北郷朝五十皇家列伝・呂家の項[呂蒙]

 呂家は呂蒙にはじまる皇家である。
 東方八家中の呂家と区別するため、食呂家と言われることもあるが、本土に残ったこちらを呂家、呂布からはじまり東方殖民に参加した家を東方呂家と呼ぶのが通例である。

 ……(中略)……呂家は、七選帝皇家のうちの一つとして、主に別名の通り『食』についての選別を行った。
 食は皇家の力あるものが拘りすぎれば美食・飽食の害として国にたたり、あまりに構わなければ健康を害する、生活の中で重要な行為である。注目するのも当然と言えよう。
 しかしながら、これだけ重要な行為でありながら、生活の中で当たり前すぎるが故にあまり注目されることなく、社会的にもその研究は遅れていた。
 呂家はこの研究を初代から続けて推し進め、後に、初代呂蒙は栄養学、料理研究の祖と崇められることとなった。

 呂家では、伝統的な医食同源の教えを奨励しつつも、それを盲信しないよう、あくまで食は食として日々の健康に必要なものを取り入れることを……(中略)……

 呂家といえば、その特殊な家督相続の形態も注目される。
 呂家では、当代が四十五歳を迎えると、後継者を決める料理の祭典をもよおすこととなっていた。この時点で、この祭典に参加できる呂家に連なる者が、次代の後継者候補となる。
 いくつかの皇家から食に造詣の深い者――曹家系列が比較的多かった――を招いて審査員として料理勝負を行い、決勝戦では呂家の当代主人自らが審査して優勝者を決定、これを次代当主とした。

 さらに、それまでの料理勝負では品目は定められていないものの、決勝戦のみは、胡麻団子と伝統的に決まっていた。
 代々皇帝即位の折には胡麻団子を献上する呂家ならではの品目と言えよう。

 呂家当主にのみその作成方法が伝えられ、皇帝に献上される胡麻団子は、蓮の実を使った蓮容餡を用いてつくられるものである。
 しかしながら、この家督相続の料理勝負においては、後継者候補たちの、それぞれの工夫をこらした餡が用いられ、勝負の後は領民たちに盛大に振る舞われる。

 呂家の支配下にある民は飢えることだけはないとされるが、その代わりに、大陸全土に広まる前の食材の実験台になるとも言われており、あるいはこの勝負での振る舞いも……(後略)

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