番外編その一:泥中之蓮

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「うー、飲まされすぎた」
 桔梗の部屋を辞した後で遅い昼食を摂った白蓮は、酔いが抜けきれぬ足どりで廊下を歩いていた。その進む先に、人形のようなものを頭に乗せた少女が待っている。
「白蓮さーん」
「あれ、風。どうした」
 とてとてと走り寄ってくる少女を認めて、白蓮は足を止める。
「遼東征伐の後始末の件で、白蓮さんと、麗羽さんたちにお話がー」
「ああ、そうか。ええと、風の執務室に行けばいいか?」
「いいえー。いまから麗羽さんたちのところに行くので、ついてきてくださるとありがたいですねー」
「了解」
 そうして、二人は話しながら廊下を進む。
「なにかまずいことあったか?」
「いいえいいえ。どちらかというと、褒美の分配というか、そういう類ですねー」
「ああ」
 そういえば、自分は鎮北将軍を貰ったが、麗羽たちへの話がまるでなかったと白蓮は思い出す。あの時は、三人とも北郷からの書簡に夢中だったから仕方のないところか。
 麗羽は大将軍だからこれ以上位階を上げようがないが、配下二人になにかの将軍号でも渡すのかもしれない。
「そういえば、白馬義従はどうなるんですー?」
「ん? ああ、成都においてたのは、星が連れてきてくれるとさ」
「ああ、星ちゃんが。そうですかー」
 そんなことを話していると、目当ての部屋に前につく。
「お邪魔しますー」
「あら、伯珪さんに仲徳さん」
 部屋に入ると、そう言って麗羽はじめ、皆が口々に来訪を歓迎する。部屋には、麗羽、斗詩、猪々子の他に、これも北郷一刀の部下である黄権こと祭がいた。
「ふむ、来客か。これは飲まねばならぬの」
「いつでも飲んでるでしょー」
「ふふ、普段飲んでおるのは水じゃ、水。酒というには足りなさ過ぎるわ」
 猪々子と祭がそうしてじゃれあう間に、斗詩が卓を用意し、皆でそこに座る。
「ええと、まず、これが猪々子ちゃん。こっちが斗詩ちゃんへの華琳様……曹丞相からの任官状ですー」
 風はごそごそと袖口から二つの竹簡を取り出して、ゆったりとした口調で話し始める。
「あら、斗詩さんと猪々子さんになにか位でも?」
「はいー。威虜将軍と破虜将軍ですねー」
「おー。久しぶりの将軍だー」
「あれ……これって、俸祿とか貰えるんですかね?」
 任官の書簡を読みながら、おずおずと斗詩が尋ねる。
「貰えちゃいますよー。まあ、おにーさんからの給金と、麗羽さんの大将軍の俸祿で充分あると思うんですけど」
「あー。そこらへんは、その、麗羽様が……うん」
「なんですの、猪々子さん!」
 きっと睨み付けられ、へへっと猪々子が舌を出す。
「そのあたりは置いておいてですねー。将軍号と一緒に兵も配属されることになりましたー」
 それを聞いて、猪々子が喜色満面で腕を振り上げる。
「お、ほんとかよ!? うっしゃあ!」
「はい。今回捕虜にした三万ほどの兵のうち、八千ずつをお二人、そして、祭さんに預けることに」
「儂もか?」
 酒杯を傾けていた祭が、片目をつぶって風の言葉に反応する。
「はい。色々ありまして。そのあたりは、いずれおにーさんから聞いてくださいねー。それと、白蓮さん」
 色々、という言葉に祭は胡乱げに風を眺めていたが、風は気にした様子もなく、白蓮に向き直る。
「ん?」
「おにーさんから預かっている烏桓ですが、八千ほどになったんでしたっけ」
「ああ。慰撫している間に結構参加するやつが増えたからな。増やすのは問題ないと言われていたが?」
「ええ、問題ないですねー。ただ、おにーさんが帰って来たら、その烏桓は四千ずつ華雄さんと恋ちゃんに分け与えることになるかもしれないですー」
「ああ、私は預かっているだけだからな。返すことに異論はない」
「そうですかー。万が一白馬義従が元の数に戻らない場合は、烏桓を白蓮さんにそのまま譲り渡せ、とおにーさんが言ってきていたんですけど、戻ってくるみたいですし、問題なさそうですねー」
「あいつ、そんなこと言ってたのか……」
 白蓮は、その言葉に驚愕を覚える。
 北郷が呉に向かった時点でも、烏桓突騎は五千以上いた。馬に慣れ騎射も可能な騎兵というのは、とてつもなく貴重な上、すさまじい戦力となる。実際、彼女たちは遼東征伐において烏桓八千と白馬義従千騎あまりだけで、三万数千の歩兵を打ち破ったのだから。
 まあ、麗羽の指揮する投石部隊もいたが。
「ちょっとお待ちなさい」
 麗羽の声に、斗詩と猪々子があちゃーという顔をしてうつむく。だが、彼女は、二人が予想しているのとはまるきり違う質問を発した。
「ということは、歩騎三万が我が君の下に?」
「いずれは、ですけどねー。歩兵の方は訓練がありますから……んー、半年後くらいかとー」
「華琳さんがそれを許した、と」
「はい。おにーさんの確認が終わってませんから、まだ内示ですけど」
 高笑いが部屋に響く。
 その笑い声の圧力のようなものを、自分以外の全員が平然といなしているのが白蓮には恐ろしく思えた。
「さすがですわ、華琳さん。我が君とわたくしたちの価値をよくおわかりですわ!」
「……麗羽様に兵が渡らないのは、やっぱり曹操さんがちゃんと考えてるからだよね」
「……そらそうだろ。姫の昔なじみだぜ」
 ひそひそと言い合う声も、おそらくは麗羽には聞こえていない。彼女は華琳と北郷一刀と自分――中でも主に自分――を讃える即興の詩をつくり、詠み始めてしまったからだ。
「その兵じゃが、強いのか?」
「うーん、そうでもなかったかなあ」
「中原の争いから切り離されてましたからね」
「魏の訓練を受ければ、ぴりっとしますよ。ああ、言っておきますが、あくまでこれらは魏の兵ですよー。魏では私兵は許されませんからー」
 朗々と詩を詠む麗羽を背景に会話を続ける面々。もし、自分が北郷につくとしたら、これに慣れないといけないのだと白蓮は悟った。
「つまり、旦那様に貸与されるわけじゃな」
「はい、兵の給金もおにーさんの予算から払ってもらいます……けど、その分、華琳様からおにーさんへの資金提供が増えるだけかもしれませんねー」
「体面と実態が違うのはいつものことじゃな。それで、儂らと旦那様になにをさせるのじゃ」
「そのあたりは、まだまだ秘密ですよー」
 にゅふふ、と猫の鳴き声と笑いが混じったような声で、風はごまかす。ふんっと祭は大きく鼻を鳴らした。
「まあ、よい、旦那様が帰ればわかるのじゃろう。ああ、そうそう。白蓮殿は、旦那様に仕えるかもしれんのじゃったな?」
 あ、まだ……と言いかけた白蓮に、満面の笑みで、麗羽が語りかける。
「あら、伯珪さん。あなたもついに我が君の素晴らしさに気づきましたのね!」
「あ、いや、まだ決めたわけじゃあ……」
 そう聞いた途端、親の仇でも見つけたかのような憎々しい顔をされて、たじろぐ白蓮。
「ふん、ぐじぐじと決断力のありませんこと。そんなのだから、わたくしに負けたのですわ。ええ、よろしいでしょう、わたくしが、こ・の・わ・た・く・し・が、直々に我が君のことを教えてさしあげますわ。よろしいかしら、そもそもこの乱世というものは……」
 卓についた人間が見事に揃って音を立てずに退散していくのを見ながら、白蓮はこの後になにが待っているのかなんとなく予感してしまい、体の力が抜けるのを感じるのだった。

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