北郷朝五十皇家列伝・許家の項[許緒]

 許家は許緒にはじまる皇家であり、東方殖民を行った東方八家に含まれる。
 五十皇家の中で、最も遠方まで進出したといえば、西方ではブリテンまで到達した黄家、東方ではこの許家が挙げられるだろう。
 小海1横断を果たした魏家に関しては、進出ではなく航海皇家として評価されており……(中略)……
 東方殖民における手順は明快である。
・第一段階は華家、許家、楽家の三家が、それぞれ、東、南、東南に進み、居留地を設ける。
・第二段階で、それら居留地に東方呂家、東方黄家、典家をはじめとする人員が入殖し、徐々に勢力を広げていく。
・第三段階は、第二段階で発展した居留地を拠点に、地理条件が許す限り、七つの居留地を作る。作る居留地が七つなのは、八方のうち、当初にやって来た方向を除いた数だからである。
・第四段階として、当初の居留地が一定以上発展すると、華家、許家、楽家は人員を引き上げ、新たな居留地を開拓する。
 この繰り返しである。
 李家は、主に海上輸送、西方との連絡航路の確保などに従事し、勢力自体は当初の到着地から大きく広げずに留まったため……(中略)……
 時代が下り、東方大陸のうちでも北大陸がほぼ掌握されると、この殖民は一段落した。
 しかし、許家と華家はそれまでの居留地開拓を止めず、許家は陸路で、華家は海路から南方開拓を推し進めた。後に、これには東西大陸間の航路を切り拓いた魏家も協力することになる。
 ……(中略)……こうした経緯により、南東方大陸のうち北半分が『帝国』の勢力下に入る。
 これは、すなわち膨大な産出量を誇る銀山が『帝国』の経済圏に組み込まれることを意味していた。
 東方大陸から発する銀の大量産出に伴う経済変動は、西方大陸を巻き込みつつ『帝国』全体に、経済の枠組みの転換を強いることとなり……(中略)……
 殖民自体は南緯二十三度近辺で限界を迎え、東方大陸における勢力拡大は停止する。
 しかしながら、許家の血には既に南進の衝動が本能のように染みついてしまっていたようだ。その後も許家出身の者たちは、南方への探検を――個人的にも、家ぐるみでも――繰り返している。
 はるか後、南極点到達を果たした許家の傍系出身の探検家は、本家の家訓『美味いものはどこにでもある』を熱心に語り、また実践していて……(後略)


  1. 古めかしい呼び方でいえば大西洋 

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