番外編その一:泥中之蓮

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「……で、最後に私のところに来た、と」
 ああ、と頷く白蓮を見て、華琳は執務机の向こうから同情するように微笑みかけた。
「げっそりしてるわよ」
「日が暮れるまで自慢話とのろけ話を聞かされればな……」
「まあ、茶でも飲みなさいな。この曹操手ずからの茶よ。軽食もあるから、勝手に取って食べてくれていいわ」
「ありがたくいただくよ……ってうまっ!」
 机に置かれた、見慣れない食べ物を意識せずに口に運んだ白蓮は声を上げて驚く。
「そりゃあ、流琉お手製の『さんどいっち』ですもの」
「珍妙な名前だな。しかし、こりゃ美味い」
 言いながら、白蓮は手にとったそれを食べ尽くしてしまう。
「天の国の料理よ。一刀が流琉に教えて、それに彼女が工夫を加えたの。一刀曰く、すでに流琉独自の料理になっている、というのだけどね」
「へぇ……も、もう一個いいか?」
「いいわよ、いくらでも」
 『さんどいっち』の入った籠を白蓮のほうへ押しやる華琳。彼女も一つ手にとり、口にする。
「じゃあ、一刀の話は後にして、まず、あなたがうちに来た場合の待遇を話しておきましょうか」
「あ、うん」
「魏は、全て私のもの。これを理解してもらわないといけないわ。あらゆるものが私の命で動き、私の許可で物事が決まる。だから、魏軍の将に求められるのは、能力と私への忠誠。これだけよ」
 さらりと言い放つ彼女を見て、白蓮はぞくりと背筋が寒くなるのを感じた。軽く言い放つその言葉が、凡人にとってどれほど重いものか。この覇王は全て理解していながら言葉を発している。
「ただ、普通の将ならそれでいいけど、一部の将は違う。たとえば春蘭と秋蘭。この二人は私の分身として動いてもらう必要がある。それから、霞。これは鎮西府を開いていることでもわかる通り、遠隔地で独自の動きをしてもらう必要がある。私の判断を待たず自分自身の判断をしなければいけないこれらの将は忠誠だけではなく、独立心も必要ね。もちろん、それなりに、だけど」
 にやりと微笑む笑みを、白蓮は恐ろしくも思い、美しくも思う。
「あなたには、鎮北将軍を授けたように、うちに来るとしたら霞と同じ立場になってもらうつもり。つまり、絶対の忠誠よりは、あなた自身の動きを期待している。これで、だいたいの待遇は理解できるでしょ」
「しかし……いいのか。私は元蜀の将だぞ」
「だから?」
 きょとんとした顔で尋ねられて、一瞬、白蓮が固まる。
「だ、だから……。たとえば、魏に入った後、内情を蜀に流したり……」
「いいわよ。流せば?」
 さすがにその言葉には絶句する。
「別に損はしないもの。流れているとわかっているならそれで対処できるし、そもそも蜀は同盟国だしね」
 そこまで言って、すっと華琳の眼が細まった。相変わらず口元には笑みがはりついていたが、そこに優しさはもはや微塵もない。
「ただし、民を裏切ることは許さない」
 ひゅっと思わず白蓮の喉から息が漏れる。体が重く、肌には脂汗がにじみ出ていた。
「まあ、それは一刀についても同じでしょうけどね。あいつの場合、私のように敵意を向けもせず、ただ悲しい顔をされるわよ。あなたにそれが耐えられる?」
「た、民を裏切ったりなんか……しない」
 声は少しだけ震えている。けれど、はっきりと、彼女は言い切った。
「あら、さすがね」
 それまでの空気を払拭するように、華琳は純粋な笑みを見せる。そのことにほっとして、白蓮はいつの間にかきつく握り締めていた拳を開いた。
「じゃあ、うちの話はこれくらいにして……一刀ねえ」
 華琳は考え込む。曹操のそんな姿を見たことがなかった白蓮は、このことにひどく驚いた。
 魏にとって北郷一刀が重要人物であることは間違いない。
 おそらくは目の前の華琳自身の夫となるであろうと目され、また政治面でも大使制度の推進や、袁紹、董卓らを引き込むことによる北方・西方の安定化など、果たした役割は多数あった。
 曹操自身や、夏侯姉妹、三軍師には並ばないまでも、優秀な人間と言えるだろう。しかし、それくらいだ。いかに部下に多彩な人材を抱えていても、形式的にはともかく、実質的には曹操の一部下にすぎないはずなのだ。
 それが、なにを悩むというのか。
「白蓮。あなた、一刀と寝た?」
 唐突な問いに、白蓮は一瞬意味を理解できなかった。そして、理解した途端、彼女は一気に赤くなる。
「な、な、な、な、なにを言ってるんだ!」
「ああ、そう。まだなの。そう……」
「まだとかじゃなくて!」
 必死の抗弁も、ほとんど華琳は聞いていないように見えた。
「いえ、わかったわ。うん、そうね。北郷の下に行っても、待遇は私のところとそう変わらないわ。実質的には陪臣となるだけ。あとは、蜀からの敵視はうちとそう変わらないでしょう。ただ、桃香たちの体面を守るなら、私より一刀のところへ行くほうがましかしら」
 朱里たちがどう思うかは別として、と華琳は意味ありげに目配せをした。
「そうそう、朝廷からの敵視はいまはあまり気にしなくていいわ。数年後はまた別かもしれないけどね」
 そこで言葉を切り、反応を伺うように腕を組む華琳。
「うー」
 一方の白蓮は頭を抱えてしまう。これまで仕入れた情報が頭の中でぐるぐると巡って、彼女の決断をさらに複雑なものへと変えていく。
「決められない?」
「部下のみんなと会うまではどっちにしろ決められないけど……」
「そうね、白馬義従は星が連れてくるんですって? たぶん、そこに一刀も同行するんじゃないかしら。会って決めたらいいんじゃない?」
 華琳の言葉に渋々と頷く白蓮。その顔は少し寂しそうでもあった。
「一つ、言っておくわ、白蓮」
 魏の覇王は、深く腰掛け直して声をかけた。
「これは、友としての忠告と思ってくれていいわ」
「お、おう」
「一刀を理解なさい。あなたには、私は理解できないかもしれないけど、一刀を理解することは出来るはずよ」
 しばらく黙った後で、白蓮は複雑な表情で、小声で答える。
「それって、その……ずいぶんな評価じゃないか? 北郷は華琳の、その……男なんだろう?」
 聞いた途端、からからと華琳は笑い始めた。部屋全体を震わせるような、大きな笑い声。そんな笑いを、白蓮ははじめて聞いた。
「あなた、やっぱりわかってない。わかってないわ」
 まだ笑いが収まらない中、華琳は歌うように言う。
「あれはね、天の御遣いなのよ」
 その言葉が、なぜか白蓮の心の奥深くに突き刺さるのだった。

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