番外編その一:泥中之蓮

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 年も明け、数日たったその日、遼東遠征からようやく洛陽へと帰り着いた公孫賛こと白蓮は、衝撃の事実を突きつけられた
「わ、私が蜀から追放されただと?」
 謁見の間にて漢の丞相たる曹孟徳――華琳に戦果とそれに伴う後始末の経過を報告。通例ではそのまま酒宴となるのだが、さすがに長期の遠征ということもあって宴は後々にまわされ、一部の武将たちだけが残されて、話が進んでいた。
 その最中のことであった。
「うむ……その、わしも納得は出来んが……」
 蜀の王、劉玄徳からの布告を読み上げた武将厳顔は、いつも着けている肩当てもなく、常に持っている酒瓶も携えていない。
「なぜだ!!」
 掴みかからんばかりに厳顔――桔梗へ詰め寄ろうとする白蓮に対し、膨大な量の金髪を振り立てた袁紹の鋭い声が飛ぶ。
「猪々子さん!」
 主の声に反応して、一人の短髪の武人が走り寄り、白蓮を後ろから抱き留めると、力任せにずりずりとひっぱった。さすがの白馬長史も、単純な膂力では文醜――猪々子には勝てない。されるがままにするしかなかった。
「おーっと。無茶は駄目だよ、白蓮さま。気持ちはわかるけど、桔梗さんはお腹に子供がいるんだから」
 その言葉の通り、桔梗の腹は、元からはちきれんばかりにたわわな胸と競うように、ぽっこりと丸い。武裝していないのも酒を抱えていないのもそのためであった。
「あ……。う、すまん。……そんな、つもりでは……」
 力が抜け、猪々子が手を離したのもあいまって、ずるずると床に崩れ落ちる白蓮。後ろでくくった髪がぱさりと力なく頭頂部にかかる。
「わかっておる、わかっておる。ほら、立ちなされ。詳しい話はこの書簡を読んで下され。わしではどうしようもないことでな」
 劉備と諸葛亮からの書簡を渡されるものの、呆然とそこに座り込んだままの白蓮。それをなんとか励まそうとする顔良――斗詩と、猪々子、桔梗という面々。
 彼女たちを見下ろしながら、魏の覇王は淡く微笑んだ。
「麗羽」
「なんですの、華琳さん」
 袁紹こと麗羽が、華琳の声に反応すると、横で控えていた、人形らしきものをのせた少女――風が、重そうになにかの包みを引きずって、とてとてと前に進む。それほどの大きさではないのだが、元来風が大きくないために、どうしても大きく見えてしまう。
「それ、あなたたちへの一刀からの書状。白蓮のことに関しても書いてあるはずだから目を通しておきなさい」
「我が君からの! さあ、早くお渡しなさい!」
 風から奪い取るようにして袋を受け取り、中からわたわたと書簡を取り出す麗羽。それにつられて、斗詩と猪々子も自分宛ての書簡を取り出していく。
「さて、白蓮。あなたは蜀を追放されたとはいえ、漢の将軍であることは間違いない。また、此度の功績も鑑み、あなたを鎮北将軍に任ずることが決まったわ」
 へたりこんだままの白蓮はその言葉を聞いてようやく立ち上がり、数段上に座す華琳に向けて、ぎこちないながらも型通りの礼を返す。
 鎮北将軍は四鎮将軍の一つ。上位将軍号はほとんど名誉職と変わりない状況にあるものの、それなりの栄誉と権限があることには違いない。
「それに関してはありがたく頂戴するが……」
 痩せても枯れても公孫賛、一時は一勢力を築いたほどだ。
 職責を任されることに不安はない。
 ただ、鎮北将軍にふさわしいだけの陣立てを用意するのには苦労することだろう、と彼女は溜め息をつく。
 かつては朝廷からそれにふさわしい兵や官が派遣されたものだが、そんなことを期待できる情勢ではない。蜀という後ろ楯もないいま、麾下の白馬義従だけでなんとかやりくりしなければならないだろう。
「そういうわけで、鎮北府を開き、一人でやっていくことも出来るわね」
 開府の準備くらいは協力するわよ、と華琳は言う。
 それも当然だろう。どこで開府するにしろ、鎮北府となれば、魏の領内になる。北方に面しているのは魏なのだから。
「あるいは、もしよければだけど、うちに来る?」
「魏にか。それはちょっと……まずくはないか?」
 落ち着いて考えてみれば、蜀を追放された経緯は書簡を読まずともわかろうというものだ。
 まさかそこまでの大事に発展するとは思わなかっただけで……。これに関しては、見通しが甘かったといわざるを得ない。
「私が丞相となったいま、漢と魏はほぼ一体。もう問題なんてあるはずないのだけれどね。桃香たちのことが気になる? まあ、もちろん、あの娘たちが悪いってわけではないのだけれど」
「そりゃあ、な」
 ようやく心の整理がついてきたのか、白蓮は軽く肩をすくめる。
「といって麗羽たちが悪いってわけでもないし」
「当たり前ですわ」
「……ん、まあ、元々無茶な勅だったしなあ」
 途中に挟まれた言葉にかまわず、華琳と白蓮の二人は会話を続ける。
『遼東征伐の軍をそのまま南進させ、北郷一刀を討て』
 彼女が受け取った密勅には、そうあった。
 だが、そんなことを実行できるわけもない。
 戦力はあったが、その時点で追ったとしても、北郷は建業にたどり着かないまでも呉の領内に入る。なお追い詰めれば、呉軍と衝突する可能性も高く、また、魏の盟友たる北郷を討てば、蜀と魏の戦争となることは火を見るより明らかだ。
 さらに言えば、華雄、呂布が守る個人を討ち取ることなど不可能に近い。焼き討ちにかけるのでもなければ、逃げられる公算が大だ。
 麗羽たちが使者を斬り、勅をなかったことにしてくれたことは、彼女自身と蜀をも救ったと言えよう。
 当人たちは、そこまで考えていなかったとしても、だ。
「そう。では、麗羽が書簡を読み終えればわかるでしょうけど、一刀のところへ行く手もあるわよ」
「北郷か……」
 ちらり、と彼女はその北郷からの書簡にわき立っている麗羽たち三人を見る。
「その場合は、その、麗羽たちの下に……?」
「さあ。そのあたりは一刀に聞かないと」
「おにーさんのことですから、冷遇されるってことはないと思いますよー」
 華琳と風の言を聞き、白蓮は考える。しかし、彼女の動向は麾下の者たち全員に影響を与える。軽々に決めることは出来なかった。
「少し、考えさせてくれないか?」
 その提案は華琳の側も予想していたのだろう。当然というように頷いた。
「ええ、もちろん。まずは戦の疲れを癒やしてちょうだい。ほら、そこの手紙に夢中な三馬鹿さんたちも、部屋に戻ってゆっくりお読みなさいな」
 そうして、一行は解散するのだった。

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