 困ったように笑う雪蓮。いくらなんでも公の場で揉め事を起こしたくはないのだろう。
「なぜ雪蓮姉様はこやつらを取り押さえないのですか? 数々の工夫を作り上げた将と曹操の愛人。虜となっている冥琳と明命、それに祭を取り戻すには、充分な交換要員でしょう」
 至ってまじめな調子でそう言い募る孫権さんに、俺はあっけにとられてしまった。大使として派遣されている冥琳たちを捕虜扱いとは、なんとまあ。
「そもそも、姉様はなぜ魏に赴かれたのですか。こやつらの露払いにと無理矢理呼び出されたのではないかという憶測すら飛び交っております。この現状をどうお思いか」
「権っ!」
 鋭い声が飛ぶ。先程までの困ったような表情は消え、獰猛な怒気がその体に満ちていた。
「っ!!」
 あまりの迫力に、孫権さんが無意識に片目を瞑る。さらに叱責を重ねようとした雪蓮が息を吸ったタイミングで、するりと彼女たちの間に入ってきたのは真桜。
「蓮……いや、孫権はん。あんたが大使制度を認めへんっちゅうならしゃない。それは今後この制度をはじめたうちらが納得させることやろ。せやけど、うちらに礼をとらんちゅうのは理にかなわんことやないやろか。
 うちはたしかに魏の側近の中では末席に位置する武将や。せやけど、魏の、他国の将や。それに、呂布はんや華雄はんは、左将軍、右将軍ちゅう官を持つ朝臣や。副使である北郷は、我が主曹孟徳の盟友や。それでも、礼をとらん言うのは、どういう道理があるか聞かせてくれへんやろか?」
 あくまでも柔らかに、真桜は訊ねる。気勢を殺がれたのか、雪蓮はつまらなさそうなしかめっ面でその様子を見守っている。
「朝臣たる華将軍や呂将軍にならともかく、曹操の愛人ごときになぜ礼をとらねばならん。そもそもこやつをこの場に呼ぶ必要すらなかったのだ」
「っ……」
 微笑んだままの真桜の顔から血の気が引く。
 それにしても、孫権さんは何故そこまで俺を敵視するのだろう。以前の桔梗のように俺を試したいわけでもあるまい。といって、貶めてなにか得することがあるとも思えない。
 それでもやはり、何事かは言っておかないといけないだろう。
「俺を不要と言うならそれはそれで結構。しかし、俺以外の人間に対してまでもそんな不遜な態度をとるのが、江東の孫呉の礼儀なの? 江東の小覇王と称された孫策の妹が、そのような狭量で……」
「姉様は関係ないっ!」
 その言葉にさすがに雪蓮が反応した。
「蓮華。関係ないとは何事かしら。孫家の一員でないと言うなら、疾くここを去りなさい!」
「お姉ちゃん、ちょっとやりすぎだよぅ」
 孫権さんの裾を引く少女。たしか、孫家の末娘、孫尚香ちゃんだな。
「姉様まで……。このようなやつにたぶらかされて……!」
 憎々しげに俺を見つめて言う言葉に、なんとなく事の裏にあるものが理解できてきた。彼女は、おそらく、冥琳、祭、雪蓮と呉を担う柱石の三人を俺に掠め取られたかのように感じているらしい。
 つまり、俺は呉を内部から崩そうとする怨敵というわけか。剣呑な空気を感じたのか、恋と華雄がさりげなく側に体を寄せる。
「話にならないわね。思春。蓮華を連れて退席なさい」
 主の声に応えて、孫権さんの後ろに控えていた甘寧さん――江賊として勇名を馳せた武人が孫権さんの横に立つ。話によると、明命とこの甘寧さんが孫権さんの親衛隊長だというが、明命を鞘におさまった日本刀に例えるとすると、この甘寧さんはむき身の大刀だ。あまりに鋭く、あまりに恐ろしいが故にそれを隠すこともなく、ただそこにいる、そんな類の存在だ。
 まるで感情というものを感じさせない表情の甘寧さんは、さらに首に巻いた布に顔の下半分を隠しており、余計にその凄味を増していた。
「思春……」
「蓮華様。あやつはここにいるべきではないのですね?」
 眉根を寄せた孫権さんに対して、甘寧さんの表情は凍りついたように変わることがない。ただ、歩を進めるごとにその体からにじみ出る殺気が膨れ上がっていく。
「興覇、なにを考えているの!?」
「おやめください!」
 孫権さんの横をすり抜けて、俺たちの方へ向かう甘寧さんに、雪蓮と片眼鏡の女の子――たしか呂蒙さんが制止の声を上げるが、その時にはもはや遅かった。
 すでに――俺にはその瞬間を見て取ることはできなかった――甘寧の手によって、刀は抜かれていた。どこからか、ちりちりと清冽な鈴の音が聞こえてくる。
「抜いたな」
 地を這うような、華雄の声。
「……抜いた」
 ぼそりと呟く、恋の声。
 二つの天下に名高き武人の声が、甘寧の進む足を止めた。その間に、二人は己の得物を抜いている。もちろん、金剛爆斧や方天画戟が持ち込みを許されるわけもなく、彼女たちが構えているのは、硬木でつくられた短めの棍。
 六、七十センチほどの、現代日本なら警棒という分類がされただろうそれは、しかし、儀礼用を兼ねるために精緻な琥珀細工が表面にほどこされ、ところどころに銀の環が通されて華麗に彩られている。
 そんなものでも、この二人が構えれば……。
 ぶわっと全身から汗が吹き出る。それをさせたのは、甘寧に向けられた殺気ではない。そんなものを遥かに上回る、俺を護る二人の気迫だ。自分に向けられていないはずなのに、空気が固体になったかのような感覚を与えるそれに、俺は恐怖以上のなにかを感じていた。
「あ、あかん。たいちょ」
 渦巻く殺気の中で、動けるものは少ない。居並ぶ文武の官はもとより、呉の名のある武将たちですら、しびれたように動けないでいる。
 その中で、華雄、呂布という豪傑たちだけが、俺を中心に、少しでも有利な位置取りをしようとじりじりと動いている。
「恋」
「……無理」
 言いたいことを一言で理解したのだろう。視線を甘寧から動かすこともなく、彼女は応じる。たしかに刀を向けてこられている状況で引けと言うのは無理があるか。
 しかし、この三人が闘えば……。
「思春、今すぐ武器から手を離しなさい。それ以外、あなたが生きる術はないわよ」
 まるで感情が機能停止をしてしまったかのような平板な声で、雪蓮が忠告する。その眼はもはや死人を見る色をしていた。
「蓮華さまぁ」
 陸遜さんが涙混じりの声で懇願する。それにはっと顔を上げる孫権さん。
「し、思春、刀を引け!」
 主の声に、甘寧は自動的に反応した。彼女の手が刀を下ろそうと動く。
「だめです、しまっては! 捨てなければ!」
 呂蒙さんの魂切るような叫びが走った時にはもう遅かった。
 甘寧の動きとほんの少しだけ緩んだ気配に、反射的に動いた英傑二人の棍が、すべるように彼女の体へと向かう。華雄は右から、恋は左から。いかな達人であろうと避けられるものではない、必殺の間合いであった。
「華雄!」
 俺の叫び。横から甘寧を蹴り飛ばす孫権。甘寧の体を抱き留め、いっしょに床に丸まる陸遜。甘寧がいた場所に棒立ちになる孫権。左腕で自分の右腕を撃ち抜き軌道を変える華雄。
 これだけのことが、一瞬の内に起きた。
 ――ように思う。俺の意識が追えたのはそれくらいだ。
 かーーーーんっ。
 硬いもの同士がぶつかりあう音が、広間に満ちる。
 己の死を覚悟していたらしい孫権が眼を開く。呆然とした俺たちが見つめる先を彼女も同じように見上げた。そこには、恋の打ち込みを自分で弾いた右手の棍で受け止めた華雄の姿があった。
「……まったく、無理をさせる」
「すまん」
「……だいじょぶ?」
 棍を引き戻す恋と、苦々しげに腕を振る華雄に向けて、頭を下げる。二人は再び俺を護る位置に戻った。
「えーと、雪蓮」
 自失したままの呉の女王に声をかける。すると、はっと気づいたように俺を見つめ、その後はきはきとしゃべり始めた。
「あ。ああ、そうそう、酒宴の用意がしてあるわ。みんな、そっちに行きましょ、ね。うん、飲んで飲んで」
「ああ、そうだな。ご馳走になろうか、真桜」
「せ、せやな。いや、呉の酒はうまいて祭はんから聞いてますんやー」
 俺たちは何事かから目をそらそうとするかのように、あえて明るい表情でそう語り合い、雪蓮の導くままに酒宴へと赴くのだった。
 残念なことに、酒宴には孫権さんと甘寧さんは顔を出さなかった。出来得れば平和裡に誤解を解いておきたかったのだけれど……。
 これから頑張っていくしかないだろうな。

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江東の巻・第一回:北郷、建業に至り、孫仲謀これを歓迎せざること」への2件のフィードバック

  1. 雪蓮「NDK?NDK?嫌がらせしようとして空振ったしまってw」
    蓮華「(--〆)#<ビキビキ」
    って感じですね(笑)
    マッハデレに定評のあるチョロイン蓮華サマもこちらでは遅咲きでしたからね~。
    第一印象って大事w

    •  蓮華さんは基本的に謀略には向いてないでしょうねw
       裏目に出やすい性格だと思います。
       まあ、呉をじわじわ蝕んでいるっていうのはあながち間違ってもいない印象だとは思いますがw

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